Case.4 宮瑠の殺人鬼

 全部屋に入れるマスターカードは、幸いにも沙良が所持していた。

 私たちのいる食堂に真っ先に戻ってきた彼女に事情を話すと、時々空き部屋の清掃を頼まれていたからと渡してくれた。

 唯愛のことは沙良に任せ、私は血が流れているであろう、食堂の真上の客室に向かう。

「関口刑事!」

 反対側から、関口刑事が来た。

 彼には、二人のレディが近くにいたはずなのだが……。

「仙崎探偵か……詳しい話は後だ。この部屋に入るぞ」

 関口刑事がタックルしようと構えだした。

「関口刑事、私、マスターキーを持っています!」

 強硬手段に出られる前に、文明の利器を提示。

 下手に壊されると、ロック解除できなくなるので、ここは黙って待ってもらいたい。

「お前、なんでそれを……」

「こっちも詳しい話は後です」

 ピッと。

 電子ロックを解除して、二〇五と書かれた部屋に入る。

 フローレンスな香りもあるが、それ以上に嫌な予感しかしない鉄サビの臭いが鼻につく。

「この部屋のどこだ……」

 部屋の間取りとレイアウトは他の客席とそう変わらなかったが、本棚が多かった。

 オーナーの親友である桜井先生がいつでも泊まれるように、専用にカスタマイズされているのかもしれない。だが、今は深く考える時間はない。

 血の臭いをかぎ取りつつ、その先へと向かおうとした、その時だった──。

「うっ、が……うっ、う……」

 コレは誰かのうめき声。

 そして、同時に聞こえるロープがギシギシとこすれる音に、ユラユラと振り子のように揺れる影。

 向こうの部屋の中の柱と柱の間に水平に取り付けられている長押から、ミシミシと何かの重みに耐えているかのような音さえ聞こえてくる。

「関口刑事!」

「わかっている!」

 私と関口刑事は臭いを辿るより先に、不気味な音が鳴るほうへと足を向ける。

 勢いよく気配がするほうの扉を開けると、そこには……全裸の女性が首を吊るされていた。

 しっとりと濡れた髪に、たわわの乳房、女性の体で最も日に当たらない部分もすべて丸見えだった。

「た、たすけ、て……」

 空中で揺れる女性は恥部を隠そうとせず、恥も外聞もかなぐり捨てて、首に深く食い込んでいるロープを必死に外そうと両手で抵抗する。

 生きようとする意志を感じる。

「わかりましたっ」

 私はとっさに足代わりになるものか、ロープを着るための道具を探す。

 だが、見当たらない。

 こうなれば、とりあえず私が土台の代わりになって、関口刑事にロープを切る道具を探し出すように頼むか……と考えたついた時だっただろうか……。

「おりゃっ」

 関口刑事は己の強靭な肉体を信じ、ロープが食い込んでいる長押にマーシャルアーツ。

 一種の芸術ではないかと思うぐらいの見事な殺人蹴りは、化粧材ごときの強度など物ともせず、粉砕。

 宙を浮いていたロープは重石だった女性とともに、重力の支配下に置かれ、地面へと落下。

「あ、危ない」

 とっさに近くにあったクッションを女性の落下予想地点に投げ、衝撃を和らげる。

「い、痛い……けど、助かりました……」

 首のロープ痕が生々しいが、女性はせき込みつつも、動き出す。

 脳にまだ酸素がうまく供給されていないからか、ぎこちない動きではあるが、生命活動に支障がなさそうだ。

「津久井さん……」

 切羽詰まった状況に、外見……とくに結んでいた髪がほどけているので、誰だか確証が得られなかったが、声色でやっと特定できた。

「はい……ゲホッ。他のお客様方は……」

 咽ながらも、客人の安否を気遣う。

 オーナー代理としての責任感か。

 殺されかけた全裸の女性、津久井美緒の瞳にハイライトが戻ってきていた。

「それは……」

 沙良と唯愛は移動していなければ、食堂。

 雛形さんは……わからない。

 言葉が詰まって、顔を明後日の方向にそらした、私。すると不意に……血の臭いが。

 そうだ、私たちはこの気配と臭いに誘導されてきたのだ。音と影によって臭覚から意識が薄れてしまったが、落ち着き出したことで、この異質な存在が濃くなった。

 しかも、全裸の津久井さんには血の痕すらない。

 血を流しているのは別の存在……そして、別の部屋。

「関口刑事!」

「ああ。津久井、すまねぇ、ここで待っていてくれ」

「あ、はい……」

 殺されかけていた女性を一人にするのは申し訳ないが、きっとこれから探し出すモノは……悪夢に等しいモノだから。耐性のない人には見せてはいけない。

 スナッフ写真を思い起こすような凄惨極まりない……血の池地獄が、そこに待っている。


 場所は、キッチンだった。

 ペンションの個室なので、それほど大掛かりのものではないが、電子レンジに、冷蔵庫、安全包 丁が何本か揃えられていたのは、記憶している。

 本格的な調理には向いていないが、軽いつまみぐらいなら簡単に作れるだろう。

 間違っても、人間を解体するための場所じゃない。

 ムアッと鼻に来たのは、血と糞尿の臭い。

 そして──雛形呂子は、あらゆる刃物によって体をめった刺しにされていた。

「雛形……さん」

 その目はえぐり取られ、その表情は絶望と恐怖で歪められ、口からは涎を吹き出している。だが、原形がまだ残っているからいい方だった。

 問題は首から……手足は五寸釘で打たれ、床板に縫い付けられるように、のたうち回らないように、仰向けに固定され……カエルの解剖のように体内の臓器を開かされているのだ。

 それでも十分ひどいのだが、猟奇的な魔の手はこれだけで飽き足らず、消化器官を重点に、包丁や、かみそり、さらには机の上にでもあったのであろう、万年筆や尖った鉛筆でぶっ刺し、グチャグチャにかき混ぜる。

 その過程で、いくつか臓物が肉体から零れ落ちたのだろう……幼子特有の下手糞な塗り絵みたいな残酷な姿が、キッチンの床下いっぱいに広がっていた。

「くそっ」

 関口刑事がこの惨状を目にして、壁を叩く。

 壁穴が開いたが、その気になれば長押を粉砕する彼の肉体だ。手加減はされていると思う。

「食堂から血が流れ出ていたのは……胃酸によって床下に小さな穴が開いたからか……」

 ナゾは解けたが、まったくうれしくない。

 ただでさえ、罪悪感と吐き気と戦っているのだ。鉛でも飲み込んでしまったのではないかと思うぐらいに、重い。

 やさしい唯愛の心労まで考えたら、何もかも投げ出してしまいたくなる。

「うっ……」

 でも、私は投げ出してはいけないのだ。

 探偵としての矜持が、愛する人たちを守るために磨き続けた知能が、目をそらすことを許さない。

 ピクピク。

 死後硬直なのか、雛形さんの指先が震えている。

 指先が指している方向は……偶然なのか、本棚だ。

 壁の向こう側ではあるが、愛翔には直感で、彼女が本棚の……本を読めと言っていると思った。

「本棚、ですね……ありがとうございます……」

 雛形さんの口元は少しだけ緩む。そして、もう二度と動かなくなる。

 ……本当は知っていた、さ。

 彼女はまだ生きていた……と。私たちがキッチンに入り込んで……この瞬間まで、生きていたんだ。

 脈だっていた臓器。でも、虫の息で……助けられないって、状況的にわかってしまっていた。

 だからこそ、私は彼女の心情から目をそらすわけにはいかなかった。

 そして、私はうまく読み取れたのだろう。

 雛形さんは……伝えたいことが理解してもらえたと、死ぬ間際に知ることができて……微笑むように死ねたのだ……。

「あなたの心意気、決して無駄にはしません」

 私は安らかに眠れるように祈る。

 自己満足だって言われようがいい。

 どうしようもないからこそ、自己満足が必要なこの場面。

 祈りを捧げ終えた私は立ち上がり、壁の向こうにある本棚に向かおうとする。

「おい、探偵。どこに行こうとする」

「……関口刑事、検視と津久井さんの保護を頼みます。私は、雛形さんの最後のメッセージのほうを優先します」

「な……」

「では、お願いしますよ」

 関口刑事は私の意見を尊重してくれるようだ。止められることもなく、私は雛形さんが指した場所たどり着く。そこには……一冊の分厚い日記があった。

 他にも本はたくさんあるのだが、なぜか、私はこれしかないとしか思えなかった。

 日記をパラパラとめくると、何気ない日常と小説の参考資料について淡々と書かれていた。

 その中に、一際目を引くものがあった。

 それは、『宮瑠ぐうりゅうの殺人鬼』についてだ。

 この殺人鬼のナワバリとしているのは、宮瑠町ぐうりゅうちょう

 宮瑠町とは、某県のネオン街……早い話が夜の街だ。そこで不定期に不可解な猟奇死体が発見されている。

 あまりにも悲惨極まりないため、情報が規制されているが、時折奇怪な殺人が起きているのは確からしい。

 現場近くに住んでいるのか、わざわざやってくるのか知らないが、この殺人鬼はまるで、殺しを遊びの延長であるかのように、人の尊厳を踏みにじるような冒涜的アートを宮瑠町に残していく。

 この殺人鬼の統一性はほとんどなく、現地調達もあるが、中には事故や自然死した死体を持ってきては、宮瑠町で損壊させ、展示品のごとく披露しているのではないかというきらいがある。

 邪悪で幼稚な殺人鬼。

 いつの間にか、『宮瑠の殺人鬼』は『死の芸術家』とも影で囁かれ、ネクロフィリア界隈ではそれなりの知名度があるらしい。

 それゆえに、模倣犯も少なからずいると考えられ、犯人像は絞り切れていないというのが現状。

 私が見たことがあるスナッフ写真も宮瑠町のものだったようだ……。

「桜井先生が当時店で贔屓にしていた雛形律子さん……雛形呂子さんの妹を殺した殺人鬼か……」

 桜井先生が件の殺人を調べ出したのは、知り合いが殺されてからだ。

 正義感や憎しみ、復讐心というよりもゲスな好奇心のほうが強いそうだが、情報規制されている中でかき集めるとなると、正確な情報というよりもネクロフィリアたちのウワサ話のほうが色濃く出てしまっているだけのかもしれない。

 夢寐委素島乱戦記もそうだが、えげつない描写を好んだ作者だからね。エンターテインメント性を持たせたいという気持ちもあって、そういうモノを取り寄せても、それはそれで、先生の作品の傾向らしいともいえる。

 先生の性質が純粋な邪悪なのか、それとも無邪気な好奇心かなんて、この際関係ないだろう。

「ショッキングすぎて、どこまで話していいか迷うな……」

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