Track.1  始まりの龍舌小道

 ☆??目 八月??日


 ──死体のような冷たい手に引っ張られる。

 同時に耳には意味のわからない言葉が流れ、体は冷たい手に抵抗するどころか、自由に動くことも、悲鳴を上げることもままならない。

 冷たい手は何かを確認するように何回か握りなおすが、無反応だとわかると手を離す。

 だが、今度は勝手に自分の体が動く。

 恐怖する。

 だが、これはまだ前座だ。

 真打ちはいつの間にか梁に吊るされている、ロープだ。

 輪っかになったロープ……首を吊る準備がされていた。

(クソ……)

 悔し紛れに悪態をつこうが、フラフラと体は前に進むことをやめず、歩きだす。

 椅子の上に立ち、ロープを自分の首にかけてしまう。

 そして、一蹴り。

 全体重が首にかかり、鈍い音が部屋に響く。

(うっがっ、っう!)

 締め付けられる、首。

 今までに感じたことのない痛みに苦しみ、悶絶しながら視界は、ゆっくりと、ゆっくりと……真っ暗なものに包まれていく……。

 そして、まぶたが閉じる瞬間に見たものは、恐ろしく邪悪で達成感のある、ソレの微笑だった──。






 ☆一日目 八月十三日


 ──夢寐委素町。

 総人口およそ三千人。海を隔てた夢寐委素島にはその人口の六分の一、五百人程が住んでいる。かつては漁業や交易で生計を立てていたらしいが、今は海の観光地として有名。

 リゾート地域として名が知られているためか、海岸近くにはホテルや水族館などの施設はもちろん、船着き場には、多数の様々な形状の船が並んでいる。水上バスもタクシーもあるので、町から島までの優雅なクルージングも楽しめるようになっている。

「と、やってきました、夢寐委素町からの~いざ、行かん、夢寐委素島。愛翔兄ちゃん、すごいよ、海がキラキラしているよ。それに、この道。引き潮のときしか現れないなんて、不思議だよね」

 ボクは愛翔兄ちゃんと一緒に、町から島へとつながっている道を歩いていた。

 通称、龍舌小道りゅうぜつこみちといい、ある程度潮が引いているときにしか渡れない小道。

 海水によってぬれている地面をビーチサンダルで踏みしめながら、その不思議な感覚に興奮している。

 だって、満潮になると海の中に沈んでいる大地を歩くなんてめったにない体験だからね。思いっきりはしゃぎたいものさ。

 大自然のおもしろさにテンションマックスだよ。

「ああ。この龍舌小道は、夢寐委素島乱戦記では、登場人物たちが島へ行くときも通った道だからね。満潮になって島に取り残されるシーンは、ゾッとしたものだよ」

 兄ちゃんの感情移入するポイントはそこなのか。

 しかも、言った直後から表情が若干くもっていた。同じような目にあったのかな?

「本当に、あの作品はよくこの島を調べ上げたというか……幻想的に書かれてはいるけど、だいたいあっているってところがすごかったよ……」

 毎年お盆シーズンだけとはいえ、夢寐委素町で過ごしている、愛翔兄ちゃんだからこそ夢寐委素島乱戦記が、いかに、夢寐委素島の風土に沿った作品なのかわかるのだろう。

「作者の桜井英長がいかに島を観察し、素人にも伝わるように、文章で巧みに表現しているか……。私では畑違いだからってところもあるけれど、架空とはいえ個性豊かな登場人物たちはもちろん、実在の夢寐委素島の魅力さえも引き出す情熱的ともとれる文章……とてもじゃないが推し量れないよ」

 確かに、夢寐委素島乱戦記の圧倒的な文章力と表現力は、雲の上を見上げるかのような心地さえした。

 善望と嫉妬が対立した上で、善望に軍配が上がる、あの瞬間。

 独特なムズ痒さもあるが、自分の中に巣くっている矮小な心憎さといった負の感情さえも、この素晴らしい作品へのエッセンスへと昇華できるようになれば、楽しめるようになる。

 名作と称賛されるものには、そんな『ゾクッ、ドロリ』とした闇が必ずと言って見えるのは、そのせいなのかもしれない

 これだから、世の中はオモシロイ。

「八人の流刑者の脳裏に浮かぶのは不安と野望……意識を現実に戻せば、吹き上がるつむじ風に一行の髪は乱される。潮の香りはあるが、暗い海から漂うのは魚の死臭。流刑者たちの殺気がぶつかりあうのにはふさわしい刑場って、いうところはドキドキしたね」

 兄ちゃんの言う通り、町から島へ向かうシーンはこの先の死闘を暗示させるには素晴らしい表現だった。

 夢寐委素島に続く、この細道。龍舌小道と呼ばれるのにふさわしく、限定的に出現する大地。

 そんな幽玄な砂道を踏みしめながら、狂乱のるつぼ、蟲毒と化するであろう島に、自らの足で進んでいく。その光景は、一種のカタストロフィーを感じさせた。

 乱闘記というところから、争わせるのはわかっていた。だが、戦場に向かう前の一句、一句は、ジェットコースターが一段、一段高くなるような、じわじわとした恐怖を読書者にあたえてくる。

 後は目的の浮遊感を得るための落下に、急カーブありの、大絶叫だとわかっているのに、なんで、あんなに期待させてくれるのだろう。

 焦らしているからなのか。

 ボクではうまく言葉に出来ないが、あの表現は心をヤバいくらい震わせた。

 だからこそ、今、急に吹いてくる海風も原作再現だと、喜べる。

 小説では夜の風で、生臭い表現もあるが、昼の風はこんなにも涼しく、日照りに肌を焦がすボクらをやさしく包み込んでくれる。

 いい気持ちだ。

「きゃぁ」

 どこからともなく、女性の小さな悲鳴が聞こえる。

 そして目の前を横切ろうとしたのは、白いレースリボンがかわいらしい麦わら帽子だった。

「おっと」

 愛翔兄ちゃんはとっさに反応。麦わら帽子を見事にキャッチする。

「す、すみませ~ん。それ、私のです」

 風に飛ばされた麦わら帽子の持ち主だろうか、眼鏡をかけた若々しい女性がボクたちのところまで走ってくる。

 白い肩フリルのシャツに、ネイビーの見た目も履き心地も涼しいガウチョパンツ。丈が短めなので、足元のいかにも歩きやすそうなスニーカーが目立つ。

 おしゃれよりも実用性を意識したスタイルである。

「もう。瑞穂さんったら。この道は急な突風が吹くから、あご紐を使えって言ったでしょうが」

 サングラス越しでも美女だとわかるほど、顔の形が整った青みがかった黒髪の精錬された女性もやってくる。

 こちらは透明感あるフェミニンな雰囲気あるレースの肩フリルに、ミモレ丈のフレアスカート、そしてヒールの高いストラップサンダル。歩きにくそうなのに、それを感じさせないぐらい、つま先からの歩き方、腹筋、背筋がしっかりしていらっしゃる。

 思わず敬語を使いたくなるぐらい、凛とした美人であった。

「ま、瑞穂さんのことだから、あご紐の存在自体をうっかり忘れていたのかもしれないでしょうが……」

「あう。返す言葉もございません」

 相方らしき美人さんのこの手慣れた様子から、瑞穂さんという眼鏡女性はドジっ子らしい。

「少なくても夢寐委素島乱戦記を読んでいったほうがいいっていうのも、すっかり忘れて夢寐委素島に来るなんて……旅行、楽しむ気あるのですか。島の自然情報もあって、瑞穂さんがしそうな自然系ドジも、予想しやすくなっていたというのに」

「先生が私に夢寐委素島乱戦記を薦めていたのって、そういう理由だったの!」

 先生と呼ばれた美女ではあるが、瑞穂さんとはあまり年齢差を感じさせない。

 昔なじみの元家庭教師か、先生と呼ばれる職業についているのか。

 たしかにこれほどの美人なら華があって、お稽古でもなんでも似合いそうだ。

「もちろん、小説としての完成度の高さも評価していますわ。残酷な表現もあるので敬遠する方もいるでしょうが、瑞穂さんなら問題ないでしょうに」

 こんな美人先生も夢寐委素島乱戦記を読んでいると知って、ボクは少しドキドキした。

 しかも、高く評価しているって。

 うれしいと思うのは、お気に入りの小説に同じ感情を抱いているからか。

 仲間がいるのはいいことだ。

「あ、失礼。私の名は若竹わかたけひびき。こちらの瑞穂さん……古賀こが瑞穂みずほ。一緒に夢寐委素島を観光しに来ました」

 女二人旅か……なんかエロい響きがした。

 このシチュエーション、思春期中学生には刺激が強すぎる。

「若竹さんに古賀さんですか……。私の名前は、仙崎せんさき愛翔あいが。こちらは従妹の睦月むつき唯愛ゆいな

「よ、よろしくお願いします」

 緊張して声が上ずってしまった。

 愛翔兄ちゃんも美しい部類だが、若竹さんとはタイプが違うというか……見慣れぬ妖艶な美女に声をかけるって難しいものだと、今日ボクは知りました。

「それと、はい。帽子。風に飛ばされないように注意してください」

「あ、ありがとうごさいます」

 古賀さんは恥ずかしいのか緊張しているのか、耳まで赤くして麦わら帽子を受け取った。

 愛翔兄ちゃんの微笑を直視した女性はだいたいこうなるので、こういう光景には慣れている。

「ふふ。古賀さん、ステキな殿方とはいえ惚けるのは感心しませんわ」

「え、お、男! あ、すみません」

 ……古賀さんもただ単に美形にドキドキしただけか。

 しかも同姓と思っていたと……う~ん、身内だからそんなに気にしていなかったが、今の愛翔兄ちゃん、見ようによっては女性に見えなくもないなぁ。

 淡い色のシャツにスキニーデニム。

 ボーイッシュな女性と間違えられても違和感がない。男でも女でも比較的無理のない名前もあって、なおさらである。

「あはははは……」

 兄ちゃんの苦笑いが少し痛々しいが、こういう展開にも慣れている。

 ああ、悲しきは、見た目第一主義である。

 ちなみに、ボクはどこからどう見ても健全で平凡な女子中学生だ。ただし、愛翔兄ちゃんが隣にいるときのみ……らしい。

 お前は美形に部類すると、部活の先輩に散々言われたからな……。

 無自覚な美少女はそれはそれで嫌味だとも何度も嘆かれた。

 そんな先輩も愛翔兄ちゃんを見てから何か悟ったように、『確かに、隣にこんなイケメンがいるとお前は霞んで見えるだろう。だけどな、唯愛。アイドルグループに突拍子もない美形がいるとそいつが目立って見えるが、超絶美形がフレームアウトしたり単品になったりすると、やっぱりこいつらアイドルだわ~と称賛してしまうぐらい顔がいい奴らがそろっているだろう。つまり、そういうことだ。自信、もっていいぞ』というフォローなのか、そうじゃないのか微妙なコメントをボクに贈り、頭をなでなで。

 ……同情はしてくれたようだ。

 ボクが物思いにふけている間に、大人たちはなんやかんやで意気投合していた。

 心なしか、歩くテンポが滑らかになっている。

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