安楽死が難しい理由

星空ゆめ

安楽死が難しい理由

 安楽死が我が国で合法化されてからまだ日も浅い。日本が死因に対する自殺の割合、即ち自殺率ランキングで世界TOP5にランクインしてから、安楽死の合法化は一部の政党や宗教団体だけに留まらず、世間でも一般的に叫ばれるようになった。

 日本人には明らかに「人の生死を操作すべきでない」といった考えが根底に強く根付いている。意図的な生の誕生や、死の操作への賛同はかつてタブーとされていた。

 老荘思想に無為自然という考え方がある。あるがままに、なんら作為のないまま生きるべきという人生の指針であるが、日本人の考えはこれに近いのではないか。とっくのとうに可能となっていた安楽死の実現にここまでの歳月がかかり、人間のクローンに代表される生を操作する技術に関しては今でもタブー視されている。

 そんな中でも、安楽死合法化に至ったのは、急激な自殺率の増加に伴い「自分の人生を自分で設計する」といった、生に対する意思決定権の意識革命が興ったことが大きかったように思う。

 実際、既に安楽死が合法化されていた国では、「死まで含めて人生設計」という考えが広く浸透しており、生死を自然の流れに任せる国風とは対極にある。


「日本でも徐々に人生設計に対する向き合い方が変わってきたからこそ、僕たち医師が安楽死のお手伝いをすることができるようになったんですよね」

 

 そこまで話すと、医師は一息入れて、机に散らばってある問診票を手に取った。


「まぁこんなこと言うのもなんですけど、人間、死んでいるよりは生きているほうがいいですよ。安楽死はあくまで最終手段です。実際、安楽死の決断をなさる方も、高齢の方がほとんどで、自分の死に方は自分で決めるといった意思のもと行われる、いわゆる尊厳死というやつです」

「ところで、田中さん。またどうして今日はそんな質問を?まさか、安楽死するなんて言い出すんじゃ」


「いや、そういうわけじゃないんですけどね」


 担当医の北沢さんとは出会ってかれこれ3ヶ月近くになる。この4月から新卒として会社にはいったものの、慣れない業務や一新された人間関係についていけず、なんともいえない憂鬱感や不安感に襲われることが多くなった。そんな折に、近くの心療内科に薬を求めてここにやってきたのだが、今では病気の話以外にも、たわいのない話まで付き合ってもらうようになった。


「まぁいいんですけどね、ほんとうに早まっちゃダメですよ、田中さん」


「いや、ほんとうにそういうのじゃないんで」


 幸いなことに僕はまだ希死念慮にそこまで蝕まれてはいない。こうして月に数回、北沢さんとカウンセリングという名目で会話できていることも大きな助けになっていると思う。


「安楽死が合法化された直後は、どんな感じだったんでしょうか。その、医師の中の評判というか、空気感というか」


「そりゃあもう、可決された当初の荒れ様といったらひどいものでしたよ。人権団体や、医学界の一部からも猛反発が起こりましてね。まぁでも今ではそこまで文句を言う人もいなくなりましたね。内容も内容ですから」


 安楽死合法化案、安楽死とは無縁の一般人はそこまで気にしていないみたいだが、その中にひとつ奇妙な内容が含まれている。


「それなんですよ北沢さん、僕が知りたいのは。安楽死って難しすぎませんか?」


 そう、安楽死合法化案は安楽死の合法化を定めた法案であるが、いざ安楽死をするとなると、これがまたかなり難しい。なにが難しいかというと、金銭的な話ではなく(それでも100万円近くの費用がかかることにはなるが)その処置条件にある。


 安楽死の処置までには、大学受験よろしく、いくつかの試験が課されることになる。この試験がとんでもなく難しいのだ。合格率は実に0.1%、安楽死の志願者自体、そこまで多いとは言えないので、現状ほとんど安楽死までこぎつくことができた者はいないことになる。


 試験科目は数学や物化、現代文とそれこそ大学受験を連想させるものから、哲学や心理学といった専門科目、さらには英会話や体力測定まで、合格に至るにはありとあらゆる技能が必要とされる。


 インターネットでは東大落ちても安楽試験(安楽死の試験を意味するスラング)受かったら十分学歴自慢できるとネタにされているほどだ。


「どうして安楽死の試験科目はこんなにも難しいんでしょうか。いやそもそも、なぜ安楽死をするのに試験なんて受けなければならないんですか?」


「あ、なんだそんなことを訊きに、いやいやわたしはてっきり田中さんが本気で安楽死を考えているものだとばかり」


「だからそうじゃないって言ってるじゃないですか」


「安楽死が難しすぎることですね。はい、これにはちゃんと理由がありますよ。さっき実際に安楽死を決断した人には高齢者の、それも尊厳死を果たしたいという人が多いと言いましたけどね、これはあくまでも安楽死の処置まで達した人の話で、安楽死の志願者の志願理由はこれに限った話じゃないんですよ」

「安楽死の志願者にはどんな理由が多いと思いますか?そのほとんどがね、生に価値を見いだせないって理由なんですよ。なぜ生きているのかわからない。なにをして生きたらいいかわからない。だからなにをする気も起きない。なにもしないとどんどん生きる理由がわからなくなる。鬱の悪循環、スパイラルの中に囚われて、そこから脱却するために安楽死という選択肢を選ぶわけです」

「安楽死を一度決意した人にはもう自死しか見えてない。自死以外のことには一切の興味をもたなくなって、目の前の自死の虜になるケースがかなり多い、そんな特性を利用したのが、この安楽死合法化案なんですよ」


…?いまいち要領の得ない回答に困惑している僕の様子を感じとってか、北沢医師は続ける


「いやだからね、安楽死を決意したからには、安楽死のための試験を受けることも苦でなくなってるわけです。自死のために、志願者は一心不乱に勉学や運動に没頭することができるんですよ。ここで思い出してみてほしいんですけどね、安楽死志願者が安楽死を志願するようになった理由はなんでしたっけ。“なんのために生きているかわからない”。でも、安楽死のために勉学と運動に打ち込んだ志願者はどうでしょう。志願者たちは英語を話せるようになって、社会で活躍できる幅が広がりました。基本的な教養を身につけて、周囲と落差を感じることも少なくなりました。専門知識をもったことで、人生への向き合い方が多面的になりました。健康的な肉体も手にしたことでしょう。こうなると人間、死ぬ理由がなくなるんでしょうね。気づいた時には、自分のステータスを活かして“如何に活躍するか”を考えるようになるんです。いやはや、死ぬ気でいたのに気づけば生きる意味を見出しているんですから、ミイラ取りがミイラになったとはよく言いますが、それの真逆ですな」



(おわり)

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安楽死が難しい理由 星空ゆめ @hoshizorayume

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