願いの空

――どうして。私は白の斎文ユーミを持っていないのに。


 ちらちらと輝きながら地面に降りてくる真っ白な粉雪。どうして、どうして、としか思えないクイの身体の上から、そんなものらないのよ、と透明に輝く声が降ってくる。

 だってあなたがわたしを呼ぶ斎文ユーミのだから、と。

 心を読んで返事をしてくる。白冽姫アーキラがここにいる、クイは誰に教わるでもなくそう思った。雪を振り撒く冬の神だ。里には来なかった、雪の主だ。

 涙がこぼれた。


――本当にいるのなら、どうして。

――どうして私の里には来てくれなかった。


 すると白冽姫アーキラは、ふんと笑って軽やかに言ってのけた。


「わたしたち神は、人間に操作されたりはしないの。斎文ユーミを供えさえすれば願いを叶えるなんて、餌をやれば芸をすると言ってるのと同じよ。しかも季節の恵みを望むなんて、大それている。わたしたちは基本的に、好きなようにやっているし、人間のために存在してるわけではないのよ」


 クイはそれでなぜか、心の重荷がするするととろけていくような気がする。

 初めから叶うはずもない作り事をみんなして大真面目に信じていたのか。何もかも無駄で、人間の群れが何をしようと、神々とこの世界に対しては影響力を持たないのか。

 すべて何の意味もない?

 クイが斎文ユーミを見付けなくとも、

 里に雪をもたらさなくとも、

 クイが悪いわけではない?

 

「そうよ、あなたは悪くない。善くも悪くもない。価値など、見る者によって変わる――わたしの雪をけがれ払いの恵みと言ったり、死をもたらす冷たい悪魔と言ったり、人間たちは勝手だわ。

 いいこと、わたしはこれからあなたを友だちに預ける。岩拾いの娘、火種石エペの中で育ちおきの魂に磨かれたあなたは、新しい火の神になるでしょう」


 クイの身体はもう浮き上がっている。否、以前のような身体というものがすでにないのだった。かすんでいた視界がだんだんはっきりして、森の中を続いてきた自分の足跡がすぐ側で途切れているのが見える。


「歩きながら、祈りながら、あなたは人ではなくなった。自分がどれだけ長い間歩いたか知らないでしょう。自分がいつからか知らないでしょう? あなたはひとりでに人の縁を離れ、世界に身を捧げたの。わたしたち、そういう子どもをよくのよ」


 狼たちが次々と遠吠えを始めると、遠くで雷鳴が応えた。


「わたしじゃ焦げてしまうから、天裂姫スールカに連れてってもらうわね。ごきげんよう、小さな神の子。一人前になったら火と雪でも一緒に遊べるようになる。そうしたら、また会いましょう」


 何頭かの白い狼が、空中を歩いていく脚が見えた。辺りには粉雪が陽の光を受けて舞い散り、去っていく狼の一頭が振り返ると口元の毛皮を少し焦がしているのが見える。

 自分はどうなったのだろう。

 これからどうなってしまうのだろう。

 何も分からないのに不思議にいだ気持ちで漂っていると、そのうちに風がひとつ吹いて、淡い青や紫に輝く美しい女性が現れた。


「おや、きたのだね。わたしは天裂姫スールカ。雪の白冽姫アーキラにおまえのことを頼まれた。

 心のうちより出で来ることを、訊かれたらすぐに答えなさい。それが運命さだめを作ってゆく。

 おまえの望みはなにか?」


 クイは天裂姫スールカの、すみれ色の大きな瞳に見入る。そうしながら自分の心のうちに生まれてくることばを拾い上げる。


「私は、岩地にかえりたい。よい火種石エペを拾い、火をけて、おきを見たい」


 天裂姫スールカの長い髪には、まるで花を飾るように小さな雷の光が束ねて飾られている。ぴかぴかと輝くそれを見ていると、ああ、火にちかしい、と感じる。

 美しい天裂姫スールカは微笑む。胸が潰れそうなほどきれいだ。夜空を切り裂く閃光の神。


「では、おまえの名はなにか?」


 私は。


 頬に、手のひらに、足の裏に、肩に、懐かしい岩地の独特の熱と凸凹が触れたような気がする。

 熱気。火の気配。産地によって異なる火種石エペの香り。真っ赤に輝くおきの美しさ。

 私の愛するものたち。

 還るべきところ。


 私は。


 私の名前は。



 そうして、神さまの子はさなぎからかえる。

 歩き始めるまでの日々はまるで前世の淡い夢のように遠ざかる。

 今や、人間ではない。


 何故ならば、

 その胸の中にはもうずっと遠い昔から、

 のだから。



「――私は、十夜火姫エペフィヤ





 天裂姫スールカは実に気持ち良さそうに声を上げて笑い、その周囲には金銀の雷光が花吹雪のように散った。



「おまえの魂がるものこそ真実だわ。おまえは望んだものになれる。るより前からおまえは、火種の子、おきの魂のうつわであったのだから。

 さあ、天を駆けよう! 光ととどろきと、熱と火の粉を撒き散らそう。神になるとは、おのれの願いを知ることよ」



 生まれたての十夜火姫エペフィヤの手を天裂姫スールカが掴む。背骨まで伝わるしびれと光とが、この輝くすみれ色の女神が雷そのものであることを教える。

 黒い雲が襲い掛かってきて足元をすくい、天裂姫スールカ十夜火姫エペフィヤを天へ持ち上げる。十夜火姫エペフィヤは回転する。彼女は高い空を飛んでいる。夜空は太鼓のようにどろどろとうなり、その中を自在に輝きながら天裂姫スールカが飛んでいく。

 天を切り裂く光、雷光の神。火花。火のなかま。十夜火姫エペフィヤは嬉しくなって、あああおおおお、と叫ぶ。火打石カリヨプは太古の昔、十夜火姫エペフィヤ天裂姫スールカが一緒につくって大地に隠したのだ。っている。っている。この世界のはじめから、私たちはそうだった。この世界のはじめからおわりまでに存在する無数の十夜火姫エペフィヤ

 火よ、熱よ、輝いて地に隠れよ。時に種火石エペとなり火打石カリヨプとなり、おおきなものは火山となって、この大地を遠い未来まで動かしてゆくがいい。


 ああ、私は。



 私は、自由だ。







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