プロローグ5

  混乱する頭を切り替えて服の調達に向かった。

 マンションを出て、駐車場に止めていた軽のワンボックスカーに乗り込む。色気の無い車だが、仕事柄様々な機材を乗せられる車なので重宝している。それでいて軽自動車なので安価なのもいい。


 ウニクロは車で五分ほどのところにあった。

 どこの店舗に入っても同じような雰囲気のところで、普段着ている服はウニクロ製が多い。通い慣れているお店だけど、子供服のコーナーに足を運ぶのは初めてのことだ。別に悪いことをしているわけでもないのに、どうしてか人目が気になる。なので、吟味することなく適当にチョイスする。

 センス云々という浅葱の言葉が微かに胸に突き刺さっているけども、「どうせ、何を選んできても文句言われそうだしな」と、胸中で呟いた。


 会計を済ませて車に乗り込みマンションへと向かう。

 少女は一体何物だろうかと、再び思考に没頭する。

 浅葱は少女を”天使”と表現した。

 事実、睦月の感じた印象もそれに近い。DOORに蔓延るモンスターと遭遇した経験も豊富にある。すでに発見されているモンスターはデータベース化されているため、一通り知っているつもりだ。

 いわゆるゲームの世界に登場するスライムのようなものもいるし、アフリカゾウよりも大きな虎に似た猛獣もいる。普段装備している拳銃やショットガンで対処できるものもいれば、その程度では役に立たないような太古の恐竜のようなものまでいる。


 だが、あの少女のようにおとなしく、コミュニケーションの取れる種類の生物は報告されていない。少なくとも睦月の知る範囲では。

 ほんの一年前まで世界でトップの調査会社に所属していた人間である。DOOR調査の最前線にいたはずの彼には、下っ端とはいえ情報へのアクセス権は一般人とは比較にならない。その彼ですら知らないということは、これはもう新発見である可能性を否定できなかった。


「だけど、新発見っていうのは…」


 誰に聞かれる事もない呟きを口にしたところで、件のマンションが見えてきた。睦月が買物に出かけている間に、天使のような少女が突然牙を向いて、マンションが血の海に沈んでいる。

 そんな映像が一瞬浮かぶが、首を振って否定する。

 少女には危険な匂いが無かった。

 記憶喪失に慌てることも無く。

 縛られていることに震えることも無く。

 表情の乏しい少女であったが、敵意やそれに似たような歪な気配は感じられなかった。むしろ、睦月に懐いているような雰囲気すらあった。浅葱にもすぐに懐いたけども、彼女に連れられてシャワールームに行くときは、少しだけ不安そうな表情を睦月に見せていたくらいである。


「ただ今、戻りました」

「おそーい。湯冷めするじゃない」

「そういうと思ったから、これでも急いだんですよ」


 待ちくたびれてプンスカいう助手に買ってきたウニクロの服を渡す。天使のような翼を持つ少女は、タオルを巻いていて上には浅葱のコートを羽織っていた。


「うんうん。思ったより悪くないわね」

「…貶されないのは逆に怖いですね」

「何でもかんでも、文句は言わないわよ。失礼しちゃうわ。私を何だと思っているのかしら」


 そういって、別室に消えた二人は睦月の買ってきた衣装を着てから戻ってくる。天使というキーワードが頭にこびりついていたせいか、白を貴重にしたワンピース。サイズが不明だからワンピースならどうにでもなるだろうという安直な考えで買ってきたのだが、悪くは無いなと睦月も思う。もちろん、ワンピースだけでは寒いだろうから温かそうな上着も合わせている。


「すごい似合ってるわ。睦月君。子供服選ぶセンスあるんだね。さすがロリ…」

「やっぱりディすらないと気がすまないんじゃないですか!?」

「欲しがってるみたいだったから、つい」

「ついじゃないですよ、もう!…それで、買物の間にちょっと、考えていたんですけど。聞いてくれます。ちょっと、突拍子も無い話かもしれませんけど」

「いいけど。睦月君が26歳にもなって童貞っていう話だったらいまさらだけど?」

「っ!!?違いますよ。大体、去年再会するまでしばらく会ってなかったんだから僕の交友関係なんか知らないでしょうが」

「へえ。それじゃあ、お姉さんに話してみなさい。睦月君の女性遍歴…いや、男性?」

「ないですから。そういう話じゃなくて、この子の話です」

「めんご、めんご。冗談だよ。それで?」

「ええ、それでですね」


 睦月と浅葱の掛け合いなど我知らずという感じで温かいお茶を両手で抱えるようにして飲んでいた少女が、ようやく自分の話なのと顔を上げた。自分のことには興味があるらしい。睦月は一呼吸置いて、車の中で考えた答を口にする。


「この子は”未来人”かもしれません」

「…うん。もう一声欲しかったかな。天使が未来人って言うのは漫画か何か見たことあるような気がするし」

「いや、別に先輩を驚かせたいとかそういう話じゃなくてですね。真面目な話です。先輩聞いたことないですか?行き来が出来る二つのDOORの話」

「えーと、フランスとミャンマーだっけ?」

「イタリアとミャンマーです。飛行機を使わず一瞬でヨーロッパとアジアが旅行できるって発見当初かなり話題になったDOORです。どっちの国に権利があるんだとか使用料で揉めてていまだ運用に至ってないって言う話ですが、問題はDOOR間で移動できるタイプのものがあるって事です」

「なるほど、なるほど。つまり、このDOORは未来のDOORと繋がっていると」

「そういうことです。DOOR内の生き物が、人間の手を介さずにこちら側に来ることは出来ない。その前提を崩さずに考えるなら、彼女に羽が生えていようともこちら側の人間ってなるんです」

「でもね。睦月君。私も天使のように愛らしいけど、背中に羽は生えていないわよ」

「四捨五入したら三十路の人が何を言ってるんですか」

「うわー、セクハラだよ。セクハラ上司がいたよ。これはもう訴えないとだね。睦月君、いい弁護士知らないかしら」

「自分を訴えようとする人に弁護士を紹介するわけないでしょうが」

「残念」

「で、真面目な話。人間だって数百年前までは地べたを這いずっていたわけでしょ。それがいつしか二足歩行するようになった。だったら、いまから数百年後の人間に羽が生えていてもおかしくないと思うんです」


 力強く言い切った。DOORの可能性は無限大だ。同じく人間だって無限の可能性を秘めている。そう考えれば人間が進化した結果、羽が生えてもおかしくは無いだろう。睦月の示した可能性に浅葱が目をぱちくりとさせる。そして、睦月の意見を咀嚼するように間を置いて頷いた。


「うん。一瞬納得しそうになったけど、さすがに無いわ。それは無い。無いね」

「駄目っすか」

「駄目っす」

「いけると思ったんだけどなぁ」


 ぽりぽりと頭をかいていると不思議そうに浅葱が睦月の顔をのぞきこんだ。


「DOORの中に天使がいた。それじゃ駄目なの?」

「駄目ですね。この子が人間ならいい。でも、DOOR内の生き物だとして、それを公表したらどうなると思います」


 DOORを調査する会社でパートタイムの仕事をしているといっても、それはあくまで助手であり経験は僅か一年。DOORの存在そのものは現代を生きるものにとっては当たり前のものではあるけども、その知識量には偏りがある。DOORがもたらす影響にしてもだ。

 

「…っと、そういうことか」


 僅かな思考時間で、彼女は睦月と同じ結論に至ったようで納得したように呟き傍らの少女に視線を落とした。やさしい笑みだ。

 何が進行しているのか不思議そうに少女は無垢な顔で大人二人を見上げていた。

 どこからどう見てもただの少女だ。

 例え背中に羽が生えていても少女の愛らしさに変わりは無い。

 公表すれば何が起きるのか。

 DOORの安全性が覆る。

 それは大きな規模での話だ。


 だけど、もっと小さなところでは少女の未来の話になる。

 彼女は徹底的に調べられるだろう。

 世界中の機関がDOORについて解明しようと躍起になっているのだ。彼らは少女を”人間”とは思わないだろう。ただの”実験動物”あるいは”調査対象”。そこにはいかなる感情もこめられない。


「睦月君、どうするの」


 いつものふざけた感じのない浅葱の声色。

 睦月の中にはすでに結論は出ていたが、その答が”正しい”という確信はなかった。迷いが残っていた。一人ならともかく、これは浅葱を巻き込むことになるのだ。だが、


「…先輩。今日の調査データ。すべて抹消できますか?」

「忘れたの?調査中、通信異常が発生してたでしょ。何も残ってないわよ」


 睦月の意図を察して即答する浅葱に睦月はほくそ笑む。このとき二人の共犯関係は成立した。幼い少女を世界から守るために。


「そういえば、そうでしたね。僕としたことがうっかりしてました」


 睦月は少女と視線を合わせるようにしゃがみこむと、少女の柔らかな髪の毛をそっと撫でた。少女はうれしそうに笑顔を見せると睦月の手に「もっと撫でて」というようにその手を重ねた。






 DOORの内で通信障害が発生していたため記録なし。

 それがこの日の公式のレポートとなった。


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あとがき


読了ありがとうございます。

ようやくプロローグが終わりました。


次回から新展開。

睦月の所属していた調査会社が登場します。


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コメントなど返事しますのでお気軽どうぞ。

引き続き宜しくお願いします。

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