第35話 アリスと一緒に水族館(1)

 土曜日ということもあり、水族館は多くの人で賑わっていた。家族連れや、友達同士、そしてカップルなど様々で、皆思い思いに展示されている生き物を楽し気に眺めている。和気あいあいと、会話をしながら。それは、爽太のグループも同様だった。


「Hey look! Look! たかぎっ!(ねえっ、見て、見て! たかぎ!)」


 大きな水槽の前で、アリスが楽し気な声を上げている。頭上を泳ぐ魚を指差しながら、アリスは側に居る高木の服の袖を軽く引っ張っていた。高木が反応し、アリスの指し示した方向を眺める。流暢な英語を高木が理解しているのかは分からない。でもアリスの言いたい事はしっかりと伝わっているみたいだった。2人とも明るい笑みを浮かべ、魚の群れや、色鮮やかな熱帯魚などを目で追っている。

 突然、アリスが視線を別の水槽に向けた。そちらにはウミガメやエイなど大型の生物が多くいる。

 アリスが高木の袖をつまんだまま、そちらへピューっと早足で向かう。そのまま高木が慌てて付いて行く。2人の近くにいる細谷と爽太が、そんな彼女達に一歩遅れる形で後を追う。

 

 細谷が、爽太におもむろに声をかけた。


「アリスちゃん、すごく楽しそうだね」

「ん? ああっ、だな」


 水族館に入ってから、アリスは好奇心の赴くままに、あっちへこっちへとよく動き回る。おてんばなお嬢様、といった感じだ。


 爽太はつい苦笑する。でも内心ホッとしていた。なぜなら、水族館に着くまでの移動時間、アリスは時々浮かない表情を覗かせていたからだ。楽し気な雰囲気がありながらも、爽太にちらりと遠慮がちな視線を向ける。その度に爽太の心音は跳ねた。


 や、やっぱ、アリスは俺と一緒に遊びに行きたくないのかなぁ……。


 そんな思いがずっと付きまとっていた。アリスが水族館でも楽しそうじゃなかったらどうしよう、という不安も募るばかり。でもそんな心配は無用だった。


「Wow!! Very cute!!(わあっ!! すっごく可愛い!!)」


 水槽の前で、アリスの明るい声がはじける。爽太は何ごとかと、アリスに顔を向けた。アリスと高木の前を、大きなエイがお腹を見せながら横ぎっていた。

 アリスが高木に何やら熱のこもった英語で伝えている。聞き慣れない英語が爽太の方にも聞こえてくる。何て言っているのか、今の爽太に日本語で訳す力はない。それでも意味は分かった。


『エイの裏側って、顔みたいに見えるねっ!』


 アリスが、丸くて愛らしい瞳を、自分の手で押さえ引き伸ばしていた。目が少し下気味に、横長に伸びる。小さな口は漢数字の『一』みたいに引き締められていた。薄い唇の両端に、愛らしい笑いジワが出来ている。愛嬌に満ちた変顔に、高木が笑い声をあげた。


「あははははっ! アリスちゃん! す、すごく似てるっ! あははははっ!!」


 その笑い声が嬉しかったのか、アリスはエイの顔マネをしたまま、体を揺すったり、時々小さな口をパクパクと動かしたりしている。


 高木が益々楽し気な声で笑う。近くにいる細谷や爽太も、つい口元から笑いがこぼれた。


「くくくっ、ア、アリスちゃん、モノマネが上手だねっ」

「あっ、ああ、そ、そうだなっ。くくくっ」


 爽太は柔らかい口調で細谷に返事をしながら、ふと思った。


 そういや、アリスが俺らの学校に引っ越してきたときも、なんか似たようなことしてたな。

 それは、爽太とアリスが初めて一緒に掃除当番になったときのこと。あのときのアリスは、ホウキにまたがってジャンプして。空を飛びたい魔女のモノマネをしていた。


 あのときは、高木の前でピョンピョン飛び跳ねて、笑わせてたっけ。そして、俺の方にも来てくれて。同じようにピョンピョン飛び跳ねてさ。

 爽太の顔が笑顔で緩む。気持ちがどんどん、ふわりと軽くなっていく。そう、まるで、あのとき舞った、アリスの水色のスカートみたいに。


 んっ? 


 爽太の頬がピクっと緊張で動く。バッ、バカか俺は……。い、今、な、なんでアリスのスカートも思いだすんだよ。


 忌まわしき記憶もふわりと浮かんでしまった。魔女のモノマネ、飛び跳ねるアリス、ふわりと舞う水色のスカート。それを俺が、両手で上に持ち上げて――、


「ねえ、爽太くん」

「つっ!?」


 細谷に呼びかけられてハッとした。爽太が細谷に振り向くと、ニコニコと笑っていた。


「今、アリスちゃんと仲良くなるチャンスだよっ」

「へっ!? な、仲良く!?」

「うんっ。ほら、アリスちゃん、あんな楽しそうにしてるでしょ。僕たちももっと側に寄ってさ、エイのモノマネ褒めたり、一緒に笑ったりしよっ」


 細谷が力強い目で訴えてくる。爽太は思わずたじろいだ。


 た、確かに。ほ、細谷の言う通りなんだけど。お、俺、今、余計なこと考えちゃって、その……、スカートをめくったことを。


 爽太の額に嫌な汗が滲む。お、俺のバカッ! スカートのこと思いださなきゃ、気楽にアリスに話したりできたのに!!

 もうスカートめくりの事を許してくれているとはいえ、やはり自分自身の行いを思い返すと恥ずかしい。


 爽太の額に嫌な汗が滲む。だが、細谷は爽太の服の袖をキュッと掴んだ。


 いっ!? ほ、細谷!?


 そのまま細谷が、高木とアリスに近づいていく。


「あっ、細谷くんっ! あのね、アリスちゃんがさ」


 高木が楽し気な声を上げる。細谷がニコッと笑った。


「うん。アリスちゃん、すごいモノマネ上手だねっ」


 細谷がアリスに顔を向ける。今もエイ顔のモノマネ中のアリス。今度は細谷に向けて、いたずらな顔を向ける。細谷が楽し気に笑い声を上げた。


「あははははっ! うん、すごく上手! えっと、ベリーナイスッ」


 うおっ!? ほ、細谷なにそれ!? えっと、ほ、褒めてんのかな?


 爽太がそう思っていると、アリスの様子が変わった。リズミカルに体を左右に揺らし、ふすふすと何やら口元から可愛らしい音が聞こえる。どうも嬉しがっているみたいだった。

 爽太の気持ちが高ぶる。ちょっ、ちょっと面白い。いや、これ、む、無理。


「くくっ、ぷふっ! あははははっ!!」


 爽太はこらえきれず、笑い声を上げた。すると、アリスがぴたりと動きを止めた。エイの顔マネをしたまま、爽太に体ごと向ける。そして、急にエイ顔のモノマネを止めた。端正な顔付きに戻ったアリス。なぜか気まずそうにチラチラとこちらに視線を向けてくる。


 いっ!? な、なんで、アリスそんな困ったような仕草を!?


 爽太は思わず固まった。急に場の空気が鎮まった事に、焦りがこみ上げる。


 お、俺、笑ったの悪かったかな!? い、いや、でも、アリスが笑かそうとしてたんだから、別に俺が笑っても問題ないと思うんだけど……!?


「そ、爽太くん! アリスちゃんのモノマネ、すごく上手だったよねっ!」

「へっ!? あっ、お、おう! そう、そうだよなっ! えっと、ア、アリス! その、え~っと、なんだっけ……。あっ! そうそう! ナ、ナイス! すごいナイス!!」


 爽太は何とか思い出した英語を力強くアリスに伝えた。きっとアリスも、細谷みたいに嬉し気な様子を見せてくれるはず。

 そう思った爽太だが、違った。アリスは顔を強ばらせてしまった。目線が下気味になり、両手を前にして、落ちつきなく動かしている。頬がほんのり赤いのは、気のせいだろうか。


 ど、どうしよ!? アリス、ぜ、全然喜んでくれないじゃん!? えっと、ど、どうすれば!? う~ん……、あっ、そ、そうだ!! お、俺もアリスを笑かせばいいじゃん!!


「ア、 アリス!! み、見てくれ!!」


 爽太は大きな声を上げた。アリスの視線が爽太に向く。それを見計らって、爽太は自分の目を両手で真横にグイッと引き延ばした。そして、口元も引き締める。爽太は、めいいっぱいのエイ顔のモノマネを披露した。


 こ、これでアリスは笑ってくれるはず!!


 だがアリスの表情は、逆に硬さを増した。顔は赤くなっていた。


 なっ!? ええっ!? ア、アリス!? や、やべえ!? お、怒ってる!?


 爽太が内心粗ぶっていると、アリスがタタッと駆け出した。どうやら、次の水槽へ移動するようだ。


 高木が小声で言った。


「アリスちゃんをおちょくってどうすんのよ、このバカッ。待って! アリスちゃん!!」


 高木が慌ててアリスの後を追いかけていった。


 そ、そんなつもりは全然ないんですけど……。


 爽太は力なく心の中で呟いた。エイ顔のモノマネをしたまま。

細谷が小さく声をかけた。


「そ、爽太くんっ、だ、大丈夫だよ。アリスちゃん、たぶん恥ずかしかっただけだと思うし。ほ、ほら、自分のマネされて、びっくりしたというか……。き、きっと、タイミングが合わなかったんだよ! ぼ、僕は爽太くんのモノマネとても面白いと思ったよ……! ア、アリスちゃんもほんとは面白いって思ってたんじゃないかなあ~……! あははっ、ほ、ほら、爽太くん! まだ仲良くなるチャンスはあるからさっ! ぼ、僕達も行こう!」

「……、そうだな、はぁ~……」


 エイ顔のモノマネをしたまま、爽太は弱々しく呟いた。細谷に服の袖を引かれ、変顔をしたままの爽太は、水族館内をゆらゆらとした足取りで進んでいった。

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ガールフレンドのアリス  @myosisann

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