03 最大多数の最大幸福

 ナガラが日本拠点長に呼び出され、そのあまりにも白すぎる部屋を見せられたのは、ギルドに籍を置いて二週間が経った頃だった。

 連行されたのは、二十代前半だろうか。まだ若い男だった。


Ayrı離せ!! Ben ne yaptım俺が何をしたってんだ?!」


 英語ではない。聞いたことのない異国の言葉で喚き立てる彼を、三人の男が力で押さえつけ、引きずって……。

 閉ざされた扉から出てきたのは、三人だけだった。

 男が何をしたのか。どこから来たのか。これからどうなるのか。

 ナガラは何も知らなかった。

 知っていたら何かできたのか、と問われても、首を縦に振る自信は未だにないけれど。

 

 脳裏に焼き付いて離れないのは、ひと月後に見せられた監視カメラの映像だ。

 男は何もない部屋の中央でぐったりと横たわり、干からびたように痩せ細った手足を目的もなくただ蠢かせていた。その瞳は、解像度が高くない監視カメラの映像でもわかるほどに虚ろで、何に反応しているのか、時折恐怖の色を湛えた。

 

 彼が死んだと聞かされたのは、それから間もなくだった。

 死因は、餓死。

 命を維持するに足るだけの食事は毎日運ばれていたにも関わらず、だ。


井深イブカさん」


 ナガラは廊下の先を歩くダークグレーのスーツの背中を追った。井深 慧思イブカ・ケイシ――ギルドの日本拠点長は、常に被っている中折帽を優雅な仕草で左手に取ると、クルリと振り向き、柔らかく笑んだ。どこからどう見ても、穏やかな紳士。しかし他でもないこの男が、白い部屋の男を殺した事をナガラは知っていた。


「なぜ、あの男は殺されなければならなかったのでしょうか」


 掌にきつく爪が刺さる。痛みが腕を駆け上がる。熱い何かが腹の底で蠢いている。

 突如得てしまった望外の力を、必要としている誰かのために使うため。その道しるべを与えてくれるのがギルドであると言われたから、ナガラはここに来たのだ。救いを求めて。

 誰かを殺したいわけじゃない。

 誰かの役に立ちたいのだ。

 この大きすぎる力を、必要とする人のために使いたい。誰かを傷つけるのではなく、誰かを救うために。

 ナガラの鋭い目がより一層細められ、イブカを睨みつける。男の次の言葉次第で、ナガラはすぐにここから離れようと決意を固めていた。


「あの男は、どうして……!」

「あの男が、〈万年筆〉の使用者だったからだ」

「使用者……?! だったらここで」

「世界には、平和のために排除されなければならないリリクトが三つある」


 腹に重く響く声だった。響きの消えぬ声だった。腹の奥底にガツリ、と響いたそれがゆっくりと溶け出すと同時、今度はそこに硬い何かが残った。彼は、「排除」と言わなかったか。


「排除されなければならない……?」

「そうだ。君の〈外套〉や私の〈帽子〉は体力を使って使用する。故に、力を使ったあとには体がひどく疲れてしまう。しかし、それだけだ」


 イブカはひらり、と自らの手にある帽子を一度回して見せた。

 丁寧に手入れはされているが年季の入った黒の中折帽は、彼のリリクトだ。それを使うことで彼の脳は通常の何倍にも回転し、何百、何千の可能性を見通して策を練ることができるのだとナガラは仲間たちから聞いていた。だからこそ、彼は日本拠点の長となったのだと。

 思わずそれに目を奪われていたナガラは「しかし」というイブカの言葉に意識を引き戻された。もう一度、しかとイブカを見据える。

 目の前の紳士の顔から、笑顔は消えていた。


「リリクトは体力で制御するものだけではない。もうひとつ……精神力で制御するものがある」

「精神力?」

「そうだ。精神力とひと言で言うのは簡単だが、それが何を示すのかを分類するのは難しい。それは時に感情であり、根性や忍耐と呼ばれるものでもあるのだ」


 言い含める声音で告げたイブカが一度言葉を切る。彼の言葉にナガラは眉を顰め、「どういうことだ」と無言で先を促した。


「君が精神力と聞いて何を思い浮かべるかは知らないが……精神力というものの大半は確実に感情が占めている。根性や忍耐とて、強すぎる感情の前では形無しだ。そして感情とは、常に制御しきれるものではない。特に怒りや悲しみ、そこから生まれる復讐心などは簡単に制御不能になる」


 イブカはゆっくりとした動作で中折れ帽を頭に乗せる。その手を下ろさないまま、彼は鋭い目線をナガラに向けてきた。

 思わず、左足が半歩下がる。


「要するに精神力で制御するリリクトは、感情で制御するものと同義なのだ。私たちのリリクトよりもあれらは遥かに制御が難しい」


 半歩下がった足がそれ以上下がってしまわぬように、ナガラは下腹に力を込めた。

 納得がいかなかった。

 制御が難しいから何だ。その方法を教え、力を正しい方向に使うことができるようにするのがこの場所ではないのか。

 自分はこの場所に救われた。

 しかしこの場所が「見捨てる」人間は、一体誰が救ってくれるというのだ。


「制御が難しいが強大な力を持っているのが、精神力で扱うリリクトだ。もしあれらが暴走すれば、大きな被害が出る」

「……しかし!」

「守屋長良。君は勘違いをしている。ここは決して、使用者を救う場所じゃない。最大多数の最大幸福を叶えるため、可能な限り使用者を保護しているだけだ。そしてその三つのリリクトの使用者は……世界の脅威にしかならない」


 イブカが冷たく言い切った。

「そんなこと言ったって、リリクトを使用者は選べない」と言いかけたナガラを遮って、イブカが続ける。


「覚えておきなさい。排除しなければならないリリクトは世界に三つ。〈片眼鏡モノクル〉、〈懐中時計〉、そして〈万年筆〉だ」







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月下の悪魔 宮守 遥綺 @Haruki_Miyamori

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