第30話 「 正論の別れ道 」

 ビキ、バキ……ビキビキビキビキッッッ! という不吉な音と一緒に池の周囲に放射状のひびが走った。そのすぐあとにマルコたちも池に到着した。その一団にはミイ姉さんという巨大なホルスタインが付いてきているが、なぜミイ姉さんが後を追ってきたのかは、飼い主でありマルコにも分からなかった。


「これは一体……どうなっているんでしょうね」

「私には、分からないけど……」


 何か大変なことが起きていることだけは、マルコにもアニールにも伝わっていた。

 池の中央から放射状に広がる地割れ。そこかしこの動物が山の頂を目指して駆けていく姿。不気味に続いている余震のような揺れも、いまは小さな地震ほどになって恐怖を煽っていた。


 そんなんか、カルネを探してマメがキノコに言う。

「まさか、姐さんが何かしちまったんじゃねぇかなあ?」

「何かって何だよ。こ、こんな地割れみたいなこと、いくら姐御が気の強いお人だからって、出来るもんじゃねぇよ。山の神様がしこでも踏んだんだ。そうに違いねぇんだ」

「いや、だけどよぉ、キノコ。もし、もしもだぜぇ? もし万が一マルコの旦那が話してくれた祟りってやつのせいならばよぉ」

「ハッ、何だマメ、ンなこと信じてんのかい。そんな祟りなんて方便に――」


『それがあるのよねぇ』

 キノコの言葉を遮るように、ミイ姉さんがひと鳴きした。話がしたかったわけではない。足を止めないでねと伝えたかったのだ。

 びくっと肩を震わすマメとキノコは少し後ろを振り返る。ひょろりと背の高いキノコでもミイ姉さんの鼻先に頭が届かないのだから二人の驚きも納得がいくだろう。


「マルコの旦那の牧場で見たときにも思ったが」

「この大きさには肝が抜かれそうだよなあ」


 と二人は顔を引きつらせながら池に向かって足を出した。

 そして、足を向ければすぐに目に入るカルネの姿。しかし、カルネを見つけて「ああ、よかった」と胸を撫で下ろす者は誰一人いなかった。

「カルネ、さん?」


 詰まるように名を口にするのはマルコ。十メートル前後の距離を置いて立っているカルネの手には猟銃が握られていて、さらにその数メートル向こうには、大きな猪と、その猪に覆いかぶさるようにしている真っ白いヤク。妙なのは、オーバーオールを着たヤクの子供の白い体毛が、所々真っ赤に染まっていることだ。


「――ッ!」


 走っていた。まるで胸の中に腕を突っ込んで、心臓を直接握られた様な痛みと苦しさがマルコを襲っていた。そしてそれはマルコだけじゃない。後を追うアニールたちにも、ミイ姉さんにも言えることだった。


 マルコは大きな猪に覆いかぶさるルチルに駆け寄り身体を見る。

「大丈夫かい! 怪我をしたのかい!」


 声をかけながら赤く汚れた場所を注意深く観察し、怪我がないのか一つ一つ確認する。

 その途中で、ルチルはふと頭を上げた。

 その場に集まってくれた全員を確かめるように視線を動かして、一つの所で目を止めるとクシャリとした唇を突き出した。


『ミルク姉さん……山ヌシ様がぁ……』


 ミイ姉さんはルチルの不細工な顔を向けられ、わずか息を止めて目をつむった。自分を落ち着けるように呼吸をしてから、ルチルに歩み寄って肩を抱く。


『ルチル……何があったのか、教えてちょうだい』


 ルチルはミイ姉さんと山ヌシの間で視線を往復させると、たどたどしく話し始めるのだった。

 ――そして、ミイ姉さんが話を聞いている、その間。

 マメとキノコもなにがあったのかと、猟銃片手に立ち尽くすカルネに詰め寄っていた。


「姐さん! いったい何があったんです。猟銃と猪と子牛と。あっしにゃこれっぽっちも分からねえ。いなくなった後、なにがどうして今みたいになったんですかい!?」

「そうですぜ、姐御。マメの言う通りだ。姐御にゃ話さなけりゃならねぇことが山とありますぜ! 村長さんにマルコさん、たくさん心配してもらったんです。訳を話すことが礼儀ってもんでしょう」


 しかし、カルネは。


「……ったく、本当に馬鹿な連中だね。どうしてアタイが心配されなくちゃならないんだい。アタイが心配しとくれよと頼んだわけでもないのに。それとも、お探し下さい居場所は池ですと書かれた置手紙でも見つけたかい? 違うだろう。勝手に追いかけてきて、勝手に心配したんだろう。何がアタイには話さなきゃならないことがあるだ。いい加減にしとくれよ。もううんざりなんだよ! ここまでは付き合ってくれてどうもありがとうございましただ。だがこれ以上は必要ないんだよ。どこでも好きなところに行って、若い女の乳でも吸っていりゃあ良いだろう。ほら、もうお別れは済んだよ。とっとといなくなっておくれな!」


 カルネはそういうと一向に背中を向けて腰に下がった砂金入りの革袋を握りしめた。常よりもっとひどい言葉遣いだとカルネ自身も思ったが、荷物を担ぐカルネは振り向かずに続ける。


「ああ、それとねえぇ。ここはもうじき大変なことになる。まあ、周りの動物たちの慌てようを見ていれば分かることだから余計な世話かも知れないけどね。伝承が正しいなら、天変地異クラスの大災害が――超巨大な鉄砲水が下流にあるものすべてを押し流すはずさ。お前たちも死にたくないなら ―― ッ!」


 そのとき、肩を掴まれ無理やり振り向かされたカルネの頬に、ゴグッ、と。げんこつが叩き込まれた。重たい音と一緒にカルネの足がふらつく。


「へっ……痛いじゃないか」


 殴った相手を見上げて見れば、握った拳を震わせるキノコと目が合う。これにはマメもマルコもアニールも、ただ唖然としていた。


「なんて、なんてことをしてくれたんだ、姐御ぉ! そんなことしたら村は――姐御を助けて、うちらを世話してくれた村の人はどうなるってんだ!」

「……。がなり立てるんじゃないよ。アタイは大したことなんてしてないんだからね。ただ池の中に石柱があって、その足元から砂金が湧いているようだったから引き抜いてやった。ただそれだけさ。それの何がいけないんだってんだい?」

「なにが……? 何が、だって!? 姐御は知っていたはずだろう。だから死ぬ前にここを離れろと言ってくれたんだろう! そんなあんたが何も知らねぇはずはねぇんだ。ヘビがのたくったような古文書を読み進められる姐御が分からねぇはずがねえんだ。それなのに、どうしてです、姐御!?」


「――仕方ないだろう!!!!」


 それはカルネの咆哮だった。キノコの襟を引っ掴んで力任せに引っ張ると、鼻の頭がぶつかるくらいの距離で怒鳴った。


「だったらどうすればよかったんだい、えぇ!? こんなところまで旅してきて、時間もどんどん少なくなって……キノコ、まさかお前、アタイの妹なんて苦しんで死ねばいいとそう思ってんのかい!?」

「そんなわけねぇさ! でもほかに方法が――」

「ならその方法ってやつをご教授願えませんかってんだよ! アタイだってみんなが笑って大団円が良かったさ! でも、そんな方法なかっただろう!? 今までの長い旅の中に一つでもあったならそれに飛びついているんだよ! じゃあ最後に残った方法に駆けるしかないだろうがよ! その方法がこれだったんだ。それの何が悪いってんだい!」

「悪いね……決まってんでしょうが! 人ひとりが好き勝手にできる命は一つきりだ。知り合いでもねぇ、ましてやそれが親切にしてくれた相手なら勝手に奪って言い通りなんて微塵もねぇんだ! それこそ、こっちが命を懸けて恩を返さなきゃならねぇって言うのに、なのに、姐御は……ッ!」


 睨み合うカルネとキノコ。二人の言い争いにしかし、その場の誰も答えを用意できなかった。


 理想じゃない。

 二人とも正論なのだ。

 ただ焦点が違うだけ。

 だから決着がつかない。


 カルネは舌打ちをして突き放すように襟から手を離すと、ついでのように前蹴りを入れる。尻もちをつくキノコから二歩三歩と後ずさり、背中を向けて山を登った。


「ふん、余計なことで時間を食っちまった。アタイはアタイの方法で妹を助ける。もう追ってくるんじゃないよ。――じゃあね」


 山の上を目指して歩くカルネはそれきり振り向かず、鬱蒼と生い茂る木々の間に消えていった。引き留める声はなかった。マルコもアニールも、別れを告げられたマメもキノコも。言葉が見つからなかった。


 そして――。

 人間の都合などお構いなしに、事態は進んでいく。不気味さを感じさせる静かな地震は少しずつ揺れを大きくし、放射状に広がる地割れは深く広くなっていた。


 カルネの言葉をどこまで信じていいかは分からない。しかし、地震と地割れという山で起きたらその多くが一大事になることを知っている山村育ちのマルコ達は、その危機感から行動は早かった。


「マルコ、私いかなくちゃ」

「ええ、早く村のみんなに知らせましょう」


 マルコは申し訳なさそうにうつむく二人を見る。

「お二人は早く山の上に避難してください」

「私たちは村のみんなに伝えてから後を追いますので」

 微笑み言うマルコと、アニール。


 その対応にマメとキノコはぐっと息を詰まらせて、半秒。二人は顔を上げた。

「いいえ、うちらもご一緒させてくだせぇ。これはうちらの仲間がしでかしたことです。おめおめと先に退散できるはずありませんや。なあ、マメ」

「ああ、そうともさ。仲間がしでかしたことなら仲間が後始末しなくちゃなんねぇ。それが、ここまで大きなことならなおさらですぜ。何よりあっしらには恩がある。何の役に立つかは分からねえが、このマメだって、村人の二人位抱えて走て見せまさぁ」

 どん! と胸を叩いて二人はうなずいた。


 マルコとアニールは二人を見てクスと笑う。

「なら、お願いします。僕たちの大切な人、守ってください」

「たとえ村が流されたって、みんながいれば何とかなりま……ううん、何とかして見せますよ! 村長の名に懸けて!」


 四人は互いに笑いあって行動を始める――直前で。

『どうやら、話はまとまったみたいね』

 ヌウ、と。顔を出す超巨大ホルスタイン。ミイ姉さんは号令のようにひと鳴きすると、マルコとアニールの襟を咥えて、勢いよく自分の背中に放った。何かコツでもあるのか、二人ともちょうどまたがる格好で着地できるのだから素晴らしい。

 変わってキノコとマメは、突然後ろから尻を突き上げられてごそごそした手触りの毛むくじゃらにまたがっていた。なんだと思って股の間を見てみれば、大の大人が二人跨ってまだ余裕のある背中の持ち主、巨大猪の山ヌシ様が鼻から息を吹き出していた。あまりに恐ろしい傷だらけの面貌に何もできず、マメとキノコは固まる。


『俺が気を失っている間、どんなことを言い合っていたのか分からんが、しでかしたのはぬしらの仲間。であれば無理にでも付き合ってもらうぞ』


 一般のホルスタインや猪が『小さい』といえるほどの二頭の獣に担がれて、マルコとアニールは後のことを察し、キノコとマメは頭の中を白くする。

 そして、そんな巨体を有する二頭の陰からオーバーオールを着た真っ白い子供のヤクが『ヤバヌジザマガイギデダー。ふえぇぇぇぇぇ!』と泣きながら姿を現す。


『まったくこの子ったら……ほおら、ルチル。もう泣かないの。山ヌシ様が生きていてうれしいのは分かるけど、今から村の人たちを助けに行くんだから、ね?』

『ぶへぇびゅぅ……分かってますげどぉ……グシュゥ』


 ルチルの涙は止まらない。あの時、カルネから見れば巨大な猪を撃っただけに見えていたが、ルチルには人が撃たれているように映っていたのだからショックは計り知れないものになっている。

 だが、撃たれた当人は樹木への全力体当たりで気を失っていただけで、傷といえばごわごわした毛と厚い皮と盛り上がる筋肉で相当威力を押さえることはできていたのだから、散弾銃に撃たれたことなど微塵も気にした様子はない。痛かったし傷は増えたが、それだけだ。


 だからルチルに対する対応も塩分高めだ。

『ルチルとやら、泣き止め。そんなことではまともに走れんぞ。村人を殺す気か』

『そんなつもりはありません!』


 ぷうと頬を膨らませて涙を腕でごしごしするルチルは、ミイ姉さんの隣に並んだ。

 それを合図と取ったのか、ミイ姉さんが言う。

『じゃあ、急ぎましょうか』

 そして、信じられない速度の下山が始まった。

 

 

 それから――ちょうど五分が経った頃。

 一行が人間には真似できない速度で下山している途中、一際強い揺れが山を真下から持ち上げるように発生した次の瞬間に、さっきまで痛い毛の直径をはるかに超える水柱が天高くまで噴き上がった。


 まるで伝承にある――池の底で眠っていた龍神が、吠え猛る姿のように。

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