第22話 「 本当と嘘の狭間 」

「あんたらがアタイを助けてくれた連中かい?」

 それは翌日の昼、診療所前に立つ木の下で起きた会話だった。


 存分に枝葉を広げた木陰で膝の上に広げていた古めかしい書物をパタンと閉じて、カルネは普段着代わりのラフなワンピースに上着を羽織った格好で、声をかけてきた二人と一匹に顔を向けた。


「あの二人なら今はいないよ。それとも、礼が欲しくて来たのかい。ハッ……助けてもらって悪いんだがね、助け賃なんて渡せないよ。医者の先生に渡すだけで精いっぱいでね。わかったら、とっとと――って、アタイの顔はそんなに面白いかい?」


 気付けば、クスクス笑うアニールとマルコ。少し慌てた様子で、けれど笑みは崩さずに謝る。

「ああ、ごめんなさい。そうじゃないの。昨日、あなたのお連れの方から聞いていた通りだなって思ったら、なんだかほっとしてしまって。ねえ、マルコ」

「そうですね。マメさんとキノコさんが教えてくれた通りの人だったので、なんだか緊張が取れたって言うか。もちろん、沖にさえ割ったのなら謝ります。ごめんなさい」

「……あの二人がねえ。ふん、どうせろくでもないこと聞かされたろう」

「いえ、カルネの姐御は凄いお人だ、と言っていましたよ」

「ええ、芯の通ったすごい人なんだ、って言っていたわ」


 そう言われて、昨日どんな話がされていたのか察したカルネは下らない冗談を聞いたように肩を竦めた。日差しが漏れる木陰に気持ちのいい風が吹く。背中を幹に預けて一向に目を向けるカルネは、睨むように表情をしかめた。


「まあ、あの二人が何を言ったか知らないけどね、あまり真に受けないでおくれよ。あいつらの言うことは誇張が過ぎる。アタイは見ての通り良い人間じゃなければ、口だって汚い。坊やたちが関わっていれば、きっとろくなことにはならないんだ。とっとと帰るんだね」

「でも、あなたは故郷を助けたくてここまで来たんですよね」

 ポンと、ルチルの頭に手を置くマルコは、カルネに尋ねた。


「それが何だってんだい」

「本人がいない席で色々聞くのは、その、気が引けたんですが……」

「聞いておいて、今更遠慮すんじゃないよ、まったく」

「そう、ですよね――なら、率直に。カルネさんの故郷はいま『五年掛かり』の蔓延に苦しんでいて、それを何とかするためには大量のお薬が必要なんですよね」

「……、ああ。そうだよ」

「けど、最近まで呪いや祟りだと信じられていた『五年掛かり』の薬はとても高い」

「あの二人からどこまで聞いてるのか知らないが、うちの村じゃ、いまだに呪いだのなんだので、てんやわんやだけどね」

「確かにこれは、一般に広まっている上方じゃないです。二ペソだって、商業都市のナナチカに通じる道が通っていなかったら、きっと知らなかったはずですから」

「……ふん。良かったじゃないか。仮にこの村がアレに襲われても、すぐに対処できるんだから」


 まあ、あれは二ペソのような潤った土地じゃ罹らないものだけどね、とカルネは膝を持ち上げる。ワンピースの裾が大胆に持ち上がるが気にした様子もなく組んだ両手をその上に乗せた。


「それで? 何が言いたいんだい。アタイの村が『五年掛かり』に侵されているからって、あんた達にどんな関係があるってんだ。無駄な応援なら必要ないよ。――それとも、何いかい。あんたが薬を用意してくれるとでもいうのかい? あんな……人様の足元を見た、馬鹿げたほどの高価な薬を! 子供のあんたが! どうやって! 魔法でも使ってくれるというのかいっ!?」


 カルネは荒くなってしまった言葉と呼吸を落ち着けるため、大きく息を吐いた。自分でも驚くほどざわつく胸の内を抑え込んで、もう一度マルコたちに目を向けた。見れば二人と一匹は身体を固くさせて気圧されている様子だった。ため息が漏れる。


「……、どうだい。アタイはこんな女さね。命の恩人に声を荒げるような、不良品さ。それが証拠に、あんた達に礼の一つもありゃしないじゃないか。――ほら、嫌な奴だろう? 分かったら、もうあっちへ行きな。アタイは本を読まなきゃならないからね」


 そういうと、カルネは古い書物のページを開いた。話は終わりだとでも言うように。

 それはマルコたちに衝撃を与えた。二ペソという温和な土地で大声をあげられたこともそう。言葉の荒々しさもそう。何より、カルネが自身の言葉をおそれでも抑えてくれていることに気づいて、だから、言葉が詰まった。悲しくなった。


 マルコとアニールは悲しく困ると互いを見合わせて、マルコが言う。

「僕は、カルネさんがどんな思いでここまで旅をして来たのか、知りません。きっと、僕には想像することだってできることじゃないんだと思います。――でも、だからこそ」

「……、しつこいね。坊やは」

「なんて言われても、思われても、僕はカルネさんを手助けしたい。僕のできることなんてちっぽけなものかもしれないけれど、やりたいんです」

「そうかい……」


 マルコの真っ直ぐな視線を横顔に受けて、カルネは本から顔を上げなかった。呟きを残して、凪いだ表情のまま口を閉ざした。


 それでも、続ける。伝えるために。

「三日後に、きらら祭りっていうお祭りが開かれます。本当なら、今すぐに手伝いたい。カルネさんの力になりたい。けど、僕は牧場主で、アニールさんは村長さんで、お祭りが終わるまで手が離せない。でも、それが終わったら、出来るかもしれないんです」

 ――カルネさんの村を救うことが。

「聞いていますよね、マメさんとキノコさんから。砂金のお話。本当は少し……言おうかどうか迷いました。おとぎ話みたいなもので、期待だけさせちゃうんじゃないかとか、もしもその話が出鱈目だったらとか、いろいろ考えて。けれど、カルネさんは聞きたいんじゃないかって。でもマメさんやキノコさんから聞いた貴女は、自分の身体を治しているときにも何かをしなくちゃと気持ちを焦らせている人だと思ったんです。あてどない、草の根を分ける作業が出来てしまえる人だから。なら、その間。体を治している間、僕が、僕たちがお手伝いできれば、カルネさんもほんのちょっぴりでも安心して療養出来るんじゃないかって思ったんです」


 マルコは捲し立てるでなく、落ち着いて自分の気持ちを伝えた。伝えて、しかしカルネは手にした古い書物から視線を動かすことはなく、言葉を返すこともなかった。

 温かい日差しが降り注ぐ昼時。木陰で凭れるワンピース姿のカルネと、寂しげな瞳のマルコ達。柔らかい風は一向に蟠るなにかを拭い去ってはくれない。


 ほんのわずか。言葉を継ごうとしたマルコに、その服の裾を引っ張って止めに入るアニール。小さく首を振って見せるその表情は、口を引き結んだものだった。

 村の生活音。子供たちの笑い声。男衆が、奥様達が、村の喧騒が、近い祭りに笑っていた。なのに――。アニールは一つ大きく呼吸をして、合図とする。


「じゃ、じゃあ私たちもう行きますね。お大事にしてください。……マルコ」

「そうですね……早く元気になることを祈っています」


 アニールに促される形でマルコはその場から踵を返した。

 だが、ルチルの足は躊躇していた。先に歩き出したアニール、それを追う形になるマルコの後ろ姿を見やって、ルチルはカルネに視線を戻す。

 何が言いたいでも、何が言えるでもない。

 だから逡巡する。纏まらない思いが頭の中で思考の糸くずになる。


(……カルネさん)

 ルチルは先に行った二人とカルネを交互に見て、晴れない気持ちのまま後を追おうとした――そのとき。


「待ちな」


 小さな声だった。マルコやアニールまでは届かない、かすかな声。

 ルチルが声に振り向くとカルネがすぐそこに立っていて、次の瞬間、ぎゅっと抱きしめられていた。


「ありがとうよ。助けてくれて、本当に、ありがとう」


 あまりに唐突で、突然の変わりように戸惑いと驚きを等分に混ぜ込んだ気持ちになるルチル。カルネは目の前にいる真っ白な子供のヤクの頭や頬を撫でながら、優しく微笑んで見せた。


「はっきりとは覚えちゃいないんだがね、溺れたとき、薄れる意識のうちで見た気がするんだ。お前の白い毛と、オーバーオールの肩紐らしきものがね。お前なんだろう? アタイを助けてくれたのは。本当に、ありがとうねぇ」

『え、ちょっと、あのう!』


 実際はわたわたと慌てていても、現実には子牛が「モフゥ!?」と鳴くだけ。中身が人間であっても、今は牛だ。言葉は通じない。ーーいいや、だからなのだ。カルネの言葉が続くのは。


「アタイだって、子牛に何を言ったって意味がないことくらい分かっているんだ。それに、あの二人が本当にアタイなんかの為に心配してくれていることだって伝わってる。けど、けどねぇ……でも駄目だ。駄目なんだよ。それじゃあ、間に合わないんだ。だからさぁ、お前からあの二人に謝っておいてくれな。薄情ですまない、ってさあ」


 カルネはじっとルチルの瞳を見つめた。見つめて、でも。立ち上がったカルネは下らなそうに息を吐き出して、ぼそっと呟く。「アタイは何を子牛に願ってんだい……ほんとうに、どうかしてるねえ」と。言って木陰に戻っていった。


 背後からマルコの声が聞こえる。呼ばれても、ルチルは動けなかった。意味の分からない言葉と、理由の分からない行動にただ、足が縫い留められていた。


 それからようやく体が動くようになったのは、ずいぶん後になってからだ。

 それでも、ルチルの足は何度も止まり、何度も振り返ることをやめられなかった。

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