第6話 依頼 二

―― 冷たい雨の記憶がよぎる。


 誰もいないロバートの家。

 開け放たれた妹の部屋のドア。

 必死に探し、橋の上でやっと見付けた妹は。


 ロバートの叫びは届かず、欄干の上に彼女は立ち……


「お断りだ」


 冷たい声だった。

 ロバートを知る者が聞けば、思わず耳を疑う程に。


「……理由を聞いてもよいでしょうか?」

「……はぁ。ご存知ですよね? 俺が貴族という生き物を強く憎んでいると」


 風が無いのに魔法の灯りが揺れる。


「使えなくなったら処分すればいいじゃないですか。俺達平民を扱うみたいにね」


 強い殺気がロバートから放たれる。


「っ……」


 踏込み過ぎたとギルド長は思う。


(けど、今は魔王戦争の中なのです)


 個人の事情を斟酌できる余裕は、人類種にはない。


 ラルフがもたらしたこの束の間の平和の時間も、第一王子の敗北によって、もうすぐ潰えるだろう。


 事実、魔王軍に戦線を押し戻され、将軍の一人であるフランダー侯爵が戦死した。


 士気は時間を経るごとに下がっており、兵士達の中には逃げる者も多いという。


 真の力を解放した魔族の一体を倒すには、優秀な兵士を千人消費してやっと、対抗できるかどうかなのだ。


 そしてギルド長自身も四か月前に戦場に立ち、戦った。


―― 圧倒的な絶望まぞくと。


 冒険者としての自負など、魔族に容易く粉々に踏み潰された。

 一撃でボロボロとなって、泣き喚く事もできなくなっていた。


 もし勇者ラルフが魔族を倒すのがあと少し遅ければ、ギルド長は死んでいた。


(辛うじて、生き残れはしましたが……)


 ギルド長の体の八割は錬金術で作った代替品となってしまい、もう二度と戦場に立つ事はできなくなった。


(この国で魔族と戦える者の数も、もう残り少ない。ここで第一王子殿下の復帰が無ければ、この国は落ちてしまうでしょう)


「ギルド長には感謝しています。貴族どもからの防波堤となってくれているのですから」


 ロバートが立ち上がり、歩み、ドアに触れる。


「貴族どもに言っておけ。お得意のを使いたければ使うがいい。だが気を付けろ」


 ロバートの手から放たれた炎が、一瞬でドアを灰にした。


「夜を照らす月の光は平等だ。そこに人の貴賤は意味をなさない」


 遮る物の無くなった部屋に。

 廊下の明かり窓から差し込む白い月の光が、ロバートとギルド長を照らす。


「本当に助かりたいなら、を使える者に渡せばいいだけだろうが。勇者ラルフが赫昏の王ワールドエンド】を手にしたようにな」


* * *


「まったく、ヴェルシュの兄貴には頭が上がらねえな」

「だな」


 人通りの疎らとなった夜の道を、二人の男が歩いていく。

 進む先の、少し繁華街からはなれた場所には、幾つもの宿屋が建っていた。


 この町を訪れる旅人や商人、冒険者達が泊っており、元勇者の仲間だった少女も同様であった。


「小遣いをくれた上に、『首狩り人形』を奴隷にして売り飛ばした金も俺達のものにしていいってよ」

「本当に器のでっけえ人だよ。前の女も最後は俺達にくれたしな。しかも今日はこんな便利な物も用意してくれたんだぜ」


 男がその手に持つ小瓶を振る。

 中には液体が入っており、蓋を開ければすぐに気化し、広範囲に拡散する性質を持つ。

 人が吸い込めば意識が混濁し、魔力生成もできなくなるという効果があり、どの国でも禁制品として扱われている品である。

 

「首尾は?」

「テシタンの奴が裏口を開けてる。問題ねえよ」


 二人が目的の宿を視界に納めた瞬間、黒い影が前を横切った。


―― ニャア。


「っと、何だ、猫かよ」

「しかも黒猫だぜ」


『ニャア』


「しっし、あっち行けよ」

「行かねえな。斬っちまうか」


 既に深夜。

 人の目も無い。


 男が鞘から剣を引き抜く。


「邪魔だよっ、と」


 剣が空を斬った。

 猫がいない。


―― ニャア。


「どこ行ったって、おい?」


 隣にいた男が消えた。

 そこに猫がいた。


『ニャア』

 

 男の剣がまた空を斬った。

 いや、剣の刃はまるで夜の闇を斬る様に、猫を通り抜けていった。


「な、何だお前は!?」


 猫の顎門あぎとが開く。

 それは男を丸呑みにできる程に大きくて。


―― ニャア。


 猫が鳴き、去って行く。

 後には何も、誰も、いなかった。


* * *


 宿の部屋に戻ったナオは長い黒髪を結わえ、脱いだ服を寝台の上に置いた。


 魔法で作り出した水球を床の上に浮かべ、魔力を集中させた右手人差し指で水面に触れ、床を蹴って逆立ちとなる。


「1、2、3、」


 水面に触れる指は水に沈まず、ナオの指一本の逆立ち腕立て伏せは二百を超えた。


「498、499、500」


 次は中指、薬指と続ける。


「7、8、9、」


 両手を終えて、軽やかに床に着地すると、水球も霞のように消える。


「平和ね」


 魔王軍やその他との戦いの中では、こんな穏やかな夜はなかったとナオは思う。


 戦争は何も生まない。

 戦争は消していくだけだ。


 戦争を考え、戦争に意味を付けられるのは、平和の中でしかできない。


―― ナ~オ、と猫の鳴き声が響いた。


 ナオが窓を開けると一匹の黒猫が部屋の中に入って来た。


「お帰りなさい」


 ナオが撫でると黒猫は嬉しそうに目を細めた。

 そしてもう一度ナ~オと鳴いて、ナオの影の中へと消えていった。


「目の前に魔王軍はめつが迫ってるのに、何でバカはバカをやめないのかねえ。なあ、ナオ」

「リグット。久しぶりだね」


 黒い狐獣人の女が「かっかっか」と笑う。


「おうよ。復調したようで何よりだ。他の奴らや師匠も心配してたぜ」

「ありがとうございます、と言っておくね」

「男女の機微はオレには理解できねえからな。ま、大事というのわかるがね。だからあのまま故郷に帰ってもオレは文句は言わなかったぜ」


「……。イノリ様は何か?」


「いつも通りさ。『暗き道に月明りの加護がありますように』、とさ」


 ……。


「それとタユネからは「目立ち過ぎ」だとよ。勇者私部隊パーティーから放逐されたお前を狙って、幾つか動いている奴らがいるってさ」

「わかった。ありがと。でもご苦労様だよね。村人の女一人に、大の大人がてんやわんやでさ」


「お前の胸は寂しいが、つらは極上だからな。奴隷として売れば城が建つ位はいくんじゃね?」


 リグットはぺろり、とナオの頬を舐めて去って行った。


「そうだね……。変装でも考えてみるか」


* * *


 エバンの町から離れて、二つ山を越えた先の渓谷を流れる川の上流に、一つの洞窟が隠されていた。


 その洞窟の入口から百メートル進んだ先の突き当りで、冒険者ギルドの職員の男が宝玉を掲げると入口の扉が姿を現した。


―― 二百年前の大魔法使い【白炎獣のバーナット】の封印。


 二人の男が進み出る。


「お願い致します」


 職員の男は頭を下げ、へと道を譲った。




* * *

* * *


*ギルド長:魔力量2600


*男1:魔力量850

猫を斬ろうとした男。元騎士だが素行不良でクビになった。


*男2:魔力量650

冒険者としては下の中の実力。







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