第9話

「皇太子妃、お加減はいかがですか?」

「最悪」


 避暑の日程をとうに過ぎてから、私は城へと戻った。


 あの後、予想通りギルバートが私の滞在している小さな街へやってきた。

「不都合なことでもあったか?」

「おおいに」

 私はギルバートに医師から聞いた話を全て語り、

「お前がそれなのは知っていたけどな」

「知ってたのか!」

 再度驚くことになった。

「お前らは知らなかったようだから、敢えて教えないことにした」

「それは……そうだろうな」

「特にお前の姉は、伝承に関しては知らなかったらしい」

「……?」

「ここからは又聞きになる。調査ってのは大体又聞きだが、俺が”お前の父親と飲み仲間だった村人”に酒を奢ってそれらしく聞き出したところによると……」

 ギルバートは風の噂でルイが”手ひどく振られた相手”ことエミリア様と結婚したという話を聞き、

「騙されてるんじゃないかと思ってな」

 裏がある話じゃないか? と考えて、私が住んでいたアウガの村まで足を伸ばしたことがあったのだそうだ。《裏》が何を指すのかは解らないが、家出した名家の娘を《押しつけられた》形となったメイヨー伯爵家は、人々の話題にのぼる回数も増え、そこからギルバートとルイに関することが流れては問題が起こるだろうと様々な処理をしたのだそうだ。

「意外だった」

 それらに関しては初耳だった。

「この情報を持って、俺は久しく会ってなかったルイの元に足を伸ばしたんだ」

 そう言えば、十二歳で別れ再会した訳だが、その理由なんて聞いてなかったな。はぐらかされたような感じはなかったけれど、上手くはぐらかされていたんだろう。

「そうか」

「これに関しては、感謝している」

「お前の口から感謝なんて気持ち悪いぞ、ギル」

「いやあ、お前たちのことがなければ、定期的にルイの所に足を運ぶこともなかっただろうからさ」

 最初は噂と近況などを報告して、二度と会わないつもりだったらしいのだが、話を聞いたバネッサの母上であるエミリア様が、娘の状況を知りたいと願い、ギルバートはメイヨー伯爵家に出入りする業者となった。

「もちろんメルフィードのことも報告書つくって持って行ったが、ルイに悪いとおもって受け取らないし、話も聞こうとはしなかった。それが余計にルイの心に負担になったが、そこら辺りは俺が口出ししてもどうにもならねえからな」

 この過程で”おまけ”として、私と姉のことも調べたのだという。

「海のものを山に売りにいくと、結構儲けが出る上に、ルイと奥様が料金まで支払ってきたからな」

 そして村に一件だけだった酒亭の親父に、珍味を売って取引しつつ会話を弾ませて、私の父親のことを引き出したのだ。

「話術なんてご大層なもんは必要ない。あの村で東方出身だったのは、お前さんの父親だけだからな。そっち方面の乾物を持っていけば、話が弾むってもんだ」

「なるほ……待てよ? お前姉さんに会ったことあるのか?」

「二度ほど。乾物渡したら、良い笑顔で”妹と食べるの”って代金払っていったよ」

 私の乾物好きは、ギルバートのせいか。

 姉さんと食べたカワハギの燻製、美味しかったなあ。

「その際に話して、知らないことが解った」

「なんで、話して解るんだ?」

「正確には話しただけじゃないが。お前の姉さん、読み書きできただろ」

「もちろん出来た。私の勉強の基礎は姉さんが教えてくれたんだから」

「そう、お前普通に読み書きできるよな?」

「何が言いたいんだ? 要点は、はっきりと言え、ギル」

「回りくどく言ってるわけじゃねえよ。まあ黙って聞けよ、お前の親父さんは薬の行商。中夏の薬は利きが良いって有名だ。当然有名な薬で高額を稼ぐから、レシピを狙うやつも多い。裏で取引されている中夏の特殊調合のレシピを見たことがあるんだが、読めねえんだよ」

「読めない? 知識がないから解らないのではなくて、読めないのか?」

「ああ、そうだ。読めねえんだ。お前の親父さん、読み書きできなかっただろ?」

「それは、父さんは中夏の人だから、この国の文字は……あれ中夏の本も。いや、たしか……」

 ギルバートは頷く。

「鏡の前で、だろ? 薬のレシピは鏡文字の上下逆で書かれてるんだよ。もちろん鏡に映せば良いことだが、鏡に映ったやつの天地を変えて書き写す過程で、大体間違う。なにより文字も細かいしない」

 そうだ。私の家は貧乏だったが、鏡だけはエミリア様の物ほどではないが立派なものがあった。

 父さんの唯一の財産だと言っていた。エミリア様が家に来たことがあるのも、鏡を見たかったいと。

「まさか伝承の姉というのは」

「その通り。俺達から見たら上下左右が逆の文字しか読めない。でもお前の姉は、普通に字を教えてくれた」


―― 中夏にも行くんですか! 父の故郷が中夏なんです。海からは遠い所の生まれだったそうですけれども

―― 中夏の文字ですか? 解りますよ

―― こう書きます。お役に立てて良かったです。おまけに? 悪いです! はい、ありがとうございます。妹と一緒に食べます

―― はい妹がいます。気の強い、とっても綺麗な自慢の妹です。名前は……


「そうか」


 私は衝撃の事実を聞き、その後の処理はギルバートがしてくれたので解らない。医者を連れてどこかへと行くらしいが……



†**********†


 城での私の部屋が移動していた。

 もともとは夜這いされやすそうな寂れた塔の一角。人目につかず、隠れて酒盛りするのに最適だった……のに、今度の個室は酷いことに、さんさんと光が差し込む大きな窓が、庭に面している開放的な作り。

 これじゃあ、一人で酒飲めないじゃないか! 怪我で酒が飲めず、城に戻ったら酒を浴びるように飲めると、それだけを楽しみにしていたというのに!

「体調が戻るまでは此処に」

「もう体調万全ですから、元の部屋に帰してください。こんな部屋嫌です!」

 ネストール皇子に食って掛かったら、驚かれた。

「前の部屋よりも、こちらの方が良かろう」

「全然。私にとっては以前の部屋のほうがましです! フローレ皇子の血塗れの部屋で結構です!」

 なんでこの皇子は勝手なんだ! 私の意見を聞いてなにかをしようとは……思わないんだろうな。皇子だものなあ。

「この部屋は皇太子妃の部屋だから、お前はこの部屋の正式な主……」

「私の最初からこの部屋に通されたのでしたら納得しますが、今になって皇太子妃の部屋だから云々って、人を馬鹿にするのもいい加減にして欲しい。皇子は解らないかもしれませんが、こういう行動って馬鹿にしているって言うんですよ?」

 この部屋が皇太子妃の部屋だということくらは、百も承知ですけれどね。まあ私は皇太子妃になどなりたくはないし、認められたくもなかったので、痛くも痒くもなかった。今は体の全体が回復途中で痛がゆいけれども。

「それに関しては謝罪したい」

「謝罪は受け取りますが、部屋は前の方がいいです」

「部屋の何処を改造してもいいから、この先はこの部屋で過ごして欲しい」

「……解りました。ちなみに、改造してもいいという皇子の署名の書類をください。言葉だけでは証拠になりませんので」


 ネストール皇子は改築工事の自由を与える旨を記した書類を寄越した。……ので、


「はあ、さっぱりした」

 私は皇太子の部屋と繋がってる扉を封じることにした。木材で覆う程度ではなく、煉瓦でがっちりと。煉瓦を積んだのは私。

 元普通の村人、労働階級を舐めるなよ。五歳くらいから普通にみんな働くんだからな。家の手入れから補強に修復まで、ほとんど自分たちの手でやるんだからな! 温室育ちの皇子には想像もできないことだろうが。



†**********†


 ルイから手紙が届いた。

 内容はラネス(医者)が所持していた《姉》は偽物だったということが書かれていた。

 高値で取引されるので、偽装の《姉》は結構いるとギルバートは言っていたが、その《姉》もはやり偽物だったか。

 痣は作るのが大変だが、伝承は適当なことを言っても解らないので、偽物に仕立てやすいそうだ。

 私は《姉》がどうなったのかを詳しく知るためにルイのところへと戻ろうかと思ったのだが、死ぬのを待つばかりの国王が奇跡的に目を覚まして、大混乱に陥れてくれたのでそうもいかなくなった。

 大混乱の理由は、目覚めた国王がの「実は他所に産ませた子供がいる。娘だ。娘の夫にこの国を継がせる」と言い出したことにある。

 真偽の程とか、なんだとか。

 国王が乱心しているのかいないのか。

 私自身としては、国王が他所に産ませた娘がネストール皇子と結婚して国を継いでくれたら、言うことなしだけれども。


 さて、どうなることやら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る