第8話

 マデリン姫の作る焼き菓子の数々が食べられないのが非常に残念だ。

「ああ、残念だ……」

「この街で一番上手い焼き菓子だ。これで我慢してくれ、奥様」

 ”奥様” というのは私のことだ。

 皇太子妃であることがばれるといけないので、名前を呼ばれるわけにもいかない。

 偽名とかいうのも考えたのだが、どれもしっくり来なかった……いや ”しっくり” はした。

 目の前にいる医者が考えてくれた偽名は ”本名” だったから、呼ばれた時は驚いた。

 ”本名” で過ごしたいと思わなかったわけではないが止めた。

 バネッサの名を借りて生きているから、それ以外の名は、自分の本当の名は使ってはいけないと。ただの自分勝手な拘りであり、自己満足だろうが、それで良い。私の名だ、私が満足したらいいのだ。

 医者は中夏の出で、私の顔を見たときに ”中夏風” の名が思い浮かんだのだそうだ。私は知らないが、私の本当の両親も私の顔を見たときに「中夏の名が似合う娘に成長するだろうな」と言ったのだそうだ。姉が言っていた。

 姉はどちらかというとこの国の面差しだが、肌の色合いは中夏風で、すごく健康的で太陽にも似た印象を与える人だった。


「良い所のお生まれなんですね」

「何が?」

 丈夫を自負していた私は、走っている馬車から飛び降り、大地に強かに打ちつけられたにも関わらず、骨を折った箇所がなかった。

 全て打撲と打ち身と擦り傷。

 打撲の傷から高熱にうなされたが、これも元来の丈夫さと、中夏出の医師が調合した漢方薬が体に合い我慢できる範囲だった。

 本当は酒で誤魔化したかったのだが、医師が許してくれなかった。

 ああ! 青い波と眩しい日差しの下で、ギルバートが用意してくれた異国の酒を、誰の目も気にせず……まあマデリン姫の視線は気にするけれども、ともかく隠れることなく、喉を鳴らして飲めると思ったのに! それなのに、それなのに! 薄いカーテンで日差しを遮った病室で薬湯を飲む日々が続くとは!


 全てネストール皇子が悪い!

 そう言って何が悪い!


 ところで医師は何故私のことを ”良い生まれ” と?

 たしかにバネッサは名門の生まれだから当然なのだが、どうも……話し方が違う気がする。医師は私の来歴ではなく、私自身を見て判断をくだしたような気がするのだが……

「奥様ご存じないのですか? その肩の痣は中夏の名家の女性のみの物です」

「え? ……教えて貰ったことはないですね」

 私の父は中夏の行商人だった筈だ。

 行商をして知り合ったこの国の農村育ちの母と結婚して、そのままこの国に住み着いたと聞いたが。

「そうですか。それにしてもエミリアの母君がその血を引いているとは驚きだ」

 まずいぞ、これはまずい。

 バネッサの母上、エミリア様のお母様、要するに 《バネッサの祖母》 は中夏の貴族。名の知れた貴族だったはず。

 ということは、辿りやすいはずだ。

「驚くようなことなのですか?」

 同国人ならば結婚しても不思議ではないような気もするのだが? ともかく、医師が本当のことを言っているのか? も怪しい。

 もしかしたら、私に対してカマをかけているのかも知れない。

 この体が痛んで、熱っぽい時に……だが、そんな事を理由にして遅れを取る訳にはいかない。

 ああ、馬車から飛び降りたのが痛い。

 傷ではなく、違う方面で痛い。

 軽率な行動だったことは認めるが、間違った行動だと私は思っていない。ネストール皇子に従って避暑地などに! 連れて行く前に話したら、少しは考えてやったものを。皇太子妃なのだから提案されたら乗るが、訳も解らず連れて行かれるなど……皇太子妃として認められない!

「その蝶のような痣ですが」

 私の右肩には羽を広げた蝶のような痣が確かにある。普通にしていると目立たないが、熱が出たりすると赤くなり、模様まで浮かび上がる。

「その痣は、中夏の国では財宝の在処を示すと言われておりますよ」

「財宝? どのような財宝ですか?」

「今まで誰も見た事がない財宝だそうです」

 ”誰も見た事のない財宝”……なんだその、眉唾というか、おかしい言い伝えは。

「誰が隠したものですか?」

「中夏が国になる前、平原を駆け抜けた遊牧民族の一党が」


 ものすごく、怪しい。怪しさ以外存在しな……あれ? ちょっと待って? 中夏が国になる前の遊牧民族? 


「ですが、女にだけ痣が浮かび上がるというのは、都合が良すぎですし、人の皮膚が地図代わりになるなど。入れ墨でしたら別ですが、これは生まれつきの痣です」

「本当に生まれつきですか? 物心ついた時にはあったのと、生まれつきは違いますよ」

「……」

 生まれつきではない痣?

「生まれた後に薬で作ると言われています」

 父は行商人だった。売っていたのは薬で、村に定住してからも薬を作っていたらしい。

 薬の他は知らないが、入れ墨などに使われる顔料なども中夏の行商が独占しているとギルバートも言っていた。

「……」

 父が入れ墨をいれることができたとしても、おかしくはない。

「聞いた話によりますと ”最初の娘に伝承を、次の娘に地図の鍵を” と。二人揃った時に初めて姉は伝承を教えられ、妹は痣を作られるそうです」

 中夏の平原を今も流離う遊牧民族達は、一族で結婚すると聞いた。”一人の男に二人の娘を”父がそう言っていた記憶が。

 ”じゃあ、遊牧民族の所にお嫁にいったら、何時までも二人一緒だね!” そんな事を姉と言い合った記憶がある。

「私の記憶では、バネッサ殿は長女でいらした筈ですし、中夏の平原を流離う一族の血を引いているとは聞きません。なにより祖母が中夏より迎えられたと。お一人だけでしたよね?」


 ……まさか、ここでこんな目に遭うとは!


 生まれつきの痣だと思っていたのに!

 それよりもこの状態をどう切り抜けるかが問題だ。

「それ程警戒しなくても宜しいですよ。誘拐はしようと思っておりますが」

 いきなり誘拐か! だが、話を聞いてみるのも悪くはないな。

「何故私を誘拐しようと? 私は鍵は持っているが、伝承は知らない」

「それは承知しております。鍵となる痣を持つ娘は伝承は一切知らない。これは言い伝えであり、今も守られております。さて一人の男が”伝承の姉妹”を娶る。男は姉から伝承を聞き、妹の痣をみる。男は伝承を息子に伝授し、娘を二人得た場合は”伝承の姉妹”とする。伝授される息子は一人きりで、これは三番目の息子と決まっています。この三番目の息子だけが《伝承の姉と、痣の妹》を娶り、伝承を正しく引き継いでゆくのです」


 三番目の息子? 嫌に現実味を帯びてきたなあ。


 この話をネストール皇子が聞いても理解できないだろうけれども、中夏平原の遊牧民の祖先は ”三番目の息子” だった筈。

 だからあの辺りでは、三番目の息子が跡取りになる。

 成り立ちというか神話を大雑把にまとめると、一番目の息子は妹の子で、二番目の息子は姉の子で……この時点で既に、姉妹婚の原型があるんだ……すっかり忘れてた。

 それは良いとして、三番目の子は《ルイとギルバート状態になり》どちらの子か解らなくなった。だが男の子であることは確かなので、男の持つ全てを受け継ぐこととなった。

 神話はそんな感じだった。


 ―― となると


「貴方は三番目の息子ではないのですね?」

 三番目の息子だけに権利を集中させていることで、財宝伝承の拡散を防いでいるのだろう。

「そうです。三番目の息子以外、鍵と伝承の姉妹を娶る事は出来ませんから」

 私の父は三番目の息子だったのか。そんな感じはしなかったなあ、貧乏だったし。

 中夏平原の遊牧民って、今だに中夏本土を脅かす一大勢力で、すごい財宝持ってるらしいとギルバートから聞く。

 彼らは相当の財宝を持ち歩くが、その彼等が持ち歩けなくなった程の財宝の在処がこの肩にねえ……わざとらしく触ってみたが、この平素は見えない痣の何処に?

「では伝承はどうするのですか?」

「ばら売り、と言えばわかりますかな?」


 嫌な言い方だが、理解するのにこれほど解り易い言葉もないな。そうか……妹と死別した姉というのが居てもおかしくはない。むしろ……


「争いの火種になって、略奪の対象になる。その過程で妹の方が失われた。姉は手元にあるものの、これだけでは売り物にもならず、何処に存在するのかも解らない。だからもう一つを発見して……と言うわけですか」

 ”伝承の姉”と”地図の妹”であればいいだけで、生まれた時から一緒であった姉妹である必要はない。

「そうです。ところで、貴方に御姉様は居ますか?」

 私を疑っているのか? それとも完全に”バネッサではない”と確信しているのか? 悩む所だ。

 どう答えた物かな? ……よし。

「いますよ」

 医師は息を飲んだ。

「その人は……」

「その前に。話をそらすわけではありませんが、私がメイヨー伯の所へは行けないと連絡を出してくれたのですよね?」

 医師は突然の話題変換に、本当に驚きの表情を作ったが、しっかりと答えてくれた。

「出しましたよ。八日も前に。此処からですと、どんなに時間がかかったとしても、五日後には届いていますよ」

 ふむ。最低でも三日前には届いたか。

「手紙の内容は、本当に私の怪我には触れていないのですね」

「はい。皇太子殿下のことを、随分と信用されていないのですな」

 ネストール皇子は信用していない。だがそれ以上に、目の前にいる医師、お前も信用はしていない。

「まあね。それなら良いです。それでは話を続けましょうか?」

「拒否なさらないのですね?」

「この体の状態では、貴方の助けがなければ生きていけませんから。生命を危険に晒してまで、隠すようなことはしませんよ」

「賢い御方だ」

 もう少ししたら、ギルバートが来るだろう。

 そうしたら、ギルバートと策を練って……と。

「姉のことでしたね。姉は村が燃やされた火事で死亡したと思います。けれども、先日死んだと思っていた幼馴染みが騎士となって、私の前に姿を現しました。だから、死んだとはっきり言うことはできません。死体は見つからなかったと、私を助けに来てくれた養父のメイヨー伯が言っていました。嘘ではないでしょう」


 ―― 死体は見つからなかったと


 嘘だけどね。姉さんの死体は見つかってる。私を庇って天井の梁の下敷きになってたって。お墓もちゃんとあるよ。姉さん、ちょっとだけ私の危機脱出のために協力してね。


 それにしても、誰も見た事のない宝……か。

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