5-8 宝石の対価

「三十万キーナだ」


「はあ!?」


 その男の示した額は、文字通り桁が違った。


 アヌエナは最初、自分が聞き間違えたのかと思ったらしい。何度か確認してから素っ頓狂な声を上げた。対照的に、こうした取引に初めて立ち会うヒタクは感嘆の声を上げる。


「わあ、すごい。アヌエナ、このお店に買い取ってもらったら?」


「ばっか! そんな簡単にいくわけないでしょ!」


「え? でも、これ以上の値を出してくれる店なんてないと思うよ?」


「だ~か~ら! そういう問題じゃないんだってば」


「?」


 二人が訪れたのは、雨風にさらされる即席の店ではない、簡素ながらも頑丈な屋根と壁のある店舗。宝石そのものだけではなく、イヤリングやネックレスなどの装飾品も取り扱う常設の店だ。外で輝く太陽にも引けを取らない品々は、世情に疎い少年にもここが他所よそとは違うことを実感させた。


 それだけに、少女の反応は意外だった。


(できるだけ高く売りつけるんじゃなかったの?)


 困惑を覚え、次に口にするべき言葉に迷う。すると疑問を顔から読み取ったのだろう、アヌエナはヒタクの腕を取り店の隅へと強制的に移動、そして小声で耳打ちしてきた。


(少しは人を疑いなさい。いくらなんでも話がうますぎるでしょうが。こういう怪しい取引には、たいてい何か裏があるのよ)


(うら……)


 改めて男を見る。


 アヌエナが持ち込んだ宝石を観察する眼は、他の店主と同じだった。だが彼は、由来を聞くなり破格の条件を提示してきた。あの時、わずかに片眉を上げ驚いていたが、そこに何か事情が――裏とやらがあるのだろうか。


「……」


 店主はいきなり内緒話を始めたこちらを気にしている様子もなく、腕を組んで何やら考え込んでいる。その筋肉質の肉体からは商店の主らしさが感じられず、どちらかと言えば屋外での活動に慣れている雰囲気がした。ひょっとすると、店を一人で切り盛りしているのかもしれない。


(兄さんより年上みたいに見えるけど……父さんほどでもない、かな? 父さんのこと、あんまりよく覚えてないけど)


 見た目は若くはなかったが、その精悍せいかんな顔にしわはない。頭髪も豊富なことから、それほど歳は取っていないのだろう。


 とは言え、ヒタクに分かるのはそれぐらいだった。幼い頃に空の森へと流れ着き、人と触れ合う機会もないまま過ごしてきた。そんな自分に大した眼識があるわけでもない。


(あ)


(なに? どうしたの)


(あの人、二の腕のところにあざが)


「んなことはどうでもいいの!」


「んん?」


 さすがに少女の怒声には気を引かれたらしい。店主が怪訝けげんそうにこちらへ視線を向けてくる。アヌエナは愛想笑いをしてごまかした。


「な、なんでもないわ。なんでも。おほほほ」


「そうか? で、相談はすんだのかい」


「まあ、ね」


「なら売ってくれる気になったのか」


「まだよ。この宝石……琥珀こはくは確かに珍しいけど、大きさはそれほどでもないもの。露店で売るお守り石なんかにはちょうどいいけど、おたくみたいなアクセサリーとかインテリア用に加工したらもっと小さくなるわ。それでも高値の理由を聞かせてくれる?」


「初物は鮮度が命だ。だらだらと値切ってる間にも価値が下がっちまう。それが食い物でも宝石でも……情報でも、な」


 店主がにやりと笑ってみせ、アヌエナは後退あとずさりした。


「世界樹の場所を教えろってわけ? さすがにそこまでサービスするわけにはいかないわ」


「分かってる。重要なのは、空の樹の実在を証明したってことだ。なんせ今まで誰も見たことないからな。よくて雲の先っちょみたいな影だ」


 店主は身を乗り出して口を寄せてきた。その低く深みのある声が、秘密の話であることを物語る。


「ここだけの話だがな。連邦の軍人の一部が、世界樹を本気で探しているらしい」


「連邦って、エクアトリア? そういえばこっち来る途中で六ツ星の船を見かけたけど、この島にベースキャンプでも造ったの?」


「そんなところだ。連中、しばらく前からクロロネシアのあちこちに飛行船を飛ばしてたんだが、どれもこれも小型の探査船ばかりだった。ところが今朝、ついに軍船が飛び立ったんだ」


「うんうん」


「ごくり」


 極秘の情報なのだろう。男はいよいよ声を潜めてくる。相槌あいづちを打つアヌエナに続いて、ヒタクも引き込まれるように息を凝らした。


「しかもその進路が真東でな。その先に陸地があるなんて話は聞いたことがない。だがあんな大物を何もない空に飛ばすとも思えねえから、ついに世界樹の位置を特定したんだと考えていいだろう。そうなると、遠くない時期に伝説が実証される可能性が高い。そしてその時、この琥珀こはくには幻の宝石っていう付加価値がつく」


 だから今のうちに確保しておきたい、という結論は二人の耳に入らなかった。ほんの数時間前に、風魚かざなの群れを追い散らしていた大型船を思い出したのだ。あの時は相手の行き先など気にしなかったが、もしも自分達が来た方向へと進んでいたら……。


 少年と少女は、知らず顔を見合わせた。

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