4-3 空でのお昼 ―調理―

 太陽が天頂近くに差し掛かる頃、風が変わった。吹き付ける空気が勢いを増したのだ。またそれとは別に、ヒタクはある変化を感じた。


「なんだろう。踏みかいが軽くなったような?」


「舟が気流に乗ったのよ」


 少年の疑問に、舟の主が笑って答えた。彼女は影のなくなった帆柱に歩み寄ると、慣れた手つきで綱をほどき始める。


「そろそろ頃合いね」


 くさび形に組まれた帆桁が上下に開かれ、帆柱と先を結ぶ形で固定される。大きな布が風をはらみ、逆三角形の帆が広がる。最後に調整のための綱が張られると、ヒタクが足を動かすまでもなく舟は自ら走り出した。


「よし、いい感じ」


 流れるような動きで一連の作業を終えたアヌエナは、帆柱の頂上で翻る吹き流しを眺めながら満足げにうなづいた。


「踏みかいはもういいわよ。あとは風任せに進むから」


「あ、うん」


「朝から漕ぎっぱなしで疲れたでしょ。待ってて、すぐお昼用意するから」


 最後に力強い笑みを見せ、颯爽さっそうと調理場を兼ねた炉台に向かう。まっすぐに伸びたその背中を見た瞬間、ヒタクの心の奥底がざわついた。


「あ、待って!」


「?」


「ご飯なら僕が作るよ。だから君は、そのまま舟のことを」


 自分でもよくわからない焦燥に駆られ、口早に提案する。


「へ? そりゃそうしてくれるならありがたいけど……あんた、料理なんてできるの?」


「できるよ。森で自炊してるんだから」


 そう言いながら隣に並ぶと、アヌエナは意外だと言わんばかりに眉を上げた。


「カグヤさんじゃないんだ。保護者なのに」


「そうだけど、姉さんは料理が得意じゃないんだ。全くできないわけじゃないけど、僕が作った方が早いんだよ」


「そうなの? 見た感じ家庭的な気がしたんだけど」


「まあ少なくとも、子供二人育ててるからね。でも、料理だけはだめなんだ」


「そんなんで子育てなんかできるの?」


「一応はね」


 フソウにはかつて、大勢の人々が暮らしていた時期があった。そして当時、カグヤには樹の管理だけでなく、彼らの生活のサポートも課せられていたという。その支援の一環として、幼い子供の世話が含まれていたのだ。


「でも、人間ひとと仕事をするために人形ヒトの姿で造られたけど、食事に関係する機能までは持たされなかったんだって。あのひとの……つまり、姉さんの仕事はあくまで、フソウの管理だから」


「そうなんだ」


 雑然とした説明になったが、アヌエナは聞き流すようにしてうなづいた。彼女は手早く炉台に調理器具を広げると、舟底に置いてあった荷袋を一つヒタクに渡す。


「じゃあお願いするわね。今日の分の食材は、こっちに入れてあるから」


「分かった……ええと、どうしようか。姉さん、いろいろ持たせてくれたみたいだけど」


「ええ。『運賃代わりにどうぞ』ってホントいろいろくれたわ。お茶やお菓子に調味料まで! ああいう気遣いって嬉しいわよね。遠慮なく頂かないと」


「じゃあ、これも食べる?」


 尋ねながら、ヒタクは荷袋の中から半透明の包みを取り出した。だが一見しただけでは中のモノが何か分からず、アヌエナは疑問と興味をい交ぜに問い返した。


「なに、それ?」


「牛肉」


「はあ!」


 思いもかけない答えを聞かされ、少女の目が丸くなる。彼女はポカンと口を開いた後、もっともな疑問を呈してきた。


「なにあの森。牛までいるの!?」


「まさか。基本、動物は虫か鳥だよ。赤い森で見たでしょ。あ、クモは昆虫じゃないんだっけ?」


「んなことはどうでもよろしい!」


 少年の説明はぴしゃりと遮られた。さらに怒濤どとうの勢いでまくし立てられる。


「なに。牛がいないのに牛肉ってどういうこと? あの森、人間社会から孤立してるんじゃなかったの。どこからどうやって調達したっていうのよ!」


「確かに、今は孤立してるんだけどね。でも昔は大勢の人が住んでたんだって。……具体的に言うと、姉さんが造られた頃」


「それって確か、天人てんにんが降りてきた大昔の話でしょ……って」


 アヌエナは信じたくない、というように震えながら指差してきた。


「もしかして、そのお肉……」


「うん。その頃に作って、それからずっと保存してあるんだって。もう一度フソウに人が戻ってくるか、遭難者が流れ着いた時のための非常食として……」


「んなもん、食えるわけないでしょっ。何千年前の食べ物よ!」


 とうとう彼女の怒りが爆発した。荷袋をひっくり返し、カグヤに渡された食材を残らず空へ放り投げようとする。


「ああ! 待って待って体に害はないって僕が保証するから! だから捨てないでもったいない!」


「なんであんたがそう言えるのよ!」


「だって僕も遭難者だし。初めてフソウに着いたときはもちろん、今でもときどき食べてるんだ」


「だからって、はいそうですかって信じられるはずないでしょ! どうやって鮮度を保ってるっていうのよ」


「あ、それは直接姉さんに聞いたことがある」


「……ほう? なら、教えてもらおうじゃない」


 ようやく少し落ち着いてくれた。だが、適当なことを言えばすぐに雷が落ちるだろう。ヒタクは必死でその時の記憶を掘り起こす。


「ほうしゃせん? っていうので滅菌処理した後、真空保存してるから半永久的に新鮮なままだって」


「半永久的に新鮮って……」


 言葉がおかしいと、こめかみに手を当ててうめくアヌエナ。しかし自身の経験から言えば、傷んだり腐ったりしていないことは保障できた。


「おなか壊したりなんかしないよ?」


「だからってそんな得体の知れない処理されたモノ、食べる気がしないわ」


「でも、燻製くんせいじゃないお肉だよ? しかも、すごくおいしい」


「ぐ……」


 少女の心の内で理性と食欲が衝突する。そうしてひとしきりうなった後、彼女は渋面を浮かべながらヒタクに詰め寄った。


「そもそも、それは本当に牛肉なの? 保存食ってことは、実際に牛がさばかれるところを見たわけじゃないんでしょ」


「それはそうだけど……。でも兄さんは間違いなく牛だって言ってたよ。昔、一度だけ食べたことあるけど、その時のとは比べ物にならないぐらいおいしいって」


「ふ~ん」


 理解した、というには平坦すぎる声を最後に沈黙が訪れる。又聞きになる証言を、どう判断するべきか迷っているようだ。


「クァーカァ」


 ヤタが昼飯を催促するように鳴く。すると、アヌエナはようやくポツリとつぶやいた。


「……牛肉。牛の肉なのよね。元は牛なのよね」


「そうだね。あ、もしかして牛は嫌い? ならやめようか」


「食べないなんて言ってないでしょ。空の旅に好き嫌いする余裕なんてないんだから……」


 そこまで言ったところで、彼女はひらめいたと両手を打ち合わせた。


「そう、そうよ。怪しい肉だからって捨てたりしたら、あのヒトの好意も一緒に捨てることになるわ。かと言って、そのまま置いておいても荷物になるだけ。だったらまず、本当に食べられるものか確かめないと……」


「じゃ、芋と一緒に煮込むね」


 言い訳めいた言葉を聞き流し、ヒタクは取り出した肉を鍋へ入れにかかった――ところでいきなり腕をつかまれた。少女の口から低い声が響く。


「焼いて」


「う、うん」


 その圧迫感さえ覚える眼差しに押され、少年は神妙にうなづいた。

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