7-5 在りし日の思い出

 初めて彼女と会った時のことはよく覚えている。


 七年前、伝説の宝を見つけるのだと威勢良く家を飛び出したシグレは、子分代わりに連れた弟もろとも遭難した。単純に南を目指したのが良かったのか悪かったのか、乗った気球は嵐に流され白虹はっこうにつながるフソウにたどり着いた。


 だが、この時の自分は目標の足元まで来たことに気付かず、ただ途方に暮れていた。気球に穴を開け、カラスに八つ当たりし、弟にたしなめられ、とみっともない真似をした。無駄に体力を使って倒れようかという時、その声は聞こえた。


「こっちね、ヤタ?」


「クヮ」


「誰だ!」


「あ、よかった……」


 その姿を初めて目にした時、自分はかなり間の抜けた声を上げたと思う。弟はというと、ほかに人がいると分かって安心したのか、気の抜けたような声を発していた。


「あら?」


 シグレの誰何すいかに合わせて、黄味を帯びた朱色のカラスを肩に乗せた女が現れる。


 温度も湿度も高い森の中にもかかわらず、袖の長い服をまとった女だ。


 スカートの裾も長く、足首までを覆っている。だが不思議と暑苦しさを感じさせず、くせのない髪や滑らかな肌、切れ長の目が涼しさを思わせた。唯一温度を見せるのは朱色の唇だが、そこからも暑さを打ち消す鈴のような声が紡がれる。


「ずいぶんとかわいらしいお客。それとも迷子かしら」


「あ、いや。俺達は……」


「自己紹介を聞くのは、後にした方がいいわね」


「え?」


 己の説明を遮られてシグレは戸惑ったが、すぐに彼女が何を見ているのか気付いた。ついさっきまで会話していた弟がぐったりしている。


「おい、ヒタク!」


「下手に体を揺すらない方がいい。脳がダメージを受けるから」


「そんな……っておい。あんた!」


「安心なさい。悪いようにはしないわ」


 シグレが止める間もなく、女は弟をゴンドラの中から軽々と抱き上げた。細身の外見からは信じられないことに、そのままヒタクを腕一本で抱える。そしてあろうことか、もう片方の手をこちらに向けて差し伸べてくる。


「さ。あなたも」


「……」


 なんとなく、その手を握ると一緒に抱き抱えられそうな気がした。差し出された手の平ではなくゴンドラの縁を握り、シグレは自力で気球を降りる。


「あら。意外と元気そうね」


「まあな。シロニジをつかみに来たんだ。半月漂流したぐらいでへばってたまるか」


「まあ。その年で冒険者なの。大したものね」


「ふん。それほどでもない」


 口では憎まれ口をたたいたものの、実は内心では嬉しかったりしたのだが。当時の自分は真っ直ぐな視線を見返せず、斜めを向いて返事した。こういうひねくれたところは、未だに成長していないように思う。


 この斜に構えた態度が悪かったのか、女は叱るように額を小突いてきた。


「けれど、こんな小さな子を連れて来るのは感心しないわね」


「クァ」


 カラスにまで非難された。だが図星なので言い返せない。言葉を詰まらせる間にも、彼女は弟を抱えたまま背中を向ける。


「いらっしゃい。人の生活に必要な物はあらかた用意できる。話はセーフティハウスでゆっくり聞きましょう」


「セーフ……?」


「歩けなくなったら言って。抱いて飛ぶから」


「心配なんかいらない。どこまでも歩ける……って、飛ぶ!?」


 高純度の飛晶があれば、個人用の絡羽からばねも作製可能だ。しかし女は、弟の他には何も持っておらず背負ってもいない。熱帯には場違いな身形みなりもあり、普段の自分ならここで彼女に警戒心を抱いたはず。


 だが。


(随分おかしな女に助けられちまったな)


 その時はそうとしか思わず、名前も聞かないまま後ろについていった。


 その時から彼女を意識していたと自覚したのは、森を出てからだった。

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