第六章 天に至る梯子

6-1 風と共に帰る

 大空を一そうの帆掛け舟がかける。蒼穹そうきゅうに流れる一条の白雲を背景に、風を切って進むその姿は優美の一言に尽きる。


 しかし、舟の乗り手は必死だった。少女が風を帆で捕らえ、少年が大気の海をかいぐ。それでも足りない速さに不満をぶつけあう。


「もっとスピードでないの!?」


「無茶言わないでよ。今向かい風なんだから。あんたこそ、しっかり腰振りなさい! この舟に推進器なんて気の利いたものないんだから!」


「分かってる、けど!」


 軍の船が空の樹を目指して飛び立った。


 そのことを知ったヒタクは、カグヤのことが心配でならなかった。アヌエナにとっても、新しく開拓したばかりの得意先を商売敵に奪われてはかなわない。思惑が一致した二人は、商いもそこそこに空の樹へ急ぎ帰ることにした。だが、相手との間に開いた差は大きい。


「ほんの半日出遅れただけなのに。影も形も見えないなんて」


「仕方がないでしょ。相手は外空航行用の大型飛行船なんだから」


 風任せの舟では速度に限界があった。足漕あしこぎぎのかいで補助してもないよりましという程度。明け色の鳥の導きがあるとはいえ、先を進む飛行船に追いつくのは到底無理だった。ヒタクは胸のもどかしさを抑えることができない。


(なにか、なにか加速する方法は……?)


 舟に積んだ荷の全てを思い出す。元よりそれほどの数はないが、その中で舟の速度を上げるような物は――。


(……あった!)


 ヒタクはかいから足をおろし、絡羽からばねを手に取った。


「ちょっと、どうしたの? 羽なんかまとって」


「推進器があればいいんだよね」


「へ? ああ、うんそうだけど……」


 戸惑う少女を気にせず、ヒタクは脇のレバーを上下して、背中の翼のゼンマイを巻いた。そして舟底に手を突き、羽を動かす。


強行展翅きょうこうてんし、ツノカブト」


「はい? い~っ!?」


 少年の背負った二対の羽が高い音を奏でる。幅広の四枚が残像を残すほどの高速で振動し、舟を下降させる。


「ちょ、なにやってんのっ!」


「空の下層は風の流れが違うんでしょ。行きに見た軍船みたいに西風に乗れば……」


「バカッ! あんなデカブツと一緒にしないで!」


「帆綱をしっかり持って! 風に巻かれるとひっくり返る!」


「分かってるわよ!」


 などと言い合っているうちにも、空の色が白く薄れてきた。大気を照らす日の光が、青から赤へ移り始めている。赤い森へ落ちた時のように、空深くを降りているのだ。


 風向きが変わる。


 帆が吠える。


 二つの舳先へさきが加速する。


「わわっ……!」


 往路ののんびりした行程が嘘のようだった。勢いを増した双胴の舟は、時に雲を突き破り、時に浮遊岩塊をはじき飛ばしながら疾駆する。操帆に伴う疲労も半端なものではない。アヌエナの腕にしびれが走り、脚にも震えが来て止まらなくなる。


「ちょっ、これ! まじでシャレになんないんだけど!」


 空は旅慣れているはずの彼女だが、切実に休息が欲しくなった。少し舟の勢いが弱まったところで、息を切らせながら背後に話しかける。


「ちょ、ちょっと。休ませてくんない? 船体を安定させるだけで、結構、体力使うんだけど……って!」


「ん?」


 見れば、少年はもう一度きりきりとレバーを動かしていた。


「なにゼンマイ巻いてんのよ!」


「後ろから押せばもっとスピードが出るかと思って」


 そう口を動かしながら浮き上がり、帆柱へと両腕を伸ばすヒタク。ぶん、と羽の震えが増すとともに、舟が風の中に押し出される。


「だから、休ませてってえ~~~~~!」


 どこまでも続く蒼球そうきゅうに、少女の悲鳴が響き渡った。

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