4-5 夜更けの電話

 風呂上がりのリーシンは窓辺で夜風に当たっていた。今夜は気温も湿度も高くなく、涼やかな風が火照った体に心地よい。何を考えるでもなく丸窓から星空を眺めていると、机の上のカード型情報端末が鳴った。


「え?」


 ディスプレイに表示された名を目にし、軽く驚く。もうそろそろ寝ようかというこの時間、彼がメッセージによらず直接連絡を取ってくるのは珍しい。


(一体何の用かしら。ひょっとして、急に私の声を聞きたくなった、とか。……いえいえコーヤに限ってそんな。でももしそうだったら嬉しいな。……まさかかけ間違えた、なんてことはないわよね)


 手早く乱れた髪を整え、緩んだパジャマの襟元を締め直す。


 どうにか澄まし顔を取り繕って応答に出る。


「なにかしら? こんな時間に」


『ああ、ちょっと頼みたいことがあって……時間大丈夫か?』


「ええ。寝る前に少し、夜風にあたっていたところよ」


『そっか』


「そ、それで? こんな夜更けになんの用かしら」


『頼む。アムが今いる場所を占ってくれ!』


 ピシッ。


 その言葉を聞いた瞬間、どこかでなにかにひびが入った気がした。きっと鏡を見れば、自分の額に青筋が浮き出ていることだろう。


「あのね……」


 自分でもよくわからない苛立ちが募る寸前、音に敏感なフェーレスねこの耳が緊迫した声を捉えた。


『マスター!』


『おっと!』


「どうしたの!?」


『ああ、ちょっと車とぶつかりかけて……』


「は?」


 当然のことだが、自室にいるのなら自動車とぶつかることなどない。そうすると彼は今、外にいるのだろう。そこまで考えてから、リーシンは恐ろしい可能性に気付いた。


「まさかあなた……。今、バイクを運転しながら通話してるの?」


『や、それは……』


 曖昧に言葉を濁す相手に頭を抱えたくなる。ながら運転の危険性は、情報機器が携帯するものモバイルから身に着けるものウェアラブルになった現在でも変わらない。そもそもパティがいれば自動運転が可能なはずなのに、なぜそんな真似をしているのか。


 さすがに怒鳴らずにはいられない。


「なにをやっているの!? 立派な危険行為でしょう! そんな馬鹿な真似、いまどき幼稚園児でもしないわよ!?」


『あー、練習っていうか特訓っていうか?』


「何の特訓よ!」


 そこまで怒鳴ってから、リーシンは自分を落ち着けるために深呼吸した。これ以上無駄に時間を費やしていたら、なおさら事故の起きる危険が高まる。


「一度切るわ。落ち着いて話せるようになってからまた連絡して」


『ちょ、待ってくれ! 落ち着いてる場合じゃないんだ。今すぐアムを探しに行かないと!』


「……どうしてそんなに急ぐの?」


『だからあいつ、また迷子になってて……』


「……」


 情報端末の表面を軽く撫でてアプリを起動、トランプ・カードを一枚表示させる。


「ジョーカー。……嘘ではないけれど本当でもない?」


 曖昧な結果にリーシンは眉根を寄せた。


 だが、居場所が知りたいと言ってきている以上、アムの行方が分からないというのは事実のはずだ。ならば正しくないのは、事実を説明する言葉の方だろう。


 言葉はいつだって曖昧だ。だから論理を重視する。それが現代の占い師である黒猫娘のモットーだ。


(事故なら隠す必要はないし、もし何らかの事情でアム自ら去ったとしても、特訓なんてものする理由がない)


 つまりは……。


「彼女は今、何かしらの事件に巻き込まれているのね。けれどあなたは、警察に頼らず自力で解決しようとしている。――どう、合ってる?」


『こんな時まで占いで判断するなよ!』


「手短でいいでしょう。それとも、今からあなたの下手な嘘を長々と追及した方がいい?」


『くっ……』


「ほら急いでるんでしょう。何があったのか早く言いなさい」


『マスター』


『……分かった』


 ――十分後。


「あーっもう!」


 リーシンはベッドの上で思いっきり寝返りを打っていた。


「用があるなら直接会いに来なさいって、いつも言ってるのに」


 どれだけ言葉をかわそうと、声ではその腕をつかめない。


 好きな人が危険に飛び込もうとしても、止めることはできない。


 コーヤが狩人として活動するようになってから、何度こうした気分を味わっただろう。


「今度、思いっきり文句言ってやる」


 枕を抱く腕に力を込め、顔を埋める。


 もどかしさを心の内から捨てるように、少女は呪いめいた言葉を吐いた。


「だから無事に帰ってきなさい」

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