3-2 橋の上での出来事(前)

 海岸沿いを一通り走ったが、特に何も見つからなかった。これ以上は収穫なしと判断し、ニレンゼ川河口にかかる吊り橋に向かう。これは南側の港湾地区に抜けるバイパスで、川のみならず何本もの道路をまたぐ長大な高架橋だ。長く勾配のある上り坂を進みながら、コーヤはとりあえずの結論を出した。


「結局、本人に会ってみないと何も分からないってことか」


『そうなりますね』


「あそこから最短距離で来たんなら、あの辺りを通った可能性は高いんだけどな」


 海辺にボートや水上バイクの類は見つからなかった。なにかしらエミリアが上陸した痕跡はないかと期待したのだが、もののみごとに空振りだった。あるいはすでに違法投棄として処分されたか、研究所の方で回収したのかもしれない。


 そうした推測を話すと、パティが異論を唱えてきた。


『マスター。結論を出すには早いですよ。エミリアさんが研究所から脱走、あるいは距離を置こうとしたのなら、むしろ乗り物に乗ったままできるだけ遠くへ行くと思います』


「あ、そうか。位置関係からすれば、川をさかのぼって内陸に向かった可能性もあるのか」


 気付いて高架橋から川上側に目をやる。少し遠くに、昨夜渡ろうとしてできなかった橋が見えた。今は周囲の風景に溶け込んでいるが、あの夜間工事の照明は星よりも目立ったことだろう。もしかすると、明かりに引かれて川に入り込んだのかもしれない。


 コーヤはそう考えたのだが、相棒の意見は違うらしい。電子の妖精は小さな顔に難しい表情を浮かべた。


『うーん、どうでしょう。海からでも橋が工事中なのは分かったでしょうから、そこは避けるかもしれません。時間的に考えても私達が械物メカニスタに遭遇する前後になるはずですが、それらしい姿はありませんでしたし』


「それもそうか。あの魚型、かなりのスピードで泳いでいたからな。自家用機ぐらい追い越す……か?」


 そこまで言って、コーヤはある恐ろしい可能性に気付いた。


(もしかして、海を渡ってる途中で械物メカニスタに沈められたとかじゃないだろうな)


 ありえない話ではない。あの五メートル近い大型なら、小型の船舶をひっくりかえすぐらいわけない。なにより、リーシンの占い結果とも合致する。


『コーヤさん?』


 バイザーに映る少女が首を傾げた。その目に宿るのは不審ではなく、急に黙り込んだコーヤを純粋に不思議がっている。


 今、ここで、全てが手遅れである可能性を彼女に示す意味はない。


「いや、工事現場の映像記録を見せてもらうわけにもいかないしなと思って」


『当たり前です。なんて言って頼むんですか』


「ならもう、物理的な可能性は置いといて、心理的な面から考えてみるか。エミリアさんがここからどこへ向かったか、心当たりはある?」


 そうやって違う方向へ話を向けると、アムは視線を上に向けて考える仕草を見せた。そして自分の記憶領域からなにか見つけ出したらしく、はたと手を打った。


『ありました! 姉さんとお話ししていた時に『酒が飲みたい』と聞いたことがあります』


「……酒?」


『はい』


 人工知性が、酒。


 それも外で。


(つまり、電相空間で再現されたバーチャルなものじゃなくて、リアルに飲みたいのか?)


 確かに、接客用のオートンには酒を飲む機能を持った機種もあるが。自分から望むのは珍しい気がする。あるいは、コーヤが人工知性の開発現場に詳しくないからそう思うのか。


(どっちにしろ、これはハズレか。ま、話題を変えたかっただけだからいいけど)


 そう自分を納得させていたところ、当の人工知性が意外な感想を漏らした。


『ある意味、電子人形サイドールらしい興味と言えば言えるのかもしれませんね』


「そうなのか?」


 相棒の思いがけない発言に、つい確認をとる。


『なにせオートンの中でも、最もヒトに近く造られる存在ですから。外見はもちろん、感覚や感情も。嗜好や興味の対象といったものもそうです』


『月を眺めながら飲むと、とてもおいしいと言っていました』


 アムが同意するように首を上下に振る。開発者の趣味だろうか。あるいは、研究所内の雑談でも聞いて興味を覚えたのか。


「それはそれで風情があるのかもしれないけど……。手がかりとするには、あー。ちょっと難しいか」


『そうですか……』


「気にすんなって。結局捜査の基本は足だしな。サークルの方になにか情報はあるか?」


『……いえ。特に何の発表もありませんね。電子人形サイドールの失踪どころか、事故そのものの報道がありません』


「やっぱり、アムのことは表沙汰にしたくないんだな。それぐらい極秘の研究ってことか」


『とりあえず、情報サイトやブログを回って目撃情報がないか見てみますね。開発途中の電子人形サイドールが街中を歩いていれば目立つでしょうから』


「おお。じゃそっちはパティに任せて、俺達はリアルに聞き込みするか」


『聞き込み……探偵ですね!』


(どこで覚えたんだろ)


 占いは知らなかったのに。


 などと不思議がっていると、いきなりパティが鋭い声を上げた。


『マスター!』


「どうした? なにか見つかったのか」


 早速当たりか、と思ったら違った。ナビ役を務める電子の妖精が、大げさな身振りで運転以外に注意を向けるよう促す。


『周りを見て下さい』


「は?」


 とりあえず、言われたままに周囲を見回す。コーヤの頭の動きにつられ、アムも広々としたバイパスを眺めながら一言。


「なにもありません」


「いや、なにもないってか……誰もいない?」


 いつの間にか、高架橋を走っているのはコーヤの電導二輪だけになっていた。ほかに車は一台もいない。港湾地区につながるこの道で、人を乗せたバスも資材を積んだトラックもまるで姿が見えないというのは異常だ。


「どうなってんだ?」


械物メカニスタ警報です。この高架橋に複数の械物メカニスタが出没したとの情報があり、十五分ほど前から封鎖されていたんです。みんな別のルートに回っています』


「……なんで俺は走ってるんだよ?」


『マスターのバイクは許可が出ています。……どうも、特定の登録ナンバーを持った車両は通すようになっていて、警報も届かないように設定されているようです』


 異常に気付いた電子妖精が、次々と仮想窓ウインドウを広げながらサークル内を流れる情報を拾い集めてくる。一方、コーヤは現実の異変に目を留め、ハンドルを握る手に力を込めた。


「出没した械物メカニスタって……あれか?」


 バイザースクリーンの隅に配置されている、周囲の状況を知らせる仮想窓ウインドウ。その内の後方情報を拡大するよう意識する。


 映し出されるのは、たった今通過した路面が伸びるように流れ去る光景。


 その上を、車線などお構いなしに三頭の獣が駆けてきている。小刻みに揺れる鼻と、口元にのぞく鋭い牙が特徴的なその顔を見て、アムがやや自信なさそうに言った。


『オオカミ、ですか?』


『そうです。獣型械物メカニスタの代表種、クロームウルフ!』


 パティが断定する間にも三頭はじりじりと距離を詰めてくる。彼らのその、凶悪そうな面構えに反し、風になびく鈍色の体毛は一見すると柔らかな印象があった。


 だがその実態は、鉛の弾丸を軽くいなし、生半可な火薬では煤もつかない鋼の毛皮。生物の柔軟さと機械の頑強さを併せ持つ械物メカニスタの、まさに見本といっていい。


 またそれとは別に、クロームウルフが獣型の代表とされる理由があった。


『主に山間部に生息し鉱物資源を餌とするものの、不法投棄された電子製品を漁ることも多い。中でも、高純度に精製された金属部品の味を覚えた個体は特に危険。自然鉱物に満足できなくなった彼らは車両やオートン、時にはウェアコンを狙って人を襲う。狩人以外の市民にとっては最もポピュラーな械物メカニスタであり、同時に警戒するべき脅威、ですか』


『なんてこと。こんなに近くに来るまで察知できなかったんて!』


 脅威に対する理解の差が、そのまま電相空間上の二人の行動の違いとなって表れる。マイペースに検索しているアムはさておいて、状況把握のため高速で情報処理を行うパティに向かってコーヤは思念を送った。


『橋の封鎖はともかく、あいつらはこっちの仕事でいいんだよな』


『――はい。現状の検証と狩猟規則の照合を終えました。いつでもどうぞ』


『ようし。久しぶりの市街戦だ。運転はこのまま俺がするから、パティはガイドを』


『了解です』


「電導具起動。――アム、悪いが少し暴れるぞ。しっかりつかまっててくれ!」


『群れで行動する生態上、仲間意識や忠誠心といった社会的性質が強く、他種と行動を共にする例も……「あ、』はい!」


 急に声を掛けられて驚いた電子仕掛けの少女が、電相と実相の両空間で返事をする。それを合図にアクセルグリップを握り締め急加速。バイザーに映る後方視界では、引き離されると焦った狼たちが頭を低めて足の回転を上げにかかった。


『今です!』


輝光弾テジャスパレット!」


 右手を背後に回し、腕輪から光の弾丸を放つ。一条の閃光が風を切り裂き、スピードに乗ったばかりの一頭に直撃する。


『命中! 目標、沈黙しました』


「よし、次!」


 二頭目に向け狙いを定める、そのタイミングで。


「カーカークァ―」


 どこからともなく、灰色の羽を持ったカラスが飛んできた。電導二輪と並走するように、一定の距離を保ったままぴたりと付いてくる。


「なんだ、あのカラス。械物メカニスタか?」


『――いえ。該当する種はデータベースに登録されていません。ですが、普通の鳥ではないのは確かです』


「じゃ新種……」


 コーヤがそう言いかけた時だった。


「う……」


 突然、背中からうめき声がした。仮想窓ウインドウでは、アムが苦しそうに額を押さえている。


「どうした!?」


『その……急に目眩が……』


『マスター、不自然な電磁波を検出しました。屋外での利用が禁止されている周波数です』


「なんだって!?」

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