怪奇大和伝 鬼火

こたろうくん

鬼火

 甘原へと帰省した“もんきちや”の一行。

 山の中にそびえ立つ立派な屋敷のような門吉の実家の姿に驚く居候の佐助は、家事の手伝いに行くと言うメリージェーンの尻を追いかけるように行ってしまい、門吉は一人縁側でごろ寝をしていた。

 店を兼ねる岩戸の自宅は庭付きとはいえ商店街の只中、夕暮れの色は同じだが聴こえてくるヒグラシやらのセミの声の量はまるで違う。違うが、少なくとも青春を過ごした場所なのではじめはうるさいと感じたもののすぐに慣れ、カナカナという声たちに彼は懐かしさを思い出していた。

 母と祖父が死んだのも夏。姉が“おかしくなった”のも夏のある日の事が原因だし、甘原を離れ岩戸に越したのも夏の事。いつもセミが鳴いていた。

 姉には遭いたくないと門吉は思いながら、食べ易く三角に切り分けられたスイカを横になったまま一かじり。塩が欲しいと思うものの、メリージェーンは祖母の所だろうし祖母に気に入られたらしい佐助も扱き使われているようだ。気を利かせて塩を用意してくれる者は此処には居ない。呼んでもその声が届かないほど広大な実家を彼は恨んだ。

「……ほたる、なにしてっかなぁ」

 夏といえば“ほたる”が現る季節だった。此処では誰にも頼られない暇なだけの門吉にする事があるとすればスイカを食べるか尻を掻くか屁をこくか、そうでなければそんな貴重な“ほたる”との夏の時間をこんな場所で過ごしたくなかったと、うるさく帰省を催促した祖母をやはり恨むことくらい。

「ったく、たまには一家揃ってなんつって、集まってねえじゃねえか……一番乗りかよ」

 姉はどうかしていて、父とは気不味く。つまり門吉は家族と会いたくないのだ。憂鬱な溜め息をまったりと吹いてやってきた風が彼の口から攫って行った。

 その後も門吉はただぼぅっとして生垣の向こうに広がる鬱蒼とした森の仄暗さを見詰めた。その中にふらふらと漂う、ホタルの様な緑色の光をふらふらと目で追いながら彼は森の中を駆け回っていた幼い日の事を思い出していた。あるいはその光が彼にそれを思い出させたか。

 キンキン、カナカナとヒグラシの鳴き声ばかりが彼の耳には響いていた。それはまるで染み入るようで、門吉の眼はいつしか光の漂う森とは違う何処か違う所を視ていた。


 一


「……んがっ」

 気が付くと眠っていた門吉が目覚めたのは偶然だろう。

 特に何か理由があったからと言うわけではなく、ただ単に意識が急浮上し目が覚めた。それだけの事であった。

 寝た自覚を持っていなかったからか起きた門吉はそれに驚き身体を震わせると声を挙げる。開けっ広げたままだったらしい口は口腔がかぴかぴに乾いていて喉は少し痛んだ。

 口を閉ざし、滲んだ唾液を転がして口の中と喉をしっかり潤しながら周囲を頻りに見渡す門吉。

「何処だよ、ここ」

 引きつった表情をして声を荒げた門吉の目には鬱蒼とした森林が四方に広がり、自身を包囲している様が映っていた。

 寝てしまったとしても、少なくとも縁側でだ。よもや寝相が悪すぎて縁側から生垣を越えて山の中に転がったわけではなかろう。夢遊病の気も門吉には無いはずだ。

 頭や背中にくっついた葉っぱや枯れ枝、土埃を払いながら起き上がった門吉は改めて周囲を見渡す。木々の見下ろすかのような佇まいに少々気圧されつつ、全方位から鳴り響くセミの声を浴びて無地のTシャツとサーフパンツに隠れた肌がじっとりと汗に湿る。緊張もあるだろうが、偏にやはり暑いからだった。セミの煩わしい音はそれを門吉に思い出させた。

「くっそぅ、またこう言う展開かよ」

 サンダルくらい用意しとけ――異様な事態であるが門吉にとってはそれなりに慣れた事態だ。裸足に枝や小石が刺さる感触に難儀して文句を言う彼はとぼとぼと木々の合間を歩き始めた。

「……裏山じゃねえな。西割の方か? あ? なーんか覚えあンだけどなあ。なんだっけな……」

 いまいち思い出せない不出来な己の頭を掻きつつ門吉はポケットに手を突っ込む。しかしその中に目当てのケータイは無かった。そう言えばとケータイは縁側にほっぽり出したままだった事を思い出す。

「どーせあっても圏外か、ヘンなとこにしか通じねえしなあ」

 この様な状況にあって役に立たない物の筆頭はケータイである。門吉はよくそのことを理解していた。

 それでも縋ろうとしてしまうのが現代っ子たる由縁だろうか。そんな事を思いつつ、ぶらぶらと気の向くままに歩み続ける門吉の耳にはいつまでもヒグラシの声ばかり。

 風流だねぇと何の気無しに向いた方角に、眠りに落ちる前目にした光を門吉は見付けた。彼はそれを暫し見詰めながら、一つ頭を掻く。

「……他に行く宛も、ないしなぁ」

 右へ行っても左に行っても、進もうが戻ろうが堂々巡り。そんな予感を禁じ得ない門吉はこの状況を変えるには罠だろうが何だろうが行ってみるしかないと考え、ゆらりゆらりと何かに吊るされてでもいるかのように胡散臭く揺れている光というか人魂の様なものを追ってその足を進めるのだった。


 二


 カナカナ、カナカナ……

 ヒグラシが鳴く。風は無く、木々の枝葉は揺れず。ただヒグラシがコオロギか鈴虫か、ケラと鳴く。

 空は窺えず、ただ黄昏の闇が姿を現し始めた頃、それでもまだじっとり湿った暑さの中を果たして門吉はどれだけの間歩いたことだろう。

 虫の声ばかり、夕焼けに染まり所々にある闇を見ながら彼はしかし無心でただ足を進ませ続けた。もはや目の前から件の人魂の様なものが消え失せていることにすら気付かずに。

「あン」

 そして思わず声が零れた。

 門吉が気が付いた時、覚えのある山道に飛び出したからだ。

 道と云っても車や大人数が往来する為のものではなく、かつて誰かが利用する為だけに均したような荒い足の踏み場とでも言えば良いか。

 そこを知る門吉は前後を窺う。何処からどうやって此処までやって来たのかを思案するが思い出すことは出来なかった。しかし間違いない、この道を彼は知っているし、しかも此処は今ではないということも。

 だとしたら――門吉は振り返り、すっかりぼろぼろになった素足を庇いつつその道を歩み始めた。すると見えたのは、二つの人影であった。

 すると直後に門吉の全身をより濃い汗が塗らす。虫取り網を右手にキャップを被り、首から虫籠を下げた児童の左手を取り歩く濃紺の甚平を来た背の高い老人。

 門吉は足を止め、こちらへとやって来る二人の為にそっと端へと寄って道を空けた。やがてその二人が彼の側に、まるでそこに何も無いかのような調子で差し掛かろうとした時である。老人が足を止め、それを見ている路肩の門吉の方を向いた。

 きゅうと門吉の喉が締まり、大きく喉仏を上下させながら無理に押し込んだ息がそう変な音を鳴らす。老人は連れた児童に催促されるまで門吉の事を見詰めたまま、門吉も蛇に睨まれた蛙が如く動けずにいて、そうしてやがて老人は再び前を向いて児童と話しながら道の向こうへと行ってしまうのであった。

 見送った門吉の目にはその間際、よく覚えている笑みが映っていた。なるほど、そういうことかと彼は納得する。そして頭を掻いた。

「なんでこんなこと、今さら俺にバラすワケ?」

 言いながら振り返り、うつむきがちであった顔を上げる門吉。そんな彼の前には――誰も居なかった。

 ぼけっとして虚空をただ眺める門吉は丸い目を白黒させ、頭を掻いていた手を止める。

「おいおい、フツーこう言う時ゃあなんかあンだろぉ……?」

 確信は無く、それっぽい雰囲気であったが為に紡いだ言葉。

 見事にアテが外れたもので門吉はがっくしと頭を垂れて肩を落とした。他に誰も居なくて良かった。寧ろそんな風にすら思ってしまう。

 しかしそんな彼の目の前をあの人魂がふわりと横切って山の中へと漂って行った。門吉はそれをおのれと思いつつ、また追い掛けて木々の合間へと入って行く。


 三


「おうっ」

 びくりと門吉の肩が跳ねる。また無意識の内に別の場所に出たことに気付いたからだ。

 ヒグラシの音はもう聞こえない。黄昏の空も大分暗くなっていた。いよいよ闇に包まれようという景色であったが、門吉の目にはしかし煌めくものが映って、その耳には笛と太鼓の音がセミの声に変わり届く。

「……明野神社……二十年前、かなぁ」

 いよいよからくりが分かってきたと、そこまで理解すると門吉の頭の中で光景と記録が合致し記憶として思い起こされ出す。とは言え先程の事もあるので少しだけ濁す。恥ずかしいのはもう御免だと、そういうことのようである。

 赤白黄色、青色に桃色。色々な色が浮かび上がり、行き交う人々の大量の影が楽しそうな言葉や声を発し場を賑やかにさせる。手にしているらしい綿菓子やフランクフルト、パック詰めされた焼きそばにかき氷たちだけが色を持ち形を持って影と共に動き回っていた。

 しかし触れることはなく、また触れることも出来ず、門吉は己の身体を次々とすり抜けて行くそれらをちらりと見たりしながら境内を練り歩く。出店では機械の中で回る氷や鉄板を鉄ヘラと踊る焼きそばたちがやはり賑やかに音を立てている。

 匂いもしっかりとしているもので、スイカを一切れかじった程度の門吉の腹がぐうとなり空腹を彼に知らせた。

「……ももタレとねぎま二つずつください」

 なので目についた出店の一つ、そこでくるくると火炙りにされている焼き鳥を指差し、門吉が虚空に向けてにこやかに告げる――が、当然のように返事は無い。

 ちぇっと舌打ちを一つ鳴らした門吉はまた頭を掻きながらぶらぶら。やがて歩き疲れた頃、喧騒渦巻く参道から離れて本堂の傍らに腰を据える。遠目に見聞きする祭りの様相は何処か物悲しく寂しいものがあったが、落ち着くにはちょうど良くも彼は感じた。

「あー……くそぅ、思い出したぜ」

 これは間違いなく二十年前の明野神社での夏祭りである。何故かと言えば門吉はこの日、今の自分のように疲れて参道を離れ、本堂に来ると見たからだ。

「……俺、だったかぁ」

 彼が見詰める先では一つの小さな影が砂利の上にぽつんと滲んでいた。苦労してようやく一匹捕ることの出来た金魚が窮屈そうに泳ぐビニールをぶら下げて。

 そうだったそうだったと地べたに尻をつけた門吉が頭を垂れて溜め息の後、呆れた調子で繰り返す。

「なんだコイツとか思ってたが、そりゃねえや」

 自分自身にその感想はあんまりだ――子供時分とはいえ、しかし確かに泥だらけで裸足の、しかもいい大人である己の今の醜態は誰が見てもなんだコイツと思うことだろう。門吉はそれが理解出来てしまい、そんな自分を情け無く思うのであった。

 しかしそれとは別に、この日この時、他に何かなかったかを彼は思い出そうとしていた。

「……なんだったかなあ」

 だがそれが思い出せず、何かあったような気はしつつもそれが解消されないもどかしさに門吉は身悶えしそうになる。

 確かに何かがあったような気はしていた。だがそれが何だったか、けれど思い出せない。

 祖父はこの日居なかった。姉は一緒だったが、この頃の彼女はまだまともで、途中クラスメイトを見付けるとそちらと合流して遊び始めていたはず。

 自分はと言うとどうだっただろうか。門吉は首だけでなく脳みそも捻るつもりで考えた。目の前に佇んでいるはずの、金魚をぶら下げた影がそうであることには間違いない。本当に苦労したのだ。金魚を捕るのには。

「手持ちの小遣いを全部使って……それでも取れなくてだなぁ。おっちゃんがお情けでラストワンチャンスくれた……んだったよなぁ……確か」

 それで――門吉はその時のことを中心に記憶を辿る。どうやって捕った? 不器用だから、そのままでは捕れなかったはずだ。どうして?

「あ……ああっ」

 そうか、お前か――掬い取り方を教えてくれたのだ。その人物は確かこの本堂の縁側に座っていた。

 門吉が傾いていた頭を戻し、首を捻って横を向く。その先には銀色の巨大ヒーローを象ったお面が宙に浮いていた。それは金魚のお礼にと門吉があげたお面だった。

 記憶の蓋が開きお面を始め、それを被っている影にどうと色がついて行く。

 毛先に行くにつれ黒ずんで行く明るい茶色の髪が温かそうで、ひまわりの浴衣が愛らしかったその姿。見たことのない人、女の子だった。お面をあげると、それは笑顔で喜んで駆け出したりしていた、犬のような少し変わった子。

 けれど名前はまだ――


 四


 ――どの。……門吉殿!!

 声に導かれ、ぱちりと突如として視界いっぱいに太い眉の濃ゆい男性然とした顔が広がり門吉ははっと息を飲んだ。

 目を覚ました門吉を見てその男性――佐助はにかっと白く並びの良い歯を剥いて笑った。顔は濃いが、頬を持ち上げて目を歪め笑うその表情は子供のように無邪気である。

「よく寝ておられたので、起こすのも些か気が咎めたでござるが、大御所様の命に逆らうことも出来ず不肖この佐助、御殿を起こしに参った次第」

 門吉がごろりと横たえていた身体を起こすと、それを避けつつ佐助は彼にははぁとひれ伏しながら告げた。そんな相変わらず、寧ろこの古臭い屋敷に来て盛り上がってもいるのだろういつにも増して胡散臭い言葉を遣う彼に門吉は頭を掻きながら呆れ顔。

「大御所て……ババアがそう呼ばせてんのか?」

「はっ……どうせなら、と」

 相変わらず変なところで見栄っ張りだと祖母についてもまた呆れる門吉であった。そんな彼が縁側から山の方へと顔を向ける。佐助の不思議そうな視線が彼を追ったが、気にしない。

 既に黄昏も夜に代わり、木々たちは純然たる闇を抱いて鈴虫たちの音の中で静かに枝葉を揺らすばかりであった。完全に眠りに落ちているそこに、門吉が見た人魂も鬼火もありはしない。

「夢かよ」

「は? 門吉殿、如何なされたか」

 晴れた星空に鈴虫の声、風に微かに揺れて鳴る木々たち。清涼として風流であると、門吉の視線を追い掛けて景色を見ていた佐助がのんきにもそんなことを考えていると突然唱えられた門吉の言葉に意表を突かれ聞き返してしまう。

 門吉がまた頭を掻きながら佐助に振り返り「なんでもねーよ」と片目を閉ざし舌を出して言う。

 ますます不思議で佐助は、理解出来ない言葉を聞いて子犬がそうするように小首を傾げるばかり。すると背に気配を感じた彼はさっと正座したままながら迅速に振り向いた。そして見付けたのは桃色の髪を短く整えたメイド服姿のまだ若い女性、メリージェーンであった。

「良い顔をしてますね、門吉」

 容姿端麗で、あまりにそれが過ぎる為に人形のような印象すら受ける彼女であるが、その口から紡がれた言葉には確かな生命と感情が含まれていた。

 その声にたちまち腑抜けにされてしまう佐助を放っておいて、門吉は依然頭を掻きながら微笑し、再び山へと視線を投げると言うのだった。

「まあ、な。良い夢だったぜ? 大切な事も思い出せたしな」

 きっと自分がこれまで帰ろう等と思わなかった故郷に来ようと決断したのは、きっとこの為だったのだと門吉は思っていた。

「朝ンなったら出掛けるわ」

 そして門吉のその一言に待っていましたとばかりにお供を申し出ようと佐助があれば尻尾でも振っていそうな様相でした時、しかし彼の肩にそっとメリージェーンの白い肌が眩しい手が添えられた。

 佐助が見ると彼女は「琥珀様は私たちでなんとか抑えておきます」と佐助を見詰め微笑みつつ門吉に告げる。佐助も意図を察し頷くと「賢姉琥珀様のお力に拙者で何処まで太刀打ちできるか分かりませぬが、どうかお任せくだされば門吉殿の為に力の限りを尽くしましょう!」言って門吉と似たり寄ったりな軽装でありながら、どこからともなく“ひょう”と呼ばれる伝来の投てき武器が彼の右手には包まれていた。

 それを見て門吉が苦笑を浮かべる。程々にとそう言い聞かせた後、闇の奥へとその目を向け直した彼は仄かに口元を緩めながら名前を聞く以外に何を話そうかとそれを夢想するのであった。

 その時、ほんの一瞬だけちらりと、門吉の瞳の中で漂う鬼火が閃いた。


 終。

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