第22話 【ゾーン】と【可動域】

浦和小学校 校門


ん? なんだあの黒い車。おいおい、勘弁してくれよ。


校門を潜ると道路の端に厚みある紙を掲げたお爺さんが立っていた。


その後ろには黒塗りの高級車が待機。紙に書いてある字を優秀な視力がはっきり捉え、瞬時に理解してしまう。


「二宮様ですね。お迎えに参りました。前澤様からの伝言です。送迎を断ったのは聞いているが、やはり心配だから勝手にすまんな、だそうです。いかがなさいますか?」


彼の名前は浅井さん、浦和に所属する運転手だそうだ。なんでも周囲の報道陣や逆上するかもしれない元受付などを懸念したレッドの方々が手配したらしい。


ちなみに前澤さんは三次試験の面接を担当してくれたお偉いさんだ。


とてもありがたいことなのだが勘弁してくれ。今日は全校生徒が五時間で授業が終わる月曜日。つまり現在校門には一週間の中、一番人がいるのだ。


全校生徒がぞろぞろと校門を潜る中、皆の視線を独り占めと言うのはあまり気分のいいものではない。これが生まれも育ちもスターなら注目されることは嬉しいのだろう。


しかし前世も今世も一般市民な俺からすると面から火が出るほど恥ずかしいのだ。三浦くんのことバカにできないな。


お前も十分恵まれた家庭だろ?それはそうだがメイドや執事を雇えるような富豪な訳でもない。


そういう坊ちゃん達は公立に通わず、私立に行くし。車で出迎えは周りからイキってると思われるだろう。



「分かりました。わざわざありがとうございます。できれば今度からは事前に連絡お願いします」


「分かりました。では。どうぞ、お入りください」


「はい」


天を仰いでため息が出そうになるのを抑える。そしてドアを開けてくれる浅井さんの言葉に従い後部座席に乗る。慣れない。


「自宅に向かわれますか?」


「いえ、直接浦和で大丈夫です。必要なものは全て揃っているので。あと浅井さん、そんなにかしこまらないでください。僕は小学生ですよ」


「いえいえ、前澤様からくれぐれも失礼がないよう仰せつかっておりますので」


この短い会話で俺の小物感伝わってしまうな。しかしここまでへりくだった態度をされるのは慣れない。どう反応すればいいか困る。



気まずいし【スキル】でも見てるか。どうせ20分しないで着くだろう。



【ゾーン】極限の集中状態に強制的に入る。30日に一度10分間使用可能。


《現在使用不可 次の使用可能日まで残り27日》


あと27日も使えない。獲得してから制限が切れるとすぐに使うようにしている能力の一つだ。


幼い頃からゾーンを経験することによって、【スキル】がなくてもこの集中状態に入れるようになればいいなと思ったからだ。


また【最先端サッカー学】にもゾーンの項目がある。そこで説明されていたのは未来のトレーニング理論でさえ、任意の時にゾーン状態に入るのは不可能と書かれていた。


しかし確率を上げることは可能だそうだ。


瞑想、座禅、ヨガ、暗示、イメージトレーニング、レゾナンス呼吸等と様々な方法が紹介されていた。


個人的に好きな瞑想とイメージトレーニングは毎日続けている。効果が現れればいいが。


そうは言ってもプロのアスリートでさえ両手で数えられるくらいしか人生でゾーンには入らない。


【スキル】で月一回使えると言うことは凄まじい。一説によるとゾーン状態はその選手が持っている現時点の能力を十全に使え、それを己の体で可視化したものらしい。


そこで目を付けたのが、繰り返し【スキル】を使うことによって、今の身体能力が出せるポテンシャルを全て出した時の感覚を体に覚えさせていくことだ。


再現可能なパフォーマンスを無理やり【ゾーン】を使い引き出す。


つまり、月に一回自分の限界を体感できる。セレクションでみせたプレイも暫く練習したら普通にできると言うことだ。


能力で強制的に自分の器が拡張されているようなものかもしれないな。


それは誰もが恋い焦がれる能力だ。成長が停滞している選手がごまんといる中、スランプに陥り何ヶ月も思うようにチームに貢献出来ず、戦力外通告される多くのサッカー選手。


それほどまでにスポーツを職業にする世界はシビアで競争が蔓延っている。


誰もが停滞を経験したことがあるだろう。しかしこの【ゾーン】を使えば回避できるのではないかと考えている。


この【スキル】を獲得したのは8歳と11ヶ月の頃だ。今でもはっきり覚えている。身体操作の累積時間が2万5千時間を超えたときに突如としてステータスに現れたのだ。


使った瞬間、世界から色が消えたよ。100%集中して練習していたにも関わらず、【ゾーン】を使った刹那、今まで見えなかった様々なものが目に飛び込んできた。色褪せた世界で必要な情報だけが次々と浮かぶ。


そして10分経った時、突如として現実に引き戻される不思議な感覚。まるで掃除機に吸い込まれた先が色ある世界。最後には自分のパフォーマンスの質が下がった喪失感。


しかし、気付いたんだ。【ゾーン】を発動している時に繰り出した技の感覚を自分の体が覚えていることに。


再現することを目標に時間すら忘れて訓練に打ち込んだ。同じ動きができるまで2週間くらいかかっただろう。


それが分かってからは、今まで体感したことないスピードでぐんぐん自分の技術が向上した。


なんせ自分の体が出せる限界のパフォーマンスをたったの10分だが実際に体感できるのだから。


それを目標にすればいい。また体を酷使しても怪我をしない【スキル】のおかげで安心して無茶できる。


【可動域】身体の各関節可動域を物理的に運動することができる限界可動域に拡大して、人間が可能とする全ての動きができるように動作を補正。また傷害原因に限り外力を半減し、人間の生理的限界可動域内の傷害率を圧倒的に下げる。


これのおかげで本当に怪我をしない。関節は体を動かすとき、動きの骨組となる部分だ。その傷害率を下げるとあれば甚大なダメージさえなければ多少無理しても問題ないのだ。


訓練マニアからすると本当にありがたい。


「着きました二宮様」


おっ、浦和レッドに着いたみたいだ。


相変わらず丁寧な浅井さんはドアを開けようとするが、自分で開けた。そこまでさせるのは申し訳ない。まだ結果も何も残していないただの小学生だ。謙虚にならなくては。


それにしても浦和レッドは巨大だな。サッカー選手が必要とする設備が全て揃っている、流石日本最高峰のクラブという評価は伊達ではない。俺よりも上の世代のユース生がジョギングしているのを横目にピッチに視線を向ける。


これほどの面数にどれ程の人、金、時間をかけてメンテナンスを行うのだろうか。


どの芝生のグレードも最高だ。本当に浦和レッドに加入できてよかった。



「二宮様お待ちしておりました。どうぞこちらへ。これから加入式がありますので、こちらのジャージにお着替えください」


「おぉ。わかりました。ありがとうございます」


なんだか感嘆するな。前世でこのジャージを着ているユース生が憧れの存在だった。自分と同い年で圧倒的に違う技術力、精神力、戦術の完成度。全てが高校サッカーとは違う。


自分の高校が手も足も出なかった強豪が、選抜の大会でユース生相手にボロ負けする姿は間接的にだが、ボコボコにされ格の違いを見せられた気分だった。


同じ18年なのにそこまで違いが表れるのかと。なんだかただのジャージなのにとても重い。浦和の名前を、看板を背負うみたいだ。


心動かされるものがある。憧れのユース生になれたのだから。この重圧もなんだか心地いい。


赤いジャージに袖を通して案内された会場に入る。パイプ椅子がずらりと並べられており、既に新入生何名かが雑談しているようだ。


おっ見知った顔があるな。

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