キューブ

いちはじめ

キューブ

 電話の着信音が鳴った。

「はい、こちら忘れ物センターです。いかがされましたか」

 当番の女性職員が、落ち着いた対応をしながら、PCの画面に遺失物一覧のウィンドウを開いた。そこには、ここ一週間の忘れ物がリスト化されていて、収集された日時、場所、遺失物の種別、特徴等のデータが瞬時に見られるようになっている。届いた遺失物は保管室に保管してあり、当日であれば、現物をここで確認することもできる。

「今日、電車に忘れ物をした。届いていないか確認してほしい」

 声の主は、中年と思しき男性で、やや慌てた様子であった。彼女はマニュアル通りにその状況を聞き取り、検索情報としてPCに入力していく。

「……では、忘れ物の特徴をお願いします」

「工具箱というのか、ケースに入った小さな黒いキューブ状の金属体だ」

「キューブ状の金属体? 何ですかそれは」

「簡単に説明できる代物ではない。先ずあるのかないのか調べてくれ」

 男は明らかにいらだっている。彼女はとりあえず本日の遺失物データと照合した。

 『ケース』と『黒い立方体の金属』で一件ヒットした。

「ありました。こちらで保管しています。どうなさいますか」

 男は一時間後に取りに来ると答えると電話を切った。


 彼女はヘッドセットを置くと、遺失物管理票を打ち出し、保管室に向かった。

 同じ建屋内の保管室は十畳ほどの広さで、廊下側の壁際にテーブル、両壁側と中央に四段組のラックが設置され、遺失物が種類ごとに区分けされたラックの棚に保管されている。

 彼女は管理票に記載された保管場所を示す番号に従い、目的のラックへと移動した。

 目的のケースはすぐ見つかった。棚から持ち出して、テーブルでケースを開けた。

 入っていたのは、届出通りの立方体の金属体だった。それは20cm立方で、表面には何の模様も付属物もなかったが、金属というよりは、まるで黒い空間が立方体の形をしているとでもいうべきものだった。

 彼女は、確かにこれが何であるか、電話口で説明されても分からないだろうな、と妙に合点がいった。

 彼女は、確認が済むとそれを元の場所に戻し、保管室から退いた。


 彼女が席に戻った途端、電話が鳴った。

「今日、電車に忘れ物をした。届いていないか確認してほしい」

 先ほどの男性と同じ声のようだ。しゃべり方も似ている。

「工具箱というかケースに、小さな黒いキューブ状の金属体が入っている」

 遺失物の特徴も全く同じである。また掛けてきたのか? と戸惑いつつ対応したが、こちらで保管している旨を伝えると、男は先ほどの男と同じ時刻を指定して取りに行くと答えた。

 名前も同じだし同一人物よねと思いつつ、彼女はPCの受付状況をどう打ち込もうかと思案した。

 彼女が他数件の遺失物の受付をこなした後、またもや件の遺失物に関する問い合わせの電話が掛かってきた。

 今度も先の二人と同じ名前の男だった。さすがにいたずらだと判断した彼女は、クレーム対応に切り替え、その声の主に質問した。

「失礼ですが三回目ですよね。失くされたのはケースに入った小さな黒いキューブ状の金属体。違いますか」

 男は慌てて言い返した。

「な、なぜそれを知っている。誰から聞いた」

「誰からもこれからもないでしょう。あなたから聞いたんですよ。それも二回も」

 彼女が感情的になるのも無理がない。

「そんな馬鹿な。急いでそちらに行く。10分で着くから、それまで誰にもそのキューブを渡さないでくれ、わかったな」

 ちょっと待ちなさい、という彼女の声半ばで電話は切られた。

 何なの、と彼女のいら立ちは募るばかりであった。普段なら相談できる上司と同僚がいるのだが、あいにく今日は、午後から電車のトラブル処理の応援に出払っていて、彼女しかいない。

 彼女は壁の時計に目をやった。もう待つしかない。


 果たしてほぼ同時に三人の男がやってきた。三人は見事に同じ顔、同じ背格好、おまけに同じ服装である。彼女が予想した最悪のケースだったが、本人たちは予想もしていなかったようで、お互い顔を見合わせながら右往左往している。

「お、お前は誰だ」「お、お前こそ誰だ」「お、俺はお前だ」

 これでは埒が明かないとばかり、彼女はこぶしを机に叩き付けると声を張り上げた。

「一体全体どうなってるの。あなたたちは誰、これは何、誰か説明して!」

 彼女のあまりの剣幕にたじろいだ彼らは、彼女に背を向けて何やら相談していたが、やがて最初に入ってきた男が口を開いた。

 この世界には、無数の並行世界が存在していて、それらは時に干渉し問題を起こす、そして最悪の場合、世界が消滅することもある。それを事前に防ぐために時空間修復機、このキューブを使って、あらゆる干渉を修復しているのが、俺たち時空間修復員なのだ、と男は説明した。

「う~ん、それが本当だとして、なんで三人もいるの」

 彼女は頭を抱えて訴えた。

 彼らは再び相談を始めると、今度は二番目に入ってきた男が答えた。

「……詳細は分からんが、直近の修復作業で、何らかの手違いが起き、ここが三つの世界が重なる特異点になったようだ。俺たち三人はそれぞれ別世界にいる同一人物らしい」

 とても理解できる話ではないが、目の前に三人がいるのは事実だし、何かまずい状況にあるということは分かった。

 ともあれ、この状況は彼らに何とかしてもらわなければならない。

「で、どうするの」

 残りの一人が切り出した。

「干渉点はここで間違いないし、修復量はこのキューブが計算してくれるから、これを再び作動させればいいだけなんだけど……」少々歯切れが悪い。他の二人も難しい顔で腕組みをしたまま、下を向いたり、上を向いたりしている。

「何が問題なの、はっきりして」

 いまやこの場を仕切っているのは完全に彼女だ。

 最初の男が申し訳なさそうに答えた。

「問題は、この状況を作ったのもこのキューブだということだ」

 二番目に話した男が続く。

「直前のミッションでは、時空間の干渉は完璧に修復できたはずなんだ。エラーも出てなかったし……」

 三番目の男が後を継いだ

「つまり、こうなった原因が分からぬまま、またキューブを作動させるのはリスクが高いということだ」

「じゃあ、他に方法はないの、応援を呼ぶとか、別の……キューブだっけ、それを持ってきてもらうとか」

「ほかの修復員に来てもらっても状況は変わらない。またキューブはこの時空間に調整されたものでなければ使えない。そしてその調整には時間が掛かる……」

「そしたらこれを使ってやるしかないでしょう」といらだった彼女は手元のキューブの側面をぱんぱんと勢いよく叩いた。

「やめろ!」三人は同時に叫ぶと、彼女の手元からキューブを奪い取った。

「もし爆発したら、宇宙の二つや三つは簡単に吹っ飛ぶんだぞ」

「何よ、そんな危険なものを電車に忘れたくせに、偉そうに言わないでよ!」

 彼女は鬼の形相で彼らを怒鳴りつけた。彼女のあまりの剣幕に彼らは肩をすくめて沈黙するしかなかった。

 遺失物受付のカウンター越しに、三人の同一人物を睨みつけていた彼女は、やがて深いため息をつき、椅子に座り込んだ。

「これ、このまま放っておくとどうなるの」

「掛け違えたジッパーが動かなくなるように、三つの世界の時間が動かなくなり、やがて時間の圧力に耐えきれなくなった三つの世界は、崩壊して消え去ってしまうだろう」

「だったらやるしかないんでしょう。やりなさいよ」

 腹をくくった女ほど強いものはない。

 彼女に促された彼らは、互いに頷くとキューブの各面を順番にタップし始めた。すると表面が半透明になり、キューブの中心部に虹色の光が差し始めた。それは単に中心部が光っているというよりも、キューブを通して別の世界の光を見ているような、この世のものとは思えない光だった。

 うっとりした彼女が、無意識のうちにキューブに手を伸ばそうとした瞬間、キューブから強烈な光が放たれ、彼女は気を失った。


 しばらくして彼女が目を覚ますと、三人の男たちの姿はなかった。

 ――良かった成功したのね――

 彼女が安堵したのもつかの間、キューブはそのまま残っていた。

「また忘れ物……」

 落胆した彼女は、それを取ろうとして思わず手を止めた。

 自分の他には誰もいないはずの室内に、人の気配がしたからだ。


 こわごわ気配がした方に顔を向けると、同じようにこちらを見ている、もう一人の自分がそこにいた。


(了)

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キューブ いちはじめ @sub707inblue

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