第10話 安土の夢


—天正十年、織田信長は盛大な正月の宴を催した。

 この年は、遠く長崎港より天正遣欧少年使節が出発した年でもある。


 信長は、外よりもたらされる物を喜び敬意を払う反面、そこから恐怖を感じることは出来なかった。


ある時配下秀吉が外国船に詰め込まれる日本人奴隷達を目の当たりにし「宣教師は斥候で、寺社仏閣を破壊し、日本人奴隷を輸出しております。いずれ日本にも攻めてくるはず」と進言したが「こんなに遠い国から攻めてこられる筈がない」と信長は地球儀を指差し笑うだけだったという。


 彼は、

地球儀を見つめ楽しむ事はできても

その中にうごめく西洋列強の脅威を感じる事は出来なかったのだ。


 ともあれ、時の潮流はいっとき安土で滞留し文化文芸も花開く。


 各地の前線で奮闘する諸将も安土に集結し、妻妾を伴った一行が列を成す様は乱世の闇を払うかのようだった。





 「小一郎様、元旦の御礼を申し上げまする」


 藤堂与右衛門高虎は、主 羽柴小一郎秀長の前で深々と頭を下げた。家祖の『紫藤の花への祈念』に則り、藤丸を染め抜いた黒い大紋に身を包んだ姿は普段血まみれになって戦場を駆け回っている男には到底見えなかった。


「ああ、めでたい」


 逞しい長躯、高い鼻梁や、くっきりした目元の、整った精悍な顔つきに我が配下ながら押し出しの良い男だと小一郎は頷きながら労った。


 「与右衛門、そなたなんだか垢抜けしたのう」


「は…、?」


 この人はいつも自分の調子を崩してくる…それは出会った頃から変わらない。人のことをよく見ているのに、決して兄上秀吉様より前に出ない、いつも自分が自分がと駆け回ってきた高虎は、この人に学ぶことは多くあると改めて感じた。


 「そのような……」


 「一色の姫のお見立てか?与右衛門の奥の趣味のよさは、義姉上様も褒めておった」


 「そうなのですか…光栄でございます。」

 

 いつも、遠慮がちな妻が珍しく高虎の顔に触れ、髷や眉を整え、大紋の生地の色などをあれこれ思索していた。

 婆裟羅者などの華美な趣味がひとつも分からず、男が着飾ることは無駄な事だと思っている高虎だが、

 なるほど装束を整えれば周りの評価が変わり、礼節にも敵う事になる…。

 (たしかに、織田公や秀吉公も、洒落者で有名だな)

 上に立つ男には見栄えというものも必要なのかもしれない。到底風趣など理解できないが、心の隅でそう思った。





 年賀を祝うのは武士だけではない。

 豪商は姫君よりも華美に、農民たちもささやかに着飾り、ひとときの平和を祝った。


 娯楽の少ないこの時代で彼らを楽しませたのは傀儡師かいらいしといわれる芸能集団たちだ。男は剣と扇を手にした剣扇舞、女は唄いにあわせた傀儡回しと言われる人形舞などを披露している。

 女たちの中には渡り巫女と呼ばれる口寄せや神楽などの芸事を得意とするものもおり、神遊という名にふさわしい舞姿はまさに姿なき神々と歌い踊っているような神秘性があった。

 加えて、都より遊女たちも流れてきて春の花園のようだ。


(舶来らしい指輪や首飾りををしてたり、シャツを合わせてたり、すごく和洋折衷…)

 

 町に出ていた朝子は、芸人たちの服装に目を見張った。現代に残る格式ばった「伝統芸能」しか知らなかったが、改めて今日の「伝統」とは昔の「最新」だったのだと痛感する。

 

 両親や田舎の祖母の影響で着物や芸術には親しませて貰ったが、人に教えられるほど好きかと問われれば疑問が残る。

 (…使用人や、夫の衣装を管理するのも妻の仕事のようだし…いつの時代も身なりは人の鏡だ)

 傷だらけになって働く高虎様のままでは、いつか…

 (夫には生きてもらわなければ…)

 痛々しい体を思い浮かべた。

 

 (あ…と、今日は見物が目的じゃなかった…)


 夫が元旦の挨拶に行っている間に、朝子は『欲しいもの』があった。



「奥方様、こちらのはまだ若く元気ですよ」


「いやいや、こっちには武家のお小姓上がりもいるよ!」


 居並ぶ『欲しいもの』…いや、人間たちをみながら、朝子は内心逃げ出したかった。




 高虎の扶持も増えたことだし、朝子が珍しくねだってきたことがある。「若い下女が欲しい」と、たしかに一色より帯同してきた局は年もあるし、転地に連れ歩くには不憫だ。

 高虎も家屋敷の人員をもっと充実させたいと思っていたので、すぐに了承した。

 



 (体が小さい子では、不憫だし…)


 現代の司法のもと社会人として生きてきた朝子には、飲み込めないが、中世の日本では人が売り買いされるのは当たり前なのだ。

 従者の若い男も眉一つ動かさずにこの空間にいる。

 

 得体の知れない恐怖を抱えながら、ある老婆が店主らしい見世が目に止まった。


(この子なら…)


 見たところ十七、八だろうか?

 凛とした顔立ちに、垂れ目気味の瞳に親しみやすさがあり、可愛らしく、

なにより賢そうだ。


(…高虎様も気にいるかも…)

 まさかお金で買われた自分が人間をお金で買うことになるとは…複雑な感慨を覚えながら、老婆に歯や手足を見せて貰った。

 痩せているが、丈夫そうだ。


 金子を払っていると


 「どうか、この子を人の数に加えてやってくださいましね」


 老婆がはらはらと涙を流しながら願ってくる。


「え…」


「食べる者の数に…」


 ふと見渡せば、朝子が見たこともないほど痩せ細った子供たちが同じようにムシロの上に寝かされていた。

 遠目には、到底人間には見えない。地獄の餓鬼の絵を彷彿とさせた。


(……、)


 自分が売り飛ばされた時は、周りを見る余裕など無かった。


(私はまだ幸運なのか)


 夕子様に買われ、高虎様に守られ…


 朝子の中で、どんどん自分自身が矮小になっていく。

 『生きているだけでマシだ』

 と、衣食住に教育に困ったことのない彼女は初めて心の底から思ったのだ。





 「今日からよろしくお願いしますね」


 ぼろきれを巻きつけた少女に、朝子はそう声をかけた。少女ははじめて朝日を浴びたような眩しさでいっぱいになり、差し出された白い手に導かれた。



 間借りの屋敷に少女と共に帰り、彼女が体を清めるのを待っていると…


 「奥方様…」


 と少女が声を掛けてきた。


「はい…え…?!?!」


 渡した小袖を纏わずに、半裸のまま彼女は現れた。


 胸がぺったりしていてくびれがないのは、この時代なら仕方ないとして……どうにも体の丸みがない気がする…


 視線を恐る恐る下にやると、夫が着ているような、ふ、ふんどしを着けている…


「あ、あなた、まさか…」


「…す、すみません!」


 買ってきた「娘」は「少年」だった…。



 「彼」も色々悩んだのだろう、やっと言い出せたという顔で、泣き腫らしていた。


 「と、とりあえず…、こっちへ…」


 高虎様がまだ帰っていないとは言え、見られたら大変な事になりそうだ。


 「親は、九助と呼んでいました」


 娘…少年、九助さんは、織田信長公の伊賀焼き討ちで孤児となったという。

 自分はただの子供ではなく、いわゆる忍びの技を身につけているので、役に立つはずだと必死にすがってくる。


 「……、」


 「奥方様…」


 「…大屋の藤堂家には目端の効く夫人がふたりおりますよ。その方達に男の子と見破られない自信がありますか?」


 朝子は根負けしてしまった。


 「は、はい!俺は一番、変装がうまかったです!」


 (俺…)

 大丈夫かな…


 でも、自分だけが抱えている「秘密」を誰かの嘘で軽くできる気がして、彼をそのまま下女として雇うことにした。




《※》

大紋…直垂を麻で作った戦国時代に普及した武士の礼装。名前の通り家紋や紋章を大きく染め抜いたようです。


渡り巫女… このような渡り巫女といわれる女性たちは時として客と閨も共にした。


遊女…「遊女」とはこのころまだ売春婦の意味ではなく「うかれめ」と読み、文字通り神と舞遊ぶ芸達者の女性たちを指していました。

そのような女性たちが「舞太夫」と称されるようになると、古の猨女君(官職が置かれ、神楽を舞っていたと推定されている)や白拍子のように性と芸事の表裏一体を提供する女たちが集まり「傾城町」が都に発生していきます。

時代が下ると風紀の統制のためそのような傾城町を一ところにあつめた官許の「遊郭」が生まれます。

江戸時代には「島原」「吉原」「丸山」などの現代にも名を残す廓が作られ長い歴史の中で数多の名妓たちが誕生し、俳壇も組まれ芸の研鑽は現代にも通じています。


伊賀焼き討ち…いわゆる「天正伊賀の乱」織田氏と伊賀惣国一揆との戦い、多くの伊賀の民が犠牲になり、残党は捕らえられました。伊賀はのちに藤堂高虎の領地となり、高虎は忍びたちを上手く使ったそうです。

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