第15話 嘆きのキス

 女が――いや、が木村を指差して笑った。

「あ、裕典ひろのり。もしかして、私とマスターのなか疑ってる?」

 そう言うと、チラッと俺を一瞥いちべつしてから続けた。

「ないない」

 

 俺は、自分の表情が少しひきつるのが分かった。

 そのせいか分からないが、は慌てたようすでつくろった。

「あ、ごめんなさい! そういう意味じゃ……」

 しかし、そう言ってから、ふと思い立ったように意味深いみしんで悲しげな表情をした。

「でも、ほら……美樹さんのこともあるし……ねぇ……」


 再び俺の背筋に悪寒が走った。

 それを打ち消すように俺は目を強く閉じた。


 麻衣がこの女に憑依ひょういしているなど、やはり信じるわけにはいかない――

 そんなわけはない――

 そんなことを認めたら、……ということもあり得ることに――


 俺は、バカなことを考えるな、と頭の中で何回か反芻はんすうすると目を開いた。

 

 そんな俺を気に留めるようすもなく、木村と女は話し続けていた。

「ホントは麻衣もそう思ってたのか? 俺に才能がないって」

「そんなの分からないよ。私はただ、裕典と生きていきたかっただけだから」

 木村はなんの疑いもなく、女をと呼んでいた。


 やめてくれ――


 木村は女に歩み寄ると、その両肩に手をかけ、女と見つめ合った。


 この女は何が目的でここに来た――?

 だと? それは、どういう意味だ?

 何のことを言っている?

 何を知ってる? 

 

 俺の背中は冷たい汗に濡れていた。

 気づくと、てのひらに痛みを感じた。

 指の爪が掌に食い込んでいた。

 その痛みに、使マイクケーブルの感触がよみがえった。

 俺はその記憶を振り払うため、目の前の事に意識を戻した。


 すると、木村の手が女を引き寄せ、見つめ合う二人の顔がゆっくりと近づいていくのが目に入った。


 俺は、その時、何か嫌な予感がした。

 それが何かははっきりとは分からなかった。

 ただ、何かわざわいをこの女が持って来たのではないか――

 そんな気がした。


 ふと気づくと、そんな俺にはかまわずに、木村と女の唇は近づき触れそうになっていた。


 おいおいっ! なにしてる、木村っ!?――

 俺が口を開きかけた、その時だった。


「ちょっとやめてくださいよっ!」

 女が大声で叫び、木村を突き放した。

 そして、自分の隣の誰もいない空間に怒ったように続けた。

「もう! ちょっとぉ! そういうのに私の体使わないでください!!」

 女は誰もいない空間に向かって会話するように話し続けた。

「え? いや、そこはあきらめてもらわないと……」


 俺と木村はただ呆然ぼうぜんと、その様子をながめるしかなかった。


「そんな、って……私だって困りますよ」

 女はそう言うと、他人の話に耳を傾けるような仕草で何度かうなづいた。

「え? もう無理です。私の体力が持ちませんから。……え? はぁ……うーん、まぁ……あー……分かりました。それなら……」

 女は何か納得したようで、小さく頷いてから木村を見た。


「えーと。あのですね。とりあえず、麻衣さんからのメッセージを伝えることになりました」

「え? あ、はい……あ? いや、麻衣……? さっきの続き……は……?」

 木村が懇願こんがんするように女を見た。


「え? いやいや無理です無理です」

「そんなぁ……えー……」

 木村は残念そうな顔をすると、なおもすがるような目で女を見た。


「無理です。だいたい、あれ結構体力的にきついんですから。これ以上は私の命もあぶないんで。ダメです」

「いや、そこをなんとか……」

「ダメだって言ってるじゃないですか! 分かんないかなぁ!!」


 女のそれまでおだやかだった表情が歪むのを見て、木村はしょぼくれたようなねてあまえた目で、女の隣の空間を見た。

 

 木村は完全に順応していた。

 この異様で奇妙な、おかしな状況に……

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