第28話 ふたりのファン ― 彩理視点

「彩理、なんか最近機嫌いいね」


 昼休み、みんなでお弁当を食べようと机を寄せ合っていたとき、ユメがふいに言った。


「え、そう?」


 なんて言いつつ、自分でも顔が笑っちゃっているのが分かる。


 愛海と仲直りしたし、小説の執筆も順調。一昨日には熱のこもった感想ももらって、すべてが上向きだ。


 ――それもこれもあのふたりのおかげ……なんだけど。


 今日はふたりの様子がおかしい。小瀬水さんは朝、教室の前まで来たのに引きかえし、そのままサボってしまった。有永くんはいま、ひとりでコンビニのハンバーガーを食べている。


 いつもならこの時間、ふたりは特別教室棟のほうで一緒にお弁当を食べている。隠しているつもりらしいがお見通しだ。


 わたしの想像だが、多分、いやまちがいなく、お弁当は小瀬水さんが作っている。あんな孤高な雰囲気を醸しだしているくせに意外と家庭的なのだ。そして小瀬水さんが有永くんに「おいしい?」なんて尋ねて、そしたら彼は顔を赤くしてぼそぼそと「まあ、うん……」なんて言うんだけど、小瀬水さんが「口に合わなかった……?」なんてちょっと悲しそうな顔(演技)をしたら慌てて「お、おいしいよ」なんて言って、小瀬水さんは不敵に笑うんだけど内心とっても喜んでて――。


「大丈夫?」

「えっ?」


 ユメが心配そうにわたしの顔を覗きこんでいた。


「なに? なにが?」

「なんか、へらへらしてたから」

「あ、け、今朝観た猫の動画を思いだして」

「わたしも観た~い。なんて動画?」

「え!? ど、どうだったかな~? ちょっと記憶にない」

「でも履歴に残ってるよね?」

「わたし履歴消してるからっ」

「誰かに追われてるの?」


 最悪、小説を書いていることを知られるのはべつに構わない。しかし有永くんと小瀬水さんのことはバレるわけにはいかないのだ。


 でも――。


 ――あのカップルのことを誰かにしゃべりたい……! しゃべってこの気持ちを共有したい……!


 叶わないその気持ちを執筆にぶつけ、故に順調というわけである。


 そんな恩人みたいなふたりになにかトラブルがあったようだ。わたしはいても立ってもいられず、行動に移すことにした。


 人目があるから有永くんに事情を尋ねるわけにもいかない。ならば小瀬水さんだが――。


「あ、思い出した。今日はべつのクラスの子に誘われてるんだった」

「さっすが彩理、交友関係広いなあ」

「ごめんね」


 みんなに手を合わせ、教室を出た。


 そして特別教室棟のほうへ向かう。


 もう帰ってしまっているかもしれない。しかしもしそうでないとしたら、彼女はそこにいるという確信がなぜだかあった。


 ――たしかこっちの裏手のほうに……。


 いた。小瀬水さんが非常階段にぽつんと座っている。休み時間はいつも文庫本を読んでいる彼女は、しかしいまは自分の膝の辺りに視線を落とし、ぼうっとしているだけだった。


 ふたりになにかあったことは明白だった。


 喧嘩、だろうか。しかしわたしの直感は、そんなかわいいものではないと告げている。


 わたしは小瀬水さんのほうへ歩きだした。彼女ははっと顔を上げたが、わたしの姿を見るとまたうつむいてしまった。


「小瀬水さん、隣に座っていい?」

「どうぞご自由に。ええと……、長谷川さん」

「八宮ね。せめて数字のルールは守ってもらっても?」

「ルール?」

「あ、いや、こっちの話」


 わたしは階段に腰を降ろした。


 近くで見ると、思った以上に憔悴した顔だった。くまが濃く、目が赤い。寝ていない。そして――。


 ――泣いていた……?


 あの気丈そうな小瀬水さんが?


 やっぱり、ただごとではない。


 小瀬水さんが言った。


「わたしたちのこと、どこまで知ってるの?」

「え?」

「またよく分からないお節介を焼きに来たんでしょ?」


 以前のあれはわたし自身もお節介のつもりだったが、実際のところ、世界が自分の思ったとおりじゃないと気に食わないという子供じみた欲望だった。


 いまからわたしがしようとしていることは前者か、後者か。


 それはよく分からない。しかしたしかなのは、わたしはふたりのピュアではないようで実はどこまでもピュアな関係が大好きで、それを壊そうとしているものから守りたいと思っているということだ。


 それにはまず、こちらが腹を割らねばならないだろう。


「だいたい知ってる。有永くんが小瀬水さんを買ったことも」


 有永くんとの会話や、愛海のこと、もちろんわたしの過去のことも洗いざらい話した。


「どうしてそんなにわたしたちのことが気になるの?」

「幸せそうなひとたちを見ていると、こっちも幸せな気分になるから、かな」

「わたしたちが幸せそうだった……?」

「少なくともわたしが観察していたかぎりでは、ふたりはとても楽しそうだったよ」


 小瀬水さんはわたしからちょっと離れた。


「え、ストーカー……?」

「いまそこよくない?」


 正直なところわたしの行動はストーカーじみているという自覚はあるが、いまの本筋はそこじゃない。


「なにがあったの?」


 なかば自暴自棄になっていたのだろう、小瀬水さんは詳しく話してくれた。


 母親の希望で父親との関係を断っていたため母子家庭だったこと、その母親が数ヶ月前に亡くなったこと、困窮している自分を有永くんが助けてくれたこと、サブスク彼女契約のこと、父親が現れたこと――。


 そして、有永くんが契約の打ちきりを告げたこと。


 ――父親、か。


 前に観た映画を思いだす。貧しいながらも仲睦まじく暮らす母と子。そこにその子の実の親を名乗る夫婦がやってくる。その子は病院で取り違えられており、ふたりは血がつながっていなかったのだ。実の親でなくてもいい、これからも一緒にいたいと願う子の希望は叶えられず、ふたりは離ればなれになる。


 法律は血のつながった親の味方をする。どんなにふたりの仲がよかろうと、子が願おうと。


 有永くんと小瀬水さんの関係にそのまま当てはまるわけではない。しかし、母親を失って困窮している子のもとに実の父親が現れたのだ。その父親を差しおいて、赤の他人――しかも未成年の有永くんが小瀬水さんを保護しつづけることを正当とする法律などあるわけがない。


「今日、お父さんと会うことになってて……。多分、お父さんがいま住んでるところについていくことになると思う」

「一応、聞いておきたいんだけど……。その……、お父さんに、なにかひどいことをされたりとかは……」

「ひどいこと? ……ああ、大丈夫、そういうのはないよ。というか、ひどいことされるほど一緒にいたことないし。父親がいないことでいろいろあったから、わたしが一方的に嫌ってるだけ」


 小瀬水さんがひどい目に遭っていなくてほっとする。しかし虐待もないとなれば、いよいよ彼女が父親のもとへ行かなくてもいい理由はなくなる。


 しかしこのていどのこと、当事者である有永くんや小瀬水さんがちらっとも考えなかったわけがない。自分たちの関係が、ひどくもろいものだと気づいていなかったわけがない。


「でも、いいの……?」


 わたしが尋ねると、小瀬水さんは泣き笑いみたいな笑みを浮かべた。


「直司が一生懸命わたしのことを考えてくれたんだって分かるから」


 有永くんは小瀬水さんが好きだからこそ、彼女の将来を思い、手を引いた。小瀬水さんは有永くんのことが好きだからこそ、彼のそんな思いを理解し、受けいれた。


 ――好きな者同士が一緒にいたいだけなのに、どうしてこんなに難しいんだろう……。


 ふたりを守りたいと思っていた。でもこれは、わたしが口出しできることじゃないと、そう感じた。ふたりが苦しんで苦しんで決断したことを、部外者のわたしがしゃしゃり出て変えさせるなんてできない。そんなことすべきじゃない。


 でも、こんなに打ちひしがれている小瀬水さんを放っておくこともできない。


「わたしも行く」

「え?」

「話しあい、するんでしょ。ついてく」

「ついてきて、どうするの?」

「なにもしない。けど、そばにいる」


 小瀬水さんは困惑顔をしたが、やがて小さく頷いて、


「ありがとう」


 と、つぶやくような声で言った。





「じゃあ、頑張って」


 小瀬水さんはこくりと頷き、緊張の面持ちで喫茶店へ入っていった。


 時刻は十八時ころ。夕食には少し早い時間の喫茶店はまだ空いている。淡いオレンジ色の照明で照らされた店先は木造のいかにもレトロな雰囲気だ。


 窓から店内を覗くと、小瀬水さんが奥へ歩いていくのが見えた。その先にいるのは、黒縁メガネをかけたスーツの男性。彼が父親らしい。


 彼は立ちあがり、二、三言、言葉を交わしてから着席した。小瀬水さんはその正面に座る。


 父親がなにか盛んにしゃべっているが、小瀬水さんは口を結んだまま頷くだけ。目もまともに合わせない。


 話しあいとは名ばかりで、父親が決めたことを確認するだけのミーティングというのが実際のところらしい。


 しかし威圧や恫喝をしているような様子はなく、彼の表情は穏やかと言えるもので、わたしは安心した。


 話は三十分くらいで終わった。小瀬水さんが店から出てきたので声をかけようとしたら、彼女はちらっと背後を見て、目顔でなにかを報せた。


 会計を終えた父親が出てくる。大事な話しあいの場にクラスメイトがついてきたとあっては、彼もいい気はしないだろう。わたしは頷き、少し離れたところに移動した。


 小瀬水さんは父親と店先で何言か話し、歩いていった。ここで解散らしい。わたしが彼女のあとを追おうとしたとき、父親がスマホをとりだし、どこかに電話をかけた。


 離れて暮らしていた娘と話しあいをした直後に、誰に電話をかけるのだろう。小瀬水さんとはLINEのIDを交換しているし、あとで連絡すればいい。わたしは彼の視界に入らないよう背後から距離をつめる。


「あ、もしもし。うん、終わった」


 口調から察するに、気安い間柄のようだ。


「うん、つれていくことになった」


 おそらく、彼のいまの家族――妻に報告しているのだろう。


 気づかれないうちに離れよう。そう考えたとき、彼の発した言葉を聞いて思わず立ち止まった。


「でも、しょうがないだろ」


 ――……『しょうがない』?


 なにかの聞きまちがいか、あるいはわたしが文脈を勘違いしているのか。杞憂であってほしいと願いながら、つぎの言葉を待つ。


「うん、うん……。それはもう前に話してあっただろ。知ってしまった以上、放置はできないだろ。広まったらどうするんだ」


 彼ははっと息を飲み、口元を手で隠して小声で話しはじめた。


『しょうがない』

『知ってしまった以上、放置はできない』

『広まったらどうするんだ』


 聞きまちがいでも勘違いでもないようだった。離ればなれになっていた子供を引きとることになった直後に出てくる言葉としては最低最悪の部類。彼と彼の妻にとって小瀬水さんを引きとることは、まったく歓迎できないことであるらしい。


 どうして小瀬水さんの母親が彼との関係を断ったのか疑問だった。しかし、いまなら分かる。


 第一印象が良いだけの、シンプルなクズだからだ。いまの発言みたいに、ずっととりつくろって生きてきたのだろう。


 いますぐこの男の背中に蹴りを入れたいという衝動に駆られる。しかし暴力に訴えるのは下策だ。痛みはすぐに引いてしまう。もっときついお灸を据えなければ。


 ――そうだ。


 わたしは彼の背中に音もなく近づき、出せるかぎりの甘ったるい舌っ足らずな声で言った。


「ねえパパァ、早くホテル行こ?」


 彼は弾かれたように振りかえったが、そのときわたしはすでに逃げだしていた。


「え、ちがっ、違うって! 知らない女の子が……。本当だって!」


 しどろもどろで弁解している。


 ――いい気味だ!


 わたしは全速力で駆けた。


 ふたりの決断を、わたしは尊重するつもりでいた。しかし父親があんな人間なら話しはべつだ。


 ――でも、どうすればいい?


 大好きなふたりのために、わたしができることはなんだろう。どこまで関わるべきか。どこまで関わるべきではないのか。


 答えは分からない。


 でもわたしはふたりに救われた。つぎはわたしがふたりを救う番だ。

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