第21話 ディストピアの食卓

「さっきはごめん……」


 学校からの帰り道、舞果はしゅんとした様子で謝罪の言葉を口にした。俺の太ももを膝蹴りしたことを謝っているらしい。


「いや、もういいけど」

「でもそれじゃあわたしの気持ちが収まらないから。なにかお詫びさせて」

「本当にいいって」

「今日の夜に食べようと思ってた甘納豆を直司にあげる。これでどう?」


 なにがどうなのだろう。


「いや、いらない」

「そう」


 なんかほっとしている舞果。


「あいかわらず女子高生っぽくないな」

「なんで? 日本のスイーツだよ?」

「英語にしても拭いきれないおばあちゃん感がある」

「おば……」


 舞果はショックを受けたみたいに目を丸くした。


「じゃあ俺、このままバイト行くから」

「夜、なんか食べたいものある?」

「あ~……。簡単なものでいいよ」

「分かった。行ってらっしゃい」


 と、微笑む。


 ――なんか……、新婚夫婦みたいじゃない……?


 思わず顔がにやにやしそうになる。


 そのときだった。トゥルン! と俺のスマホが着信音を鳴らした。


 液晶画面を見る。差出人は『さいり』――八宮さんだ。明日のショッピングの待ちあわせ時刻に関するメッセージだった。


「誰?」

「あ、ええと……」


 ほんの一瞬、言葉に詰まっただけなのに、舞果は例の『上怒下楽』の顔になる。


「誰?」


 ――圧がすごい。


 優しい声なのが余計に怖い。俺は身を固くする。


「は、八宮さん……」

「そう、やっぱり。で、なんて?」


 いずれにしろ明日は出かけることになる。下手に隠し立てするとかえってこじれそうだ。


「明日、一緒に出かけるので、待ちあわせの連絡を――」

「そう」

「そ、そんな顔するなよ」

「そんな顔? 変な顔してる?」


 と首を傾げる。


 ――え、じゃあ、『上怒下楽』の顔は無意識……?


 無意識でそんな仕事に慣れてきた殺し屋みたいな顔を?


「じゃあ、バイト頑張ってね」


 くるりと背を向け、舞果はのしのしと歩いていった。


 緊張が解け、俺は膝から崩れ落ちそうになる。さっきまでは『新婚夫婦みたい』なんてふわふわした気分だったのに。


 というか、本物の彼女というわけではないのだから、舞果がそこまで怒る理由はないはずだ。


 頭が痛かったとか、べつの理由であんな顔になっていただけなのか、それとも……。


「やべっ」


 考え事をしている場合ではない。バイトの時間が迫っている。


 俺は小走りでくすりのえびす堂へ向かった。





 バイトを終えて帰宅した。おそるおそるダイニングへつづくドアを開ける。


「ただいま」

「あ、おかえり~」


 キッチンのほうから舞果の明るい声。


 俺はほっと息をついた。機嫌は治っているようだ。


「ご飯、すぐ用意できるから、座って待ってて」

「うん」


 リュックを部屋に置き、手を洗ってダイニングテーブルに着く。


 少しして、舞果が「お待たせ」と俺の前に皿を置いた。


 その上に載っていたのは、長さ五センチ、幅一センチ、高さ一センチほどのクッキーみたいなものが二本。


「……これは?」

「夕食だけど?」

「いや、でもこれ……、――カロリー○イトだよな?」

「簡単なものでいいって言ったよね?」


 舞果はにっこりと微笑んだ。


 ――まだ怒ってた……!


 背中に汗が浮かぶ。


「い、言ったけども……」

「たまにはこういうのもいいよね」

「その台詞、贅沢するときのやつでは……?」


 舞果の眉間にぎゅっとしわが寄る。


「なに? なんか文句あるの?」

「ありません」

「どうぞ、召しあがれ」

「いただきます……」


 軽く噛むだけでぼろぼろと崩れ、口の中の水分が持っていかれる。


「あの、お茶などいただけると……」

「忘れてた、ごめんね」


 と、いったんキッチンに引きかえして持ってきたのはコップに汲んだ水道水だった。


「……ありがとうございます」


 カロリー○イトを水道水で流しこむ。


「おいしい?」

「なんか、砂漠をさまよってる気分」

「よかった」


 どこに好ましい要素があるというのだろう。


 二本とも食べ終え、俺は言った。


「あの……、これだと腹がふくれないし、バランスが」

「大丈夫、ちゃんと魚も用意してるから」

「だ、だよな! さすがにこれだけってことはないよな」

「当たり前でしょ」


 舞果がキッチンへ行き、持ってきたのはオレンジ色をした棒状のもの。


「魚肉ソーセージじゃん!?」

「魚でしょ?」

「いや、でも――」

「魚でしょ?」

「はい」


 俺はフィルムを剥いてソーセージにかぶりつく。


 ――うまいけどもさ……。


「野菜とかは」

「ちゃんと考えてるよ」


 エプロンのポケットからD○Cのマルチビタミンが出てきた。俺はもう驚きもしなかった。


 ――なにこの未来人みたいな夕食……。


 栄養的には問題ないが、なんだろうこの味気なさ。


 俺はカプセルを飲みくだした。


「ごちそうさまでした」

「お粗末さま」


 皿を片付ける舞果に、俺は声をかける。


「あの……、怒ってるよな?」


 舞果はぴたりと立ち止まり、ゆっくりと振りかえった。その顔には笑みが張りついている。


「楽しんでもらえた?」


 意味の分からない返答。


「はい?」

「『嫉妬する彼女』の演技」

「……え?」

「だから、演技だってば。サービスの一環。だって、わたしはサブスク彼女だよ? 怒る理由ないじゃん」


 俺はしばし唖然とした。


「あ……、はははっ。あ、ああ! そういうあれな!」

「そうだよ。わたしはお金をもらって彼女のふりをしてるだけ。直司がほかの女の子と出かけたり、付きあったりしても全然問題ない」

「なるほど、そうか。ああ、びっくりした……」

「そうだよ、このアホ」

「え?」


 アホ、に険があったような気がして聞きかえしたが、舞果は返事をしなかった。


 ――また演技を始めたのか?


 サービス精神旺盛なのはいいが、心臓に悪いのでもう勘弁してほしい。


 ――まあいい。明日は笑顔になってもらおう。


 いい感じのプレゼントが見つかることを祈るばかりだ。

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