第20話 果たし状に違いない

「ううん……」


 俺はうめきながら学校の廊下を歩いていた。


 悩みの種は、舞果に誕生日プレゼントを贈るか否かだ。


 舞果の誕生日は九月二日。ひと月も前の誕生日を祝うのは無作法ではないだろうか。それに、プレゼントを贈ることは、この心地よい契約関係の距離感を不要に縮めてしまうことにならないだろうか。そんなためらいがある。


 しかし俺の中の天秤は、ほんの少しだけ『プレゼントを贈る』のほうに傾いていた。そこにたいした理由はない。舞果の喜ぶ顔がみたいとか、その程度だ。でもその程度の理由が、いまの俺にとって大きなウエイトを占めているらしかった。


 悩みの種と言えばもうひとつある。


 八宮さんだ。最近、彼女がいやに俺に構ってくる……なんて言うと、ラブコメ漫画のやれやれ系主人公みたいだが。


 正直、八宮さんほどの女子に構われて嫌な気はしない。しかし、どういうわけか彼女は俺をクラスの中心グループに招き入れようとしているらしく、それが俺を困らせている。どう考えてもなじめるわけがないし、変な空気になってグループ内ぼっちになる未来が容易に予見できるからだ。


 断りつづけるのも悪いし、もうそっとしておいてほしいのだが、八宮さんはあきらめてくれない。


「有永くん」


 そして今日もまた八宮さんの声がかかった。俺は心の中でしっかりと防御態勢をとってから返事をする。


「な、なに?」

「明日は暇?」

「予定は入ってるけど、なに?」


 まず暇かどうかを尋ねてくる相手には、ひとまず予定があることを伝え、それから要件を聞く。気が向いて誘いを受ければ相手に恩を売れるし、気が向かなかった場合も断りやすい。


 完璧な防御だ。


「遊びにでも行かない?」

「悪いけど――」

「ふたりで」

「う゛え゛え゛え゛っ!?」


 防御はものの数秒で突破された。「ふたりで」の四文字はまさに最強のほこだった。


 ――お、落ち着け……! 即死級のダメージを負ったが死んだわけじゃない。


 冷静にお断りすればいいだけだ。


「い、いや、俺――」

「ぶらぶらお買い物でもしようよ」

「……」


 断りの文句は喉元でせき止められた。


 舞果へプレゼントを贈ることはほぼほぼ決定していたが、なにを買うかまでは思いついていなかった。八宮さんのアドバイスを受ければ、女子向けのカジュアルなプレゼントを見つくろうことができるのではないか。


 八宮さんは俺の沈黙を肯定と受けとったようだ。にっこりと微笑んでスマホをとりだす。


「連絡先を交換しようよ。インスタはやってる?」

「いや」

「LINEは?」

「あ、うん」


 八宮さんとLINEのIDを交換する。友だちの欄に並ぶ『さいり』と『まいか』の名前。俺が連絡先を交換した一番目と二番目が、クラスで良くも悪くも目立つふたり、しかも女子になろうとは。


「じゃあ、あとで連絡するね」

「あ、うん」

「……じゃなくて?」

「え? あ……。――ああ」

「それ」


 八宮さんは手を振って去っていった。


 身体が汗でぐっしょりだ。喉が渇いて、水飲み場で水を飲んでいるとスマホがぶるっと震えた。もう八宮さんから連絡が来たのかと緊張しながら画面を見ると、メッセージの差出人は舞果だった。俺はほっとしてアプリを開く。


『なにしてた?』

『水飲んでた』

『その前』


 そのときは八宮さんと話をしていた。しかし舞果へのプレゼントに関わる話なので言いにくい。少しためらったが、隠し立てすると妙な疑いをかけられそうだと考えて、素直に伝えることにした。


『八宮さんに遊びに誘われた』


 既読はすぐについた。しかし返信はこない。


 なんか、怖い。


 うつむいたまま教室に入る。廊下側の自分の席に座る。そして、ちらっと窓側の舞果の席を見た。


 舞果がこちらを見た。


 笑っている。


 口元だけ。


 目が笑っていない。というか、にらんでいる。


 上がで下がらく。同じ顔面の中で、こうも温度差の違う感情を共存させることができるものなのだろうか。


 俺はその歪な表情に底知れぬ恐怖を感じた。





 ホームルームが終わり、いつもどおり舞果が教室を出ていってしばし間を置いてから、俺も教室をあとにする。


 玄関に向かい、靴を履きかえよう下駄箱の靴を持ちあげたところ、指先になにかが触れた。


 それは折りたたまれたノートの切れ端だった。


 どきん、と心臓が跳ねる。


 ――え、いや、まさか、そんな……。


 下駄箱に残されたメッセージといえば、古来からラブレターか果たし状と相場が決まっている。


 ――ら、ラブレターのわけないよな。俺にラブレターなんて送る子がいるわけないし。果たし状。うん、きっと果たし状だ。


 果たし状なら心当たりがあるというわけではないが、ラブレターよりは可能性が高い。俺は震える指で切れ端を開く。


 そこには達筆な文字でこう書かれていた。


『お時間ありましたら、放課後、体育館裏までご足労いただけませんでしょうか? よろしくお願いいたします。』


 ――ビジネス……?


 ラブレターっぽくもないし果たし状っぽくもない。打ち合わせのアポイントメントというのがしっくりとくる。しかし俺はしがない学生アルバイターだから、打ち合わせをするような取引相手などいるわけもない。


 俺はますます混乱しながら、しかしシカトする度胸はなく、舞果に『ちょっと遅れる』とメッセージを送り、体育館裏へ向かう。





 体育館裏の出入り口前、その低い階段の二段目にメガネをかけた小柄な女子がちょこんと座り、猫背になって本を読んでいる。


 あの子が俺を呼びだしたのだろうか。辺りに目をやるが、ほかにそれらしき人物はいない。


 手紙の差出人は知らない女子だった。果たし状と打ち合わせのアポイントメントの線は消え、ラブレターの線が残る。


 しかしその線も薄いと感じた。だって、これから告白するという状況で、落ち着いて読書などできるとは思えないからだ。


 ――というか、なんで本読んでるんだよ……。


 俺から初対面の人間に話しかけることができるわけないだろう。声をかけて、仮に人違いだったらと想像と、それだけで脂汗が出てくる。


 しかしあまり舞果を待たせるわけにもいかない。俺は覚悟を決め、彼女へ歩み寄る。


 ――……?


 彼女は顔を赤らめ、低い声でなにかぶつぶつつぶやいていた。音読しているのだろうか。俺は耳をそばだてる。


「ええ……、なにこのふたり、エモの塊だ……。エモ……、いやもうエモを通り越してエロじゃん……。え、待って、エモがエロだとすると、エモいこの小説はほとんどエロってことなって、もともとエロいところはドエロになる……。え、すごい、エロ祭りじゃん。フェスティバルじゃん。天才なの? ありがとう神様……」


 そしてにやりと笑う。


 ――シンプルに怖い。


 もうコミュ強でも話しかけるのをためらうレベルである。コミュ障の俺が逃げだしたとて誰も文句は言うまい。


 踵を返したそのとき、


「有永くん?」


 と声がかかり、俺は思わず「ひぃっ……!」と喉を鳴らして立ち止まった。おそるおそる振りかえると、先ほどとはまるで別人の、いかにも文学少女然とした顔の彼女がこちらを見ていた。


「有永くんですよね?」

「は、はい」

「ごめんなさい、気づかなくて。わたし、本を読むと周りが見えなくなっちゃって……」


 頬を染めて顔を伏せる。


 ――いや、気づかないとかいうレベルじゃなかったけど。


「あの……、けっこう独り言を言うタイプ?」

「え? わたし、なにか言ってました?」


 あんなに長台詞、無意識に出るものなのか? 


 ――天然怖い。


 ちょっとした物音でも集中が切れる俺には考えられないのめり込みようだ。


「ところで、あの、君は……」

「あ、わたし、一年B組の明石あかし愛海あいみと言います。急にお呼びだてしてすいません」


 と頭を下げる。大人しそうではあるが、俺のようなディスコミュ野郎とは違い、初対面の相手ともさほど緊張することなく話すことができるらしい。同じ陰キャなのに、不平等だ。


「サイちゃん――ええと、彩理ちゃんについてなんですけど……」

「八宮さん?」

「はい」


 ラブレターではなさそうだとは思っていたが、八宮さんの名前が出てくるとは予想外だった。口ぶりからは深い関係なのが窺えるが――。


 ――全然タイプが違うよなあ……?


 いったいどんな用件だろう。


「最近、彩理ちゃん、ご迷惑をおかけしてませんか?」

「え? い、いや……」


 迷惑と思ったことはない。しいて言うなら、ちょっと嬉しい寄りの困惑。でも、断っているのにしつこく誘うのは、世間一般では迷惑にカテゴライズされる行為ではある。


「迷惑ってほどじゃないけど」

「それと、小瀬水舞果さんにも」


 ――舞果?


 また予想外の名が出てきた。たしかに舞果にも八宮さんは誘いをかけているようだが。


「……どうかな、よく知らないけど」


 俺はとぼけた。舞果との仲は秘密だ。


 すると明石さんはじっと俺を見たあと、こくりと頷いた。


「……分かりました。でもひとつだけお願いが。――どうか彩理ちゃんを悪く思わないでください。悪気はないんです。……ない、はずです」

「悪くなんて、そんな」

「彩理ちゃんはただ、ふたりを見ていると昔のわたしたちを思い出して、だから放っておけないだけだと思うんです」

「昔のわたしたち、って……?」


 明石さんは少し言い淀んだあと、口を開く。


「くわしくは言えないんですけど……。ふたりだけの世界を作っている、というか……」

「世界……」

「教室の隅で、いつもふたりだけで笑っているような……」


 言わんとしていることはなんとなく分かる。小学生のころの八宮さんと明石さんは、いまの俺たちみたいにクラスで浮いた存在だったということだろう。


 ――でも、あの八宮さんが?


 いじめでも受けていたのだろうか。まったく想像できない。


「だから……」


 明石さんは感極まったみたいに言葉に詰まり、うつむいた。


 かつて明石さんは八宮さんと親友だった。疎遠になったいまでも八宮さんのことを気にしていて、俺たちに迷惑をかけている(ように見えた)彼女をかばった。


 断片的な情報から想像すると、概ねそういうことだろう。


 ――優しいな……。


 よほど大事な友だちだったのだろう。しかしそれならどうして疎遠になってしまったのか。


 明石さんは俺たちふたりの関係を追求しなかった。ならば俺も、彼女と八宮さんの関係を追求すべきではないだろう。


「……だいたい分かった。でも勘違いしないでくれ。俺、なんとも思ってないから」


 明石さんは濡れた大きな瞳で俺を見る。俺は目をそらした。


「なんて言ったらいいか分かんないけど……。また友だちにもどれたらいいな」

「有永くん……」


 そのときである。


「このクズがあ!」


 という怒鳴り声が聞こえたかと思うと、備品庫の後ろから飛びだしてきた人影が俺の太もも側面に膝蹴りを入れた。


「ぐんぬぅ!?」


 鈍い痛みに俺はうずくまる。


 人影は舞果だった。鬼の形相で俺を見おろしている。


「この……、すけこましせせこまし!」

「な、なにがだよ!」

「告白してきた女の子を泣かせて、『勘違いするな』とか『なんとも思ってない』とか! あまつさえ『友だちにもどろう』? このクズクズのクズ!」

「は、はあ!? 違う、そんな話はしてない!」

「でも現に泣いてるじゃん!」


 舞果は明石さんを指さした。


「俺が泣かしたんじゃない!」

「ふたりしかいないのに他人のせいにできると思うなよ!」


 くすくす、と明石さんが笑いだし、俺と舞果は彼女を見た。明石さんは目元を小指で拭う。


「笑ってごめんなさい。あの、ほんとに小瀬水さんが考えているような話じゃありませんから」

「え? でも……」


 まだ信じられないといった様子で明石さんと俺の顔を見比べる。


「考えてもみろ。俺が告白されるわけないだろ」


 舞果は真顔になった。


「それもそうか」

「早いよ! いや納得してくれてよかったけど、そこはもう少し悩んでくれないと俺にダメージが入るだろっ」

「でも、直司が思ってるよりずっと説得力あるよ」

「追い打ちかけんな……! ――あと身体的にもダメージ食らってるからな。というか、あのシチュエーションで鈍痛与えてくるのやめろ」

「まだ痛い?」

「いや」

「ならよくない?」

「少しは悪びれろ」

「でも痛みは引いたんだよね?」

「痛みは引いたけど気持ちが引くって話だよ!」


 そのときふと視線を感じた。明石さんがじっと俺たちのことを見つめている。まるで動物園のパンダでも見るような顔だった。


「あ、どうぞお構いなく。つづけてください」


 そう言われてはかえってつづけられない。俺は恥ずかしくなりうつむく。舞果も照れくさそうに顔をそらした。


「彩理ちゃんがふたりから目が離せない気持ち、なんだか分かる気がします」


 明石さんはそう言って微笑んだ。

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