第18話 月は出ているか

「月見団子はきれいにできたし、里芋のきぬかつぎも上手にできた。ススキだって飾った。なのに――、月はどうしたの……!」


 舞果は窓から見える曇り空に手を差しのべ、まるでミュージカルのように感情豊かに嘆いた。


「予報がはずれたな」

「気象庁……、信じてたのに……」

「そこまで?」


 気象庁も荷が重いことだろう。


 俺は調べておいた知識を披露した。


「月が見えない状態のことを『無月むつき』って言って、雲に隠れた月を感じるのもまた月見なんだってさ。昔のひとは風流だな」

「なにその、『なにもない』がある、みたいな謎理論。わたしは月が見たかったのっ」

「またチャンスはあるだろ」

「……そんなの分かんないじゃん」


 舞果は目を伏せた。たしかに月が出ていないのは残念だが、どうしてそこまで悲しそうな顔をするのか分かりかねた。


 俺は話を変えた。


「それより、気になってることがあるんだが」

「なに?」

「食いきれる? これ」


 団子は直径約一・五センチ、十五個。里芋は六個。しっかり夕食をとったあとに食べるには、かなり重い量に思える。


「これでも小さくしたんだよ? 本当なら十五夜にちなんで一寸五分――四・五センチにしなきゃいけないところを、機転を利かせて十五ミリにしたんだから。食べやすいようにみたらし餡も用意したし。むしろ褒めてもらいたいくらい。うん、褒めるべき。はい、褒めて!」


 と、俺のほうに手を差しのべる。


「上手に丸くしたな」

「丸さはどうでもよくない!?」

「すごく白いし」

「白さもいい! あとそれは白玉粉のおかげ!」

「肌も白いし」

「団子関係なくなっちゃったじゃん! でもありがとう!」


 俺たちは目を見合わせて吹きだした。


 八宮さん相手だとタメ口すらためらわれるのに、舞果だとこんな軽口もたたける。中学の友だちですら、ここまで軽妙にやりとりできる相手はいなかった。


 舞果は、コミュ障の俺がおそらく世界で唯一、話をしたいと思える存在だ。


「大丈夫、わたしも頑張って食べるから」

「なら、まあ」


 窓際に飾ってあった団子と里芋をダイニングテーブルに移動して食べはじめる。きれいに積んである団子を箸でつまみあげ、小皿のみたらし餡をつけて口に運ぶ。もっちりした歯触り、とろりとしたみたらし餡の甘さと香ばしさ。


 ――うまい。


「金とれるな」

「とってるけどね」

「そうだった」


 里芋には甘い味噌をつけて食べる。こっちもうまい。


 団子と里芋を一個ずつ食した舞果は、しかし難しい顔をしている。


「どうした?」


 こんなにおいしいのに、味に納得いかなかったのだろうか。


「言いにくいんだけど……」


 悟ったような笑みを浮かべ、舞果は言った。


「ギブで」

「もう!?」


 彼女は気まずそうに口をとがらせる。


「けっこう頑張ったと思うけど。はい、褒めて」

「あきらめがいい」

「ものは言い様だね」


 ははっ、とおかしくもなさそうに笑った。


 団子九個、里芋四個を目標にしていたが、正直なところ俺も一個目を食べた時点で『これは無理めでは?』と思いはじめていた。まして追加となっては、完食はほぼ不可能だろう。


 気合いを入れて食べ進めるも、団子八個、里芋四個を胃に収めた時点で限界が来た。テーブルに突っ伏したい気分だが、腹を圧迫すると口だけでなく鼻からも出てきそうなので、イスの背にもたれて仰け反ることしかできなかった。


 舞果は名残惜しそうに窓から空を見あげている。


 彼女を元気づけようと、俺はまたお月見豆知識を披露する。


「寝坊してるんだよ、きっと」

「寝坊? 月が?」

「じゃなくて、向こうのひとが」


 舞果は首を傾げる。


「月は、向こう――あの世とつながる窓っていう考え方あって、お月見は故人をしのぶっていう側面もあるんだってさ。だから向こうのひとが寝過ごしたんだよ」

「……」

「でもちゃんと予備日があって、十五夜のつぎの日が十六夜いざよい、そのつぎが立待月たちまちづき居待月いまちづき、そのあともなんか名前がついてて、その日に月を見れば――」


 得意になって説明していた俺は、思わず言葉を飲みこんだ。


 舞果の瞳からしずくがこぼれ落ちた。まるで月に帰る前のかぐや姫みたいだった。両手のひらで顔を覆う。


「ご、ごめん。なんでもない。ちょっと感傷的になっただけで……」


 なにが起こったのか理解できずぽかんとしていた俺の胸に、たちまち焦りが浮かんでくる。もともとひとや社会とのつながりが希薄な舞果が、かぐや姫みたいに本当にいなくなってしまうのではないか。そんな焦り。


 とにかく泣きやませなければ。しかし、混乱した俺の頭が導きだした方法は、俺自身ですら呆れるほどのものだった。


「よ、よし、もうひと頑張りしようかな!」


 俺は残りの団子を口に放りこんだ。


 ひょい、ぱく。


 ひょい、ぱく。


 ひょい、ぱく。


「ちょ、ちょっと、無理しないほうが」

「ふぇ? へふひふひひへはいへほ」

「なんて?」

「ははへほへ」

「ほんとに分かんないんだけど」


 食べきれば舞果は喜んで笑ってくれるのではないか。そんな幼稚な方法しか思いつかなかった。小学生でももう少しスマートになぐさめることだろう。


 ――アホ、俺のアホ……!


 自分の馬鹿さ加減に涙が出そうになりながら、しかしどうしていいか分からず、俺は団子と里芋を口に詰めこんでいくことしかできない。


 そんな俺を舞果はぼうっと見つめていたが、やがて――。


「ふふっ」


 小さく笑い、ちょっと呆れたように言う。


「子供みたい」

「ほほほはほ」

「だから分かんないって」


 笑いが大きくなる。


 笑わせたというより笑われたという感じだが、とにかく泣きやんでくれたので結果オーライだ。


 残る問題は完食できるかどうか。


 団子の最後の一個をつまみあげる。口に運ぼうと頭では考えているのに、身体が拒否して腕が動かない。


「っ!」


 心の中で自分に活を入れ、勢いよく放りこむ。理性や満腹中枢に拒まれる前に、素早く咀嚼して飲みこんだ。


 ――食いきった……。


 しかし喜びを噛みしめる余裕はなかった。鼻どころではない、身体中の穴という穴から団子と里芋が出てきそうだ。


「うおぉ……」


 俺はふらふらと歩き、ビーズクッションに倒れこんだ。身体の左側を下にして寝れば胃に血液が回って働きがよくなると聞いたことがある。しかし実際にやってみると、ただでさえ満杯の胃が圧迫されて余計に苦しいだけだった。


 身体を仰向けにする。そのとき、俺はあることに気がついた。


「あれ?」


 窓の外が妙に明るい。


「晴れてない?」

「え?」


 舞果が夜空を見あげた。


「ほんとだ」


 部屋の明かりを落とす。


 真っ暗な夜空にぽっかりと穴が空いたみたいに、大きな月が白い光を放っている。落ち着くような、心がざわざわするような光。神聖で、どこか怪しげで。


 なんだか俺にとっての舞果みたいだ。


 昔のひとが月を見て抱いた思いは様々だろう。でも多分、ひとつだけ共通している思いがある。それは――。


「月、きれいだな」


 素直な感想が口をついて出た。


「うん……。――え?」


 しかし舞果はぎょっとしたような顔で振り向いた。目が月みたいにまん丸だ。


「どういう意味……?」

「そのままの意味だけど?」

「だって、わたしが読んでたの――」

「なんか変なタイトルの小説のことか? それが?」

「え? じゃあほんとに月がきれいっていうこと?」

「そうだけど……?」


 舞果はきょとんとした。


「アホ」

「久しぶりに!?」

「唐変木」

「追加かよ……」


 どうして罵られなければならないのか。舞果が読んでいた小説となにか関係が?


 少し気になったが、せっかく舞果の機嫌が治ったのだ。余計なことは言わないでおこう。


「ねえ」


 舞果は月を見たまま、つぶやくように言った。


「月、きれいだね」

「だからそう言ったろ」

「そうだね」


 微苦笑をして、それきり黙った。


 ほの白い光に照らされた舞果は本当に美しくて、月見だというのに、俺は彼女の横顔ばかり見つめていた。

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