第11話 よく分かんない奴 ― 舞果サイド

 有永直司はもしかすると本当にいい奴なのかもしれない。


 わたしは美しかったお母さんによく似ている。だからどんなに困窮しても、それを利用しさえすればなんとかなると考えていた。お母さんがわたしを育てるために、そうしていたように。


 あの日、彼はわたしを買うと言った。当然、意味だと受けとった。しかし彼はなにもしなかった。


 彼女になってほしいなんてとぼけたことを彼は言った。彼は極度の人見知りでコミュ障で、だからそんなふうにごまかしたのだと思った。本音は結局、やりたいだけだ、と。


 だからわたしから積極的にアプローチしてやることにした。


 なのに、彼はなにもしてこない。


 裸ワイシャツでアプローチしても効果なし。身体を測ってもらっても、事故を装って触れることすらしてこない。あまつさえ、裸エプロンよりふつうのエプロン姿が似合うなどと褒めてくる。


 ――それに、それに……。


 足をひねってしまったとき、わたしをお姫様抱っこした。しかもあんな歯が浮くような台詞を……。


 彼のあの台詞をおそらく本音だ。人見知りでコミュ障の彼が、あんなことを演技でさらりと口にできるわけがない。そういう逆説的な信頼はある。


 じゃあ彼は本当に、恋人としてのわたしを求めているということだろうか。


 それは困る。だって恋は心のつながりだ。お母さんから受け継いだ容姿には自信がある。でも中身はひねくれていて扱いづらい子供だ。恋人としては赤点だろう。


 彼氏らしくあれ、なんて彼に言ってしまったが、あれも結局、わたしが彼女として不合格だから責任転嫁してしまっただけなのかもしれない。


 なんて、また足をひねったときのことを思い出して、顔が火照る。


 意味が分からない。なんでわたしが照れなきゃいけないのか。逆だろう。照れるべきなのは直司のほうなのに。


「舞果」

「はっ?」


 なんだかむかむかしていたわたしは、直司に険のある返事をしてしまった。彼はびくっと怯えたように首をすぼめる。


「ご、ごめん。なんでもない」

「違う違う、ちょっと考え事をしてて。で、なに?」


 わたしたちはニ○リの寝具売り場に来ていた。クッションを並べただけの敷き布団では直司の腰がそろそろ限界ということで、安いマットレスを物色している。


「こっちの安いスポンジのやつとちょっと高いウレタンのやつ、どっちがいいかなって思って」

「寝心地のよさそうなほうでいいんじゃない?」

「スポンジのほうが好みの感触なんだけど、すぐにへたりそうで」

「そんなの店員さんに聞けばいいじゃん」

「でも、忙しそうだし……」

「仕事なんだから遠慮することないって。――すいませ~ん」


 わたしは通路を歩いていた女性従業員に声をかけた。


「わたしのせいで彼の腰ががくがくになっちゃったんですけど、どのマットレスがいいですかね?」

「ごご誤解されるようなこと言うなよ……!」

「くふふ」


 直司は従業員に説明を受けている。わたしは手持ちぶさたになって、とくに目的もなく店内を徘徊する。


 従業員を呼びとめるのもためらうような人見知りの直司。そんな彼が、初めて話をする女子を買うと言い出すなんてよほどのことだったと思う。


 だから、彼を動かしたのは強い性衝動リビドーなのだと思った。と同じように。でも直司と過ごしていると、その考えはまちがいだったのではないかと自信が揺らぐ。


 ――おっ。


 クッション売り場に、ちょっと前に流行った『人をダメにするソファ』――大きなビーズクッションが陳列されていた。


 直司の部屋のダイニングはすごく日当たりがよくて絶好のお昼寝ポジションなのに、ソファがなくてもったいないと思っていた。中サイズなら四千円ちょっとと値頃だ。財布は心許ないが、気持ちのよいお昼寝を四千円で買えるなら元は充分とれる。


 ビーズクッションを抱えてマットレス売り場にもどると、直司はまだ従業員から説明を受けていた。マットレスはどうにか決まったようだが、今度はカバーがどうとか言っている。


 大胆なんだか優柔不断なんだか――。


 ――ほんと、よく分かんない奴。


 呆れてため息が漏れた。





 翌日のお昼ごろ、注文していたマットレスとビーズクッションが配達された。その日はおあつらえ向きに天気がよく、わたしはさっそく窓際の日当たりのいいところにクッションを置いて身体を沈みこませた。


「おほおぉ、いいよこれ。身体が溶けそう……」


 もっちりした感触のクッションが身体を包みこむ。ふわりと宙に浮いているような感覚。ぽかぽかと暖かい日和。わたしは伸びをした。


 やがてまぶたが重くなり、うつらうつらとしているうちに、わたしは眠りに落ちた。




 ひやりとした空気に、わたしはぶるりと身体を震わせた。どれくらい眠ったのだろう。少なくとも、窓から降りそそいでいた陽光がすっかり移動してしまうくらいの時間は眠っていたらしい。


 しかし動くのが億劫で、わたしは身体を丸めて惰眠をむさぼる。


 そのときだった。みしっ、みしっ、と床を踏みしめる音が近づいてくる。いかにも抜き足差し足といった慎重さを感じさせる音だった。


 ――直司……?


 その音はわたしのすぐそばで止まる。


 しゃがむ気配。かすかに彼の息が頬にかかった。


 ――来た。


 ついに直司がその気になったらしい。


 心臓がどきどきと跳ねる。わたしは悟られないように、目をつむったまま、静かな呼吸を心がける。


 どんなに誘っても頑なに拒みつづけた直司。隙を見せたとたん、こうだ。押して駄目なら引いてみろとはよく言ったものだと思う。


 ――まあ、いいけど。もともとそういうつもりだったし。


 覚悟はとっくの昔にできている。


 なのになぜだろう。


 少し、悲しい。


 衣擦れのような音がした。わたしは身を固くする。


 わたしの身体になにかが覆い被さった。


 ――っ!


 そしてまた、みしっ、みしっ、と足音。今度は離れていく。そして慎重に慎重に、できるだけ音がしないように引き戸が閉められる。直司は隣の部屋へ行ったようだった。


 目を開ける。わたしの身体に掛けられていたのはタオルケットだった。


 わたしが寒そうに身体を丸めるのを見て、掛けてくれたのだろうか。


「なんなの、あいつ……」


 もう緊張はしていない。なのに胸のどきどきが治まらないのはなぜだろう。

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