第10話 ナイスキャッチ

 下校の時間になり、俺は校門を出て、周囲の様子をうかがった。怪しげな車や男性は見当たらない。


 下駄箱のところで待機している舞果に、俺はLINEでメッセージを送る。


『オーケー』


 八宮さんに疑われているため、念のため一緒には出ないことにした。ひとまず俺が安全を確認し、そのあとをたどってもらう。学校から充分距離をとったあと、合流して下校する。


 見晴らしのよい通りを警戒しながら進む。曲がり角、電柱の陰、低木など、姿を隠しやすい場所をとくに気にしながら。


 まだ日は高く、ひとの行き来はけっこう多い。犬の散歩をするお婆さん、小さな子供の手を引いた若い女性、俺の横を駆け抜ける小学生たち。


 こんな平和そのものの光景のなかに不審者が潜んでいるのだ。なんと恐ろしいことだろう。


 そのとき俺のスマホがキンコンと着信音を鳴らした。舞果からのメッセージだ。


『どっちかって言うと直司の動きが不審者っぽい』


「なん……!」


 思わず声を出してしまい、通りすがりのご婦人を驚かせてしまった。俺はぺこぺこと頭を下げてから返信する。


『警戒してるんだから仕方ないだろ』

『もう学校から離れたし合流しない?』


 俺の言い訳は軽やかにスルーされた。


 合流したあとも、俺は周囲に油断なく視線を走らせながら歩く。


「俺が必ず守ってみせるから」

「なんかJ-POPの歌詞みたい。つぎは翼を広げる? それとも思い出を抱きしめたり?」

「俺には抱きしめたくなるような思い出がない」

「なんかごめん」


 しまった、彼女を謝らせてしまった。なにかフォローしないと、と考えてすぐに、


『思い出はこれから作っていこうよ』


 という台詞を思いついたが、そんな歯の浮くようなことを言えるわけもなく、


「いや……」


 とだけ口にするのが精一杯だった。


 結局、不審者が現れることはなく、周囲を警戒しつづけたため会話も弾まないままマンションに到着してしまった。見直されるどころか大きなマイナスとなってしまった気がする。


 長いため息が出る。


 ――やっぱり俺には彼氏らしいことなんて無理なのかなあ……。


 エレベーターのボタンを押そうとしたところ、


「ちょっと待って」


 と舞果の声がかかり、俺は手を止めた。


「なに?」

「階段で行かない?」

「……なんで?」

「あれやろう、あれ。じゃんけんグ○コ」

「じゃんけんで勝ったほうが階段を上るやつ? グーがグ○コで、チョキがチョコレート――」

「パーはパイナップル」


 舞果はにっと歯を見せて笑った。


「で、負けたほうは勝ったほうの言うことをなんでも聞く」

「なんでも、って……」


 俺はまじまじと舞果を見てしまう。彼女は自分の身体を抱くような仕草をした。


「わたし、直司になにされちゃうのかな」

「へ、変なことはしないっ」

「なにかはするつもりなんだ?」


 上目遣いの視線。俺は目をそらした。


 たしかに変なことは想像した。しかし目をそらしてしまったのはそれよりも、また舞果に気を遣わせてしまっているのではないかと感じ、申し訳なく思ったからだ。


「直司はグミ、チョコ、パインね」

「理不尽がすぎる」


 気を遣わせたというのは勘違いかもしれない。


「嘘嘘。じゃあ、じゃんけんしよ。わたし、最初はチョキ出すから」

「か、駆け引きやめろよ」

「直司はこういうこと言うとものすごく悩んだあげく自爆するタイプだよね」


 否定しようとしたが、動揺している時点で肯定したも同然だった。


 ――舞果は宣言どおりの手を出すタイプのような気がする。いや、俺がそう考えると読んでべつの手を出すか? 出すとしたらなにを……。


「はい、じゃーんけーん――」

「っ!」

「ほい!」


 俺が出したのはパー。舞果が出したのはチョキ。


「はい勝った。チ・ヨ・コ・レ・イ・ト」

「ぐ、ぐぐ……」


 言われたとおり、悩んで自爆した。けっきょく俺は舞果の手のひらの上か。


「はい、じゃあつぎ」


 六段上で仁王立ちする舞果。角度的にスカートのなかが見えそうで、俺は慌てて目を伏せた。


「はい、じゃーんけーんほい!」


 俺はグー。ちらっと目を上げると、舞果はチョキを出していた。


「え!? 嘘、負けた。意固地になってもう一回パーを出すと思ったのに」

「裏の裏をかいたんだよ」


 嘘である。頭ではパーを出そうと考えていたが、覗き見を堪えたため、手に力が入りグーになってしまっただけだ。しかし結果オーライ。俺は階段を三段上った。


 その後、俺たちは一進一退の攻防を繰り広げ――ることはできず、常に舞果が先行する展開がつづいた。


 そしていよいよ、舞果があと一勝すれば勝敗が決するところまでやってきた。彼女との差は十段。二連勝すれば逆転できそうに思えるが、相手もそれは分かっているはずだから、チョキやパーを警戒してくることだろう。しかしグーでは歩数が足りない。


 ――意外とゲーム性高いな。


 やはり世に残るゲームは基本的によくできている。


 舞果が手を振りあげた。


「これで最後だ!」

「ここで終わってたまるか……!」


 俺もけっこう熱くなってしまっている。


 ――ここはグーを出して手堅く距離を縮める……!


「じゃんけんほい!」


 俺はグー。舞果はパー。


 見所もなくあっさり負けた。


「大勝利!」

「くっそ……!」

「悔しがっちゃって。わたしになにをする気だったのかなあ」

「いいから早く上れよ」

「はいはい、遠吠え遠吠え」


 舞果はくるりと振り向き、スキップするみたいに階段を上る。


「パ・イ・ナ――」


 最後の一段に足を下ろしたとき、足首が不自然に曲がった。


「痛っ――」


 ぐらり、と彼女の身体が後方に倒れる。


 そのとき俺はすでに動きはじめていた。声をかける余裕もなく、跳躍するように階段をかけあがる。自分でも驚くほどの速さで。


 倒れてくる舞果の身体を、俺は横抱きに受けとめた。


 ――よかった、間にあった……。


 しばらくきょとんとしていた舞果は、俺と目が合うと慌てたように言った。


「あ、ご、ごめん。降りるね」

「駄目だ」

「え、な、なに? もしかして、わたしの身体をもっと触ってたいの? なんて」


 俺をからかおうとするが、切れがない。


「違う。足をひねっただろ。このまま部屋まで運ぶ」

「え、ちょ……」


 俺は立ちあがった。舞果の身体は思ったよりも軽く、すぐそこの部屋に運ぶくらいなら簡単そうだ。


「ま、待っ……」

「ごめんな」

「え、なにが……?」

「俺が彼氏らしくないばっかりに、舞果にばかり負担をかけて」

「……ん? ん!? なんの話?」

「舞果は頑張ってくれているのに、不甲斐なくてごめん」

「待って待って。なんか変な勘違いしてない? わたしはべつに――」

「彼女に無理をしてほしくないって思うことが、そんなに変かな?」

「っ!!??」


 舞果の目がまん丸になり、顔が紅潮した。


「やっぱり痛むか?」

「ちがっ、そうじゃなくて……!」

「ちょっと我慢してくれ。湿布と痛み止めはあったはずだから」


 舞果を抱えたまま階段を上る。


「重いでしょ? ね、もう大丈夫だから」

「軽いよ」

「お願いだから――」

「俺さ、まだよく分かんないけど」


 照れくさくて喉がこわばる。でも、頑張ってくれている舞果には、ちゃんと伝えないと。


「もっと彼氏らしくなれるように頑張るから」

「~~!!」


 舞果は子犬が甘えるような声を出し、手で顔を覆ってしまった。


「ど、どうした?」

「もういいから……」

「いや、捻挫は無理をしたら治りが遅くなる――」

「そうじゃなくて!」


 ほとんど涙声で言う。


「彼氏らしくしなくていいから……!」

「え、でも」

「もう充分だからあ……!」


 ――充分……?


「どういう意味?」


 尋ねてみたものの、舞果は顔を隠したまま黙りこんでしまった。いよいよ足が病んできたのだろうか。


 舞果に鞄から鍵をとりだしてもらい、部屋に入る。寝室のベッドに彼女を座らせ、キッチンの戸棚から痛み止めの飲み薬と湿布、それからコップに水をそそいで持っていく。


 舞果は靴下を脱ぎ、ベッドの上で片膝を立てて足首を触っていた。俺が入ってきたことに気づくと、足首をぐるぐると回して見せる。


「ほら、大丈夫だって」

「え、でもさっき痛がってたのに」

「さっきのは――」


 言いかけて、膝を抱くようにして顔を隠す。


「そういうんじゃないし……」


 聞こえるか聞こえないかくらいの声でもごもごと言う。


「じゃあ、念のために薬は置いていくから、痛くなったら使えよ?」

「うん」


 寝室を出ようとしたが、ふと先ほどの疑問が頭をよぎって俺は尋ねた。


「なあ、さっきの『もう充分』ってどういう意味?」


 舞果は目をむいた。


「う、うるさいなっ。なんで蒸しかえすの!」

「なんか気になって……」

「じゃあ命令。聞くの禁止」

「命令って……」

「わたしが勝ったんだから命令する権利はあるでしょ」

「そうだけど、ふつうそんなことに使う?」

「なにに使おうとわたしの勝手。あ、それから、彼氏らしくしてほしいっていうのも忘れて」

「命令がふたつになってるんだけど」

「こっちはお願い」

「でも彼氏らしいほうが舞果もやりやすいだろ?」

「だから、それがもう充――」


 舞果ははっと息を飲み、言葉を切った。


「とにかく、わたしはべつに無理なんかしてないから、直司はふつうにしてくれてればいいの。でないと、わたしが困る」

「困る? なんで」

「話は終わり! 着がえるから出てって!」


 と、脱いだ靴下を振りあげた。


 俺は慌てて寝室を出る。


 ――なんなんだ。


 無理をしていないということなら、いままでの妙に挑発するような言動は彼女の素だということだろうか。


 たしかに素なのだとしたら、お返しをしようとする俺の行動に困惑するのも無理はない。しかしじゃあ『彼氏らしく振る舞って』という言葉はどういう意味だったのだろう。


 矛盾。しかし、尋ねることを禁止されてしまっているから、答えを見つける手立てもない。


「わからん……」


 恋愛IQの低い俺には、舞果の気持ちを察することは難しそうだった。

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