第2話 世界が終わる3日前

 今日も不機嫌な顔で目覚めた彼女。髪はぐしゃぐしゃで、目はしょぼしょぼ、いかにも寝起き顔だ。僕は出来るだけ優しい声で彼女に声をかける。「おはよ。今日もすごい良い天気だよ」


彼女はいつもどおりムスッとした顔で小さくつぶやいた。「あっそ」


僕はまた懲りもせず彼女に声をかけ続ける。「コーヒー、淹れよっか」


でも彼女は無言のままだ。


 実は、彼女の無言は「お願いします」の意なのである。僕はキッチンでお湯を沸かし、ドリッパーにゆっくりお湯を注ぐ。蒸らされたコーヒーの香りが部屋中に広がり、漂ってきたコーヒーの芳香でようやく彼女の表情から不機嫌さが消え去った。


 ベッドの上で、大きな出窓越しに外の景色を眺めていた彼女が言う。「今日もすごくいいお天気だよ!」


 それはさっき僕が言った台詞だが、そんなことはどうでもいい。ここで彼女はようやく僕に目いっぱいの笑顔を与えてくれた。この笑顔で、いつも僕は彼女を愛してることを思い知らされるんだ。


 淹れたてのコーヒーをベッドサイドテーブルに運ぶと、彼女は笑顔でコーヒーを楽しんだ。


 僕は、この日常がずっと続くと思っていたし、今もまだ、この日常が終わるなんて信じられない。


でも、あと3日で必ず世界は終わる。


 ほんの1週間前、NASAは巨大な彗星が地球に向かっていることを発表した。このままだと、その彗星はあと10日で地球に衝突するらしい。そのニュースが世界を駆け巡ったとき、世界中の人々はあっけらかんとしていた。ほぼ永遠に続くと思っていた日常が突然終わるなんて誰も信じなかったし、NASAも彗星の衝突を回避する「何かしら」の方法があると思っていた。


 世界中から、彗星に向けて何発もの核ミサイルが発射されたが、そのすべてが巨大な彗星を破壊することは出来なかった。その後も世界中の科学者が知恵を出し合い、さまざまな方法を試してみたが彗星に傷一つつけることも出来なかった。


 各国の元首や大金持ち達は、宇宙船で宇宙に逃げようとしたが、水と酸素と食料を生み出す地球そのものが無くなるのなら、宇宙に逃げ出したとしても「少しだけ後に宇宙で死ぬか、ちょっとだけ早く地球で死ぬか」の二者択一であることにようやく気付き、結局、宇宙に逃げ出す者は誰もいなかった。


 彗星が地球に衝突するまでの10日間、世界の治安は乱れに乱れると思われた。


 しかし、世界中どの国も、どの地域も、治安は乱れず、道徳は守られ、倫理観は高まった。地球上のすべて、いや地球そのものさえも滅びることが決定したことで、この世界からは身分も、お金も、差別も、欲も、格差も、すべての「個人差」が無くなり、人間は初めて本当の平等を手に入れたのだ。


 本当の平等を手に入れたおかげで、世界からすべての争いが消え去った。世界中で争いがなくなったのは、地球上に人間が出現してから初めてのことである。


 僕と彼女は、「そのとき」を一緒に迎えようと決めた。そのときを迎えるまでは普通に目覚め、普通に眠り、普通に愛し合おうと決めた。世界中のほとんどの人たちも、そのときを迎えるまでは普通に「日常」を過ごそうと決めているらしい。


NASAの発表から10日目。


 僕らはついに最後の日を迎えた。今朝も彼女は不機嫌な顔で目覚めた。相変わらず髪はぐしゃぐしゃで、目はしょぼしょぼだ。


 僕はいつものようにコーヒーを淹れ、彼女はいつものように僕に笑顔をくれた。今日も僕は、彼女を愛していることを思い知らされた。窓の外には眩い閃光が見えたが、僕と彼女はいつものように笑顔でコーヒーを楽しんだ。


 僕らがコーヒーを飲み終えたとき、世界はゆっくりと終わった。

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