第3話

 人気のない山にある施設、そこは火葬場だ。


 無地の壁、派手さのない屋根、そして煙を吐く数本の煙突。洒落た感じを全て取り除いた無常さは、死のそれと等しく整然としていた。


 火葬場の外には人影がある。その中には横道と春子の姿があった。


「この度は御愁傷様(ごしゅうしょうさま)です」


 黒いスーツを着た横道が挨拶したのは、同じ黒服の人々だ。


「いえ、祖母が亡くなったと聞いて葬式は遺体無しで行わなければならないのだと悲しんでいたところです。祖母の身体を運んでくださり、ありがとうございます」


「これも仕事なので構いませんよ。コウレイについてはもちろん心配ありません。十分にお別れをしてください」


 横道が優しくそう語り掛けると、先頭の御夫人はハンカチで涙を拭いた。


「これは少しばかりのお気持ちです。どうぞ受け取ってください」


 夫人の隣にいた夫が1枚の封筒を横道に手渡そうとする。その封筒はそこそこ厚みがあり、中身については推察できた。


「すいません。これは受け取れません。報酬については国から必要なだけ受け取っていますので、心配しないでください」


 横道は丁重(ていちょう)に断ると、春子と共に別れを告げてその場を離れた。


「湿っぽい話は苦手だねえ。葬式はもっと祭りみたいに楽しく過ごすべきじゃないかい」


「死は悼(いた)むもので、楽しむものじゃないよ。それに葬式は残された者のための慰(なぐさ)めなんだ。悲しい時には悲しむのが正常だろ?」


「そうは言ってもねえ……」


 横道と春子が葬式の是非について話していると、正面から別の人間が近づいてきた。


 その男は紺色のスーツに身を包み、几帳面(きちょうめん)に髪を七三別けにしている。黒縁のメガネと眉間に寄ったシワが気難しさを演出し、薄い唇は冷淡さを感じさえした。


「相変わらず暇そうだな、特介屋。遺族に媚を売って謝礼金でもたかりに来たか?」


 横道が男の言葉にむっとするも、春子がそれを制した。


「あら、石田さん。自治政府のお役人さんがこんなところまでご足労(そくろう)だね。使いパシリは大変かい」


「ふんっ。危険な高齢者の死体を運ぶ仕事よりもマシな仕事だ。ところでそんな危険な死体をこんな場所まで運び込んで、自治政府への翻意(ほんい)でもあるんじゃないか?」


「残念。自治政府にはちゃんと面倒な手順で許可を取ってるよ。証明書が見たければ遺族に頭を下げるんだね」


 石田はチッと舌打ちをした。こんな風に石田は横道と、特に春子を毛嫌いしており、事あるごとに弱みを握ろうと苦心している。


 その因縁は横道が特別介護士の仕事を始める前から続いているようで、何が始まりだったのかは横道も知らなかった。


「自治政府の役人さんがアタシらに会いに来たってことは、仕事だろう?」


 春子の指摘に、石田は無言で肯定(こうてい)した。


「自治政府は先日の議会決定により、壁の外、つまりレッドゾーンの向こうにある安全地帯のグリーンゾーンへ援助物資を届けるよう決定した。件(くだん)のグリーンゾーンは自治政府に未加入、今回の支援で関係改善にとり組むつもりだ。しかし、だ」


 石田は眉間のシワをより深くしながら言葉を続けた。


「テロリストの活動は知っているな。奴らは自治政府の転覆(てんぷく)を目的に様々な妨害工作をしている。自治政府への直接攻撃だけではなく、コウレイを偶発的に発生させる工作も行っている。おそらく、物資を届ける今回の遠征も狙われるはずだ」


「つまり対テロのために私たちにも遠征に参加しろ。そういうことだね」


「話が早いな。そういうわけで自治政府は特介の腕利きに協力を要請している。まさか断るわけは――」


「嫌だね」


 春子は石田の言葉を遮(さえぎ)って、拒絶した。


「そもそもうちのホスピタルは慢性的に人員が足りなくてね。それこそ緊急事態がなければ大丈夫だけど、いちいち人員を減らす理由はないね」


 ホスピタル、そこは横道や春子が勤めている施設だ。特別介護士は前日のように突発的な高齢者の遺体の処理をするだけではなく、老人福祉施設のような場所での勤務がある。


 ただ老人福祉施設とは違い、ホスピタルは終末医療施設である。入居条件は65歳以上であること、そして入れば2度と出られないよう契約がされる。


 非人道的だが、コウレイの出現もあって自治政府により高齢者の人権は一部制限されている。これも、必要な処置なのだ。


「第一、自治政府の覇権のために強制労働? 馬鹿にするんじゃないよ。今更国家復興の夢を見たところで、コウレイは止まらないよ。いずれ世界はコウレイで溢(あふ)れる。それはもう止められない。幾ら自治政府がコウレイを抑制しようとしても、人の命そのものを握るなんてできはしないのさ」


「春子ばあちゃん! 役人の前でそれは言い過ぎだって」


 春子の発言を注意する横道だが、石田の耳にはまず間違いなく届いただろう。


「……今回は見逃してやる。だが言いふらすようなら私の手を借りずとも国家転覆罪で捕まるぞ。発言は慎重にすることだな」


 石田の大人な対応に、横道はホッと胸を撫で下ろした。


「ベー、っだ」


「春子ばあちゃん、それは大人げないよ……」


 このように自治政府はある程度国家としての役割がある。とは言っても、あくまで国家の代用のようなものだ。


 かつては国として機能していた土地であるけれども、それはコウレイを締め出すレッドゾーンによって飛び地のように分断されている。物理的な分裂は国家の枠組みを維持できず、人間の生存圏であるグリーンゾーンに独自の自治政府が誕生した。


 横道と春子が所属している自治政府も、正式名称は此岸(しがん)民主主義自治政府という名前をしていた。


「そうだな。例えアンタの言う通りだとしても、自治政府は人の繁栄という使命を全(まっと)うしなければならない。そのためには意地でも遠征に参加してもらうぞ」


「嫌だって言ってるだろう。それともアタシを参加させる切り札でもあるのかい?」


「ああ、あるとも」


 石田はそう言うと、手に持っていたカバンから資料を取り出して春子に渡した。


「今回の遠征の全容だ。目的地については君たちがよく知っている場所だと思うが?」


 春子が渡された資料に目を通すと、その眼が驚きで見開かれた。


「目的地は彼岸川町なのかい?」


 彼岸川町、そこは横道と春子の故郷だ。見知った平野、川、海、山がある郷土だ。


「貴様は彼岸川町の出身で、ずいぶん前に亡くなった夫の墓もあるそうだな。そこのお前も、亡くなった家族が埋葬されていると聞いている」


 春子と横道は、血のつながりがない。横道が10歳の頃家族を失ってから、両親の伝手(つて)で春子に世話になっている。


 そして2人は自治政府同士の内戦や、コウレイの発生によるレッドゾーンの影響で各地を転々としてきた。だからこそ、横道と春子にとって彼岸川町は魂の居場所のようなものなのだ。


「故郷へ、帰りたくはないか? 今なら自治政府の助けを借りて合法的に渡れる。次のチャンスがあったとしても、おそらくずいぶん先のことになるぞ」


 石田の言葉に、春子も横道も閉口した。反論の余地がなかったからだ。


「できることなら死ぬ前に、1度くらいは帰ってみたいねえ」


 春子の言葉に、横道はギクリとした。


「だけどこいつはアタシの一存では決められないよ。横道、アンタが決めな」


「決定を丸投げにしてくれるなよ……」


 横道は正直悩んだ。横道とて故郷には帰りたいし、家族の墓を見舞ってやりたい。だけどホスピタルのこともある。そこに住むおじいさんやおばあさんをほったらかしにはできない。


 横道がうんうんと唸(うな)っていると、石田は最後の一押しをしてきた。


「もしよければ自治政府から人員を融通(ゆうずう)するぞ。もちろん、遠征が終わるまではな」


 石田の提案に、横道は春子と見合う。ならば迷うことはない。


「俺だって家族には会いたいし、春子の夫にも挨拶がしたい。石田さん、その提案飲むよ」


 横道と春子の了承を得て、石田は満足そうに頷(うなづ)いた。


「では3日後の午前10時、西第3ゲートの前で長井親子と合流してくれ。後になって直前で取り消しはやめてくれよ」


 石田は契約の成立で春子に握手を求めるが、拒否される。


 その代わりに横道が石田の手を取り、新たな仕事が決まった。

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