エクストリーム・タイム③
「おい」と俺。「聞こえてんだろ?」
『お呼びかな? 伊野神けい』
「訊きたいことがある」
『なにかな?』
「お前がこれを書いた動機はなんだ?」
『動機?』
「どうして探偵小説なんだ? 天災で失われた友人を登場人物として描写し、あろうことか殺人劇にしたその動機を教えろ。しかも森川さん、平田先輩、東村、堂場顧問そして国枝さんはここでも命を落とした。これは不謹慎極まりない。お前はそんな人間なのか?」
『その質問に答える前に、この十年のことを話してもいいかな?』
俺が沈黙していると、肯定と受け取ったコエが語りだす。
『その後の高校生活は失意のまま過ごした。ぽっかりと空いた穴は塞がるどころか、時間が経つにつれて徐々に大きくなっていくように感じた。ダンスは残ったメンバーでやることになったけど、あまり良いものには仕上がらなかった。お葬式で歌った合唱の方が印象に残っているくらいだよ。一生分の涙を流したと思う。
大学に進学した俺は生物学を専攻した。細胞や遺伝子などの講義は興味深かった。実習ではマウスの解剖とかもやったけど、なんだか、手を下すことを躊躇してしまった。綺麗な目でこっちを見るんだよ。でも安楽死させないと単位がもらえないから、一思いにやったよ。その時の感触は今でも覚えてる。首の骨が、こう、木の枝を折るときみたいにピキッていうんだ』
コエは続ける。これは俺がこの先辿る道のり。遥か未来から届くメッセージだ。
『中でも特に面白かったのはDNAのテロメア配列とテロメラーゼについて。
テロメアっていうのはDNAの末端にある繰り返し配列のことで、これを伸ばす酵素がテロメラーゼ。細胞っていうのは活発に分裂しているのだけれど分裂の度にDNAが徐々に短くなってしまうんだ。細胞が分裂するってことは一つが二つになるということ。同じようにDNAも一つから二つ、つまり複製されるのだけれど、その際末端は複製できないんだ。これにより徐々にDNAは短くなり、短くなりすぎると分裂できなくなる。
テロメアはそんなDNAの末端にあって分裂の度短くなる。これが長ければ長い程分裂できる回数は増える、つまり寿命が延びるということなんだ。
テロメラーゼはそんなテロメア配列を伸ばす夢のような酵素だけど、ヒトではその活性が低いんだ。だからどんどん短くなって、やがて分裂が止まる。即ち死を迎える。
もしだよ? このテロメラーゼの活性をもっと高めることが出来ればヒトの寿命をもっと長くすることも可能だと思わないか?
あとES細胞とiPS細胞。ES細胞は胚性幹細胞といってヒトのあらゆる細胞に分化する能力をもった細胞なんだけど、作製方法に倫理的問題があってね、ヒトの受精卵を用いなければならないんだ。
受精卵はヒトなのか? 難しい質問だよね。この議論を机ごと引っくり返したのがiPS細胞だ。ES細胞と同じ幹細胞なんだけど作製方法が決定的に異なる。こちらは既に分化した皮膚細胞などを用いるんだ。これにより倫理的な問題は解消され、医療の場で役立たせるための研究が進められている。分化した細胞を最初期の幹細胞にまで初期化させたんだ、これは本当に凄くて当時びっくりしたよ、受精卵を使わないでその人由来の幹細胞を作製できるなんて――」
「伊野神」と深川。「お前、こういう所は変わらないんだな」
「え……?」
俺ってこんなに面倒くさいのか。我ながら恥ずかしい。
「この前だってこのゲームのここでの演出は序盤のこのシーンがなかったら全然だめだったとか熱弁をお振る舞いしてたぜ。順調に語り癖は成長するみたいだな」
「まあ、好きなことに関しては誰だってそうでしょ?」
「いや、部長はすごいです」と岡本。「自分ここまで好きなもの陸上以外ありませんから」
「な、何言ってんだよ。お前はその陸上がすげぇんだからいいじゃんか」
表情が曇った後輩に何か続けようかと思った時に、声が続ける。
「先程の質問の答えは――もう二度と来ない青春をいま生きているんだとお前に実感してほしいから。
探偵小説は登場人物が犯人によって殺害され、犯人の正体、その殺害方法や理由を読者が推理して、答え合わせを楽しむ娯楽小説だ。
これに自らを登場させることで人の死に触れさせる。
その上で生きているって実感してもらいたいんだ。だから当然、伊野神けい、お前は物語が始まる前においてその生存が私によって保障されていた』
「そのために森川さん、平田先輩、東村、堂場顧問や国枝さんは死ぬ予定だったと?」
『申し訳ない。それがシナリオだから』
外野からすすり泣く声、怒りをこらえた嗚咽、真っ赤な熱気がマグマのように煮えたぎるのを感じる。それでも声をあげないのは俺への配慮か。この小説の主人公は俺だから。これは俺への試練だ。
「ふざけるなよ! 現実で亡くなった友人を殺すような真似を!」
『それについては弁解の言葉はもたない。全てはお前の未来のため』
「こんな不条理があってたまるかよ!」
『きっとわかってくれる。共に部活をした仲だからわかる。わかってくれるはずだ。なあ深川?』
「……?」
『お前ならわかってくれるよな?』
「…………」
「深川ぁ……悪い……ほんとに悪い」
深川のみならず、ここにいる全員に対して俺は懺悔の気持ちでいっぱいだ。本当に誰も救えなかった。救えないどころかその命を弄んでしまった。
創作の中でとはいえその命を踏みにじるような真似をしてしまった。
「……伊野神」
深川からの拳が飛んでくる。そうなっても仕方がないことを俺はしたのだ。
歯を食いしばる。
「これって未来のお前が書いた小説だっけ?」
「…………?」
突然の問い。答えられずにいるのに鉄拳の気配がない。
「……ありがとう」
「え」
予想だにしない言葉。
「現実の俺たちは高校生で死んでいる。そんな俺たちを十年という月日を経てこうして生かしてくれた。そのことに俺はお前に感謝を伝えたい。ありがとうな。なかなかイカすことするな、未来のお前は」
「だって、お前死んでいるんだぞ? ここは創作の世界なんだぞ?」
「伊野神いいいいっっ!」
バシンッ――!! ここでやってきた鉄拳! 俺は後方の机に激しくダイブした。
左頬がジンジンする。顎を動かすたびに鈍い痛みが走る。
「痛いだろ? ここは現実だ。未来のお前にとっては虚構の世界なのかもしれねぇ。でもな俺たちにとっては紛れもない現実なんだよ! 今日は八月十三日! 時刻は午前三時二十八分! 生きているんだよ。俺たちは」
「でも森川さんや国枝さんは――」
「彼女たちも生きていた。現実では死んでいてもう生きられない彼女たちも、初日の天海島に向かう船の上では確かに全員生きていたじゃないか! もう叶わないのに未来のお前がその夢を叶えてくれたじゃないか! 確かに散った命もあるけど、それは未来のお前が今のお前に夢を託すため。それくらいわかってくれるさ。少なくとも俺はわかってるぜ。一緒に部活をした仲だからな」
「僕もそう思います。言われてやったとはいえ、森川先輩の命を奪ったのは僕です。自信過剰ゆえ引き受けてしまったのは心の弱さがあったから。そんな弱い僕にもう一度、砲丸を投げる機会をくれたのは先輩です。本当にありがとうございます。そして本当にごめんなさい」
「俺もサイテーなことをした。能力が無いのに能力をもっている奴を憎むなんて最低だ。だからさ、もっと練習しなくちゃダメだってことを痛感した。お前のおかげだ。まあ、課題は残っちまうけど。朝倉、ほんとにわるい」
「いいよ。止められなかった僕も悪いんだから。伊野神ありがとう。今度は試合したいな、なんちゃって」
「おぉ! 朝倉センパイの冗談、初めてです! 伊野神センパイと今度はバレーがしたいです。よろしくです」
「うんうん! すごいよ伊野神くん。現実を創っちゃうなんて。ほんとにありがとう。色々あったけど、楽しかったよ」
「私はとんでもないことをしてしまった。私が彼女を憎む心は紛れもなく本物だったから。今度はその罪滅ぼしがしたい。もしその機会があるなら何だってするから!」
最後に口を開くは寺坂顧問。その表情は悔しさで歪む。
「若さ故に苦しむか。こんな年寄りが生きていられるのに、若い命が花開く前にっ! しかし悔いはない。若者に夢を見せるのが教師の務め。その信念は火山の噴火ごときで揺らぐものではないと自負している。きっと最期まで、私は『教師』でいたことだろう。ありがとうな、いのかみ」
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