第6話 コーヒーブレイク

「篠崎様。お時間通りのご来院、感謝いたします。おかけになってお待ち下さいませ」

 扉を開けると、受付から静かな声が届いた。ふと目をやると、あいも変わらず人形のように美しくも、感情の見受けられない顔がこちらを見ている。西洋の人形…それもどこかモノクロのゴシックが似合うもの。そんな空想が脳裏を掠める。

「ご丁寧にどうも。…貴女の声には、どこか人を落ち着かせる効果がありますね」

 なんとなしに毎回腰掛ける位置の椅子に落ち着きながら、声をかけた。ゆったりとした瞬きののち、静かな言葉が返ってくる。

「左様でございますか。篠崎様にそう感じていただけるのは、幸いでございます。…本日は少々お待ちいただくことになりそうです。コーヒーなどいかがでございましょう」

「…頂けますか。ブラックで」

「かしこまりました。お待ちくださいませ」

 所作、声音、口調。そして容姿。全てが一致している。完璧に整えられた家具がそうであるように、彼女はどこまでも洗練されていると思った。それが故意であるのか、先天的な一種の才能であるのかは、俺にはわからない。統一、という言葉が脳裏に浮かぶ。少なくとも俺から見た彼女は、彼女という人間として統一されている。俺とは、違う。

「お待たせいたしました。ごゆるりとお召し上がりくださいませ」

 コトリ。待合のテーブルに優しくコーヒーが置かれる。その音は心地よい。空間を漂うコーヒーの香りは、これが決して安物のインスタントではないということを五感に伝えてくる。

「…おいしい」

 一口含むと、思わず声が漏れる。

「ふふ、よかったです」

 俺はこの時、初めて人形の笑顔を見た。微かな、しかしどこまでも優しい、笑顔を。

「コーヒー、好きなんですか?」

「ええ。真理先生も私も、よく頂きますので…。先生は煙草との相性の良さを一番気にされますが、私は何よりコーヒーを淹れる時間を幸せに感じます」

「いい趣味ですね」

「ありがとうございます。一時といえど静けさは優しいものでございます、この場所のように」

「…そうですね。そう思います」

 二口目を口に運ぶ。ふわりと、柔らかな香気が鼻腔に漂い、後味に濁りのない苦味が喉を滑り落ちる。会話が終わると、再び世界はいつも通りの静寂へ包まれた。時計の針と、時折コーヒーカップを置く音。優雅、と病院に似つかない言葉を脳裏に浮かべ、心の中で笑った。

「あぁ、すまない遅くなってしまった。篠崎くん診察室へ……む?何やらいい香りがすると思ったらコーヒーか。麗の淹れたコーヒーは美味しいだろう」

 診察室から気怠そうに顔を出した河野医師は、そういうとどこか誇らしげに口角を上げた。カウンセリングで見せるものとは異なる、好奇心のないただただ柔らかな笑みだ。

「美味しいです。ありがたく頂いております」

「…篠崎くん。待たせているところすまないが、一服してきてもいいかね。コーヒーの香りに誘われてしまったよ。麗、一杯頼む」

「…………真理先生、クライアント様を喫煙のためにお待たせするのは、あまりよろしいこととは思えませんが」

 人間らしい会話に、思わず頬がほころんだ自分に気づく。それはきっと、自然なはずだ。俺は今、何一つ繕っていない。

「大丈夫ですよ。喫煙者なので気持ちもわかりますし…コーヒーもまだ半分残っていますから」

「ほら、篠崎くんもそう言っていることだし、麗、頼むよ」

「はぁ…かしこまりました」

 受付嬢…麗と呼ばれた彼女が軽いため息を吐きながら、事務所へと入っていく。彼女が人形のようだというのは、俺の勘違いだった。彼女はしっかりと、人間だ。感情のない人形などではない。我ながら失礼な勘違いをしていたものだ。…

「ふふふ、麗と話をしたかい?」

 診察室から出て、待合に座る俺の向かいの席に腰掛けた河野医師は楽しそうに問う。

「ええ。…まるで人形だなんて、思っていたのは彼女に失礼でした」

「話をしてみると、優しい子だろう。丁寧が過ぎるところはあるがね。それにコーヒーを淹れるのが抜群に上手い。これは人として大きな美徳だよ」

「そうですね。そう思います」

 俺たちはお互い、クスリと笑った。…

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