幕間の季節もの:空港の Merry Christmas

My Favorite Things

 "バラの花に落ちた雨、ピンと跳ねた猫のヒゲ"


 ママからのラインに気づいたのはヘルシンキ空港でトランジットを待ちながらホットドックを食べている時だった。


 空港の外は吹雪。真っ白で何も見えなくて、逆にぼうっと眺めていられたから、しばらくスマホを取り出す気にもなれなくて、それでいっそう気づくのに遅れた。1時間後に離陸するフィンランドエアの航空機は、10数時間後には羽田空港に着く。だいたい夜の8時過ぎで、迎えに来てくれるママと合流して空港のレストランで食事した後、空港内のホテルに泊まることになっていた。

 

 パパがイギリスで仕事をしていた時からの我が家のルーティン。

 私が小学生だった頃、私たち家族はイギリスから日本に帰国した。パパは都内に一軒家を建てて、そして2年後にまたイギリス赴任を言い渡された。

 ママ曰く、わたしの教育のために、ママと私は日本でお留守番、パパだけイギリスに単身赴任になった。かわいそうなパパ。ママだけでも一緒に来てくれないか、と頼んで、親戚に預けられそうになったわたしは、それでもいいよ、と答えたのに、ママがめちゃくちゃ怒った。

 

 家はどうするの、両親はもう私たちがずっと日本にいると思っているのよ、梨華だって日本で大学まで進学させるつもりなのに。


 そうして、ママの剣幕に負けたパパは一人寂しくイギリスに旅立ち、親孝行で可愛い一人娘がこうして休みの度に会いに行ってあげているのだ。毎年クリスマス・シーズンはママも一緒に行くのだけど、今年はママが開いている英語教室の生徒の一人が難関校を受験するとかで、最後の追い込みをしなくちゃいけないの、だから梨華、一人で行ってきて、とあまり残念そうでもなくそう言った。


 夫婦の危機というわけではないのは、毎日Skypeで会話している二人の様子を見ているから分かっている。互いを信頼しているから自分のことをできる、そんな感じ。


 ママが焼いたハンドメイドのクッキーが入ったタッパーを手土産に、高校の期末テストが終わってすぐ、わたしはイギリスに旅立った。


 "クリーム色のポニー、リンゴのお菓子"

 

 街にも空港にも、クリスマスの飾りと音楽が溢れ始めていた。


 そうしてイギリス、ロンドンに着いたのはいいけれど、毎年毎年、これだけは思う。寒い。ハイド・パークに近いパパのアパートは、地下鉄の駅から歩いて10分ほど。その間にわたしはガチガチに凍えた。今、着ているダッフルコートは都内で通学する分には時々暑くなることもあるけど、ロンドンではまったく寒さを防いでくれなかった。


 今年の冬は寒いですねえ今日は日中でも11℃です、っていう東京のテレビ局の天気予報を毎日見ていたせいで、勘が狂ったんだと思う。そう思うことにした。


 アパートに辿り着いて、出迎えたパパの熱烈な歓迎を受けて、2、3枚、運ぶ途中で割れてしまったママのクッキーを一緒に食べた。日本にいる時は気にならなかったけれど、こっちで紅茶といっしょに食べると妙な味がすることに気づいた。

「ママの作った味噌入りクッキー、久しぶりだなあ。こっちじゃ売っていないからね!」

 全部食べ切るのは惜しいからと、パパがいそいそとクッキーの入ったタッパーを片付けた。大丈夫、パパしか食べないと思う。


 そしてそれから1週間、わたしはほとんど外に出なかった。イギリスの良いところは、冬の屋内がすごく快適だ、ということだと思う。

 

 "白いドレスを着た女の子、青いサテンのリボンを腰に結わえて"


 だからイギリスで何をしてきたの?って友達に聞かれるのは困った質問で、最近はイギリスに行く、ということも言わないようにしている。

 試験休みの間、会わなかったけどどうしたの?どこか行ってた?うん、家の用事でちょっとね。これでだいたい済ませることにしている。

 

 ちゃんとその後、こちらに質問してきた相手にどこか行った?って聞くと、話したがってうずうずしている子たちはスマホ片手にアルバムの写真を見せてくれたり、インスタを開いて前に投稿した写真を見返し始めたりして、つまり、語るべきことを持っていない相手はスルーされる。悪気はないのは分かっているから、こちらもそれを利用させてもらっているだけ。


 作法さえ分かっていれば、ゆるやかに、コミュニティは維持される。


 ヘルシンキ空港を離陸した飛行機は順調に空を飛び、何回かの機内食の後で室内灯が消されて、窓の外には東京の夜景が広がった。そして、ママからのラインの内容を思い出す。


 ごめんなさい、英語教室の生徒さんのおうちの方から強く頼まれて、年末ぎりぎりまで勉強を見てあげることになりました。ママが空港へ迎えに行くことができないので、芽衣ちゃんにお迎えを頼みました。久しぶりに芽衣ちゃんと電話で話したけれど元気そうでした。よろしくね。

 

 芽衣ちゃん。ママの中で、わたしたちの時間は随分前に止まっているようだった。


 "悲しい時、ただ思い出すだけ。私のお気に入りの、そんな物を"


 小学校、中学校は地域の公立だったから、けれど高校まで同じところに進学したわたしたちは、今年4月の入学式に少し話をした。それからほとんど話をしていない。

 何か考えておかなくちゃいけない気がして、けれど長時間のフライトは思っている以上に疲労がたまる。していたことといえば、映画を適当に見て、本を読んで、それだけだけど。どうしよう。


 付けたままのモニタ画面、子供向けアニメ番組のペンギンがサンタの服を着てウィンクした。Merry X'mas !


 わたしの焦りを増幅するように、飛行機は急旋回して着陸態勢に入った。

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