31.後輩、ベンチと思い出話

中庭のベンチに座り、風の心地よさに八割くらい眠気に負けながらうとうとしていると、正面から声をかけられてゆっくりと瞼を開ける。


「こんにちは、翔先輩」


「陽奈じゃん、どうした?」


太陽が西に傾いて区切られた中庭に、微かに陽奈の姿に影が落ちる。


そしてまだ若干眠さが残る頭で緩慢に聞くと、陽奈はそれに答えずに隣に座った。


「眠いから寝ていいか?」


「かわいい後輩がせっかく会いに来たのに、寝るなんて酷いじゃないですか。もっと喜んでくれてもいいんですよ?」


「お前はいつも呼ばなくても勝手に出てくるだろ」


「ひどいっ! そんなこと言ってるともう会いに来てあげませんよ?」


「それは寂しいな」


「ほんとですか?」


「いや、全然」


「なんなんですかっ!」


ツッコミと同時に肩を叩かれて痛い。


「だって陽奈が会いに来なくても自分で会いに行けばいいしな」


なんて言うと、なぜか陽奈が黙って会話が途切れる。


それを不思議に思って隣に座る陽奈の方へ顔を向けようかと思って、やっぱりやめた。


「まあ会いに来るのはともかく後ろから抱きついてくるのはやめろよって話なんだが」


「それは無理ですね」


「なんでだよっ」


なんて下らない話をしばらく続けていると、陽奈が不意に囁くように俺の名前を呼ぶ。


「翔先輩」


その秘めるような、それでいて弾んでもいるような声に一瞬ドキリとしたのは秘密。


「どうした、陽奈」


「ここで会ったときのこと、覚えてますか?」


「まあ、一応な」


それは、今から二ヶ月とちょっと前のこと。




放課後に、ベンチで瞑想|(うとうとしてるだけ)をしていると声をかけられる。


「こんにちは、先輩」


「…………、誰?」


「やだなー、先輩。……、初めましてですよ?」


「ああ、びっくりした」


あんまり気安いから俺が忘れてるだけで知り合いなのかと思ったわ。


まあよく考えたら、こんな容姿の相手を忘れるはずないけど。


明るい雰囲気に、人懐っこい笑顔。


肩まで伸びるウェーブかかった茶色い髪に、大きな瞳。


あと大きな胸。


タイの色で後輩だということはわかり、きっと同学年なら男子の噂にあがってくるんだろうなと感想をいだくくらいには秀でた容姿と雰囲気。


きっと東京の街中を歩いていたらモデルにでもスカウトされるんだろうと思い、いや胸がデカいとモデルは難しいのかな、なんて一人で考えてまあどうでもいいかと思い直す。


「隣座ってもいいですか?」


「他の場所空いてるぞ」


視線を向けるといつも満席な昼休みと違って、他のベンチにも人の座っていない場所の方が多い。


「ここがいいんですよ」


新入生のわりに場所に拘りがあるのか。


というか初対面の異性の、しかも歳上によく尻込みせずによく邪魔だから退けなんて言えるなと思いつつ、わざわざ言うのもめんどくさかったので隣を空ける。


後輩はその場所に腰を下ろしてこちらを向いた。


「先輩はこんなところでなにしてるんですか?」


「見てわからないか?」


「わかりません」


「友達がいないぼっちの学生ごっこだよ」


「それ、ごっこじゃないですよね?」


よくわかったな。


「そういうお前はここでなにしにここに来たんだ?」


「お前じゃないです。軽井沢陽奈です」


「……、はここでなにやってるんだ?」


「ぼっちでかわいそうな先輩に優しくしてあげる後輩ごっこです」


「ごっこじゃねえだろ、それ」


「まあそう言えなくもなくもなくもなくもなくもないですね」


うーん、相手するのめんどくさい。


いや、普段ならこれくらいの雑談には付き合ってもいいんだけど、若干眠いし、あとこの後輩との距離感がうまくつかめなくて会話を切り上げたかった。


そもそもなんでこんなに気さくに話しかけてくるのかわからないし。


「じゃあ俺は寝るから、話しかけるなよ」


ということで、ベンチの側面から足を出して、空いてるスペースで横になれるように体を倒す。


するとベンチに後頭部がつく前に、なにか柔らかいものに当たる。


それに驚いて体を起こして、後ろを確認してもさっき頭があったはずの場所にはなにもない。


「どうしました?」


こちらを見て笑う後輩に、なんでもない、と返してもう一度、体を倒す。


目をつぶってベンチに背中をつけると、やはり頭の下に柔らかいものが当たった。


「どういうつもりだよ」


と目を開けると、真上に後輩の顔、ではなく胸が見える。


つーか、顔が見えねえ。


なんだよこの胸メロン×2かよ。


「話しかけるなって言ったのは先輩の方じゃないですか」


「そういうのいいから」


俺が横になるのに合わせて座る位置をずらして太ももに頭が乗るようにするなんて意図がわからない。


「嫌でしたか?」


「嫌っつうか、困惑する」


そして喋る度に身体を揺するのはやめろ。


目の前の巨大な物体が俺の鼻先に当たりそうになるから。


「案外チキンなんですね、先輩」


「うるせえよ」


初対面の後輩の女子にこんなことされたら誰だって困惑するわ。


……、するよね?


「こっちの方が寝やすいかなと思っただけですよ?」


あくまでとぼける後輩に、問い詰めても無駄だなと諦めて、このまま起きて帰るか、それとも無視して寝るかのどっちにするか悩んで、結局寝ることにする。


帰ったら逃げるみたいでなんかシャクだし。


「あー、もういいや。俺は寝るから足引っこ抜いて勝手に帰れよ」


「はーい」


「ったく、起こすなよ」


なんて言いつつも柔らかい膝枕は寝心地がよくて、俺はすぐに眠りに落ちた。




「ふあっ」


目を覚ますと、辺りはすっかり暗くなっていた。


なんだか久し振りに熟睡した気がする。


なんて思いつつ、霞んだ視界に映る胸と、頭の下の柔らかい感触に遅れて気付く。


そのまま胸を避けて体を起こすと、後輩がこちらを見る。


スマホを見ると六時半過ぎ。


寝る前からおそらく一時間以上の時間が経っていた。


「お前、なんでまだいるんだよ……」


「だって起こすなって先輩は言ったんじゃないですか」


「起こさなくたって放って帰ればいいだろ」


まあ枕が硬いベンチに変わったら起きるかもしれないけど、それにしたってこんな時間まで付き合うことはないだろうに。


そんな気まずさを隠すように立ち上がって後輩の方を向く。


「ほら、帰るぞ」


「それがですね、先輩」


「なんだよ」


「足が痺れて立てないです」


「お前、馬鹿かよ」


そんなになる前に足どかせよ。


なんて呆れても言えずに、ため息をついて後輩の隣に座りなおす。


それから少しだけ沈黙が流れて、後輩の顔を見ずに話しかけた。


「悪かったな」


「なにがですか?」


「俺のために帰らなかったんだろ?」


「あたしが勝手にやったことなので、気にしなくていいですよ?」


と言われても気まずさは消えない。


そんな俺の心境に気付いたのか気付かないのか、後輩がスマホを握ってこちらを見る。


「それじゃお詫びに、LINE教えてください」


「なんのお詫びだよ」


「お詫びが嫌ならお礼でもいいですよ?」


それこそなんのだよ、なんて思っても結局負い目があることに間違いはないので、結局無言でスマホを取り出した。




「あの時初めて会ったんだよな」


「本当は、もっと前に会ってるんですよ?」


「えっ、マジか?」


「もちろん嘘です」


「こいつ……」


そんなちょっと前の記憶を思い出して、俺はあの時の忌憚のない感想を陽奈にぶつける。


「あの時はなんだこのやべー奴って思ったな」


「そのわりには膝枕で熟睡してましたけど?」


「あの時は寝不足だったんだよ」


というか、あの頃は慢性的に寝不足だったのが、後輩と知り合ってから少しだけ解消されたので、本当はかなり感謝してるんだけど。


なんてことを本人に直接言う気は全くないので、黙っておく。


「先輩がどうしてもって言うなら、また膝枕してあげてもいいですよ?」


そんな提案は魅力的ではあったけど、流石にじゃあ頼んだとは言えないのでかわりに腰をあげて陽奈の方を見た。


「馬鹿言ってないで帰るぞ」


「はい、翔先輩」


そのままいつものように俺の腕に絡んでくる後輩に、いつもよりも少しだけ鼓動が高鳴ったのはきっと気のせい。

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