30.お嬢様、ラーメン屋再び

「すみません、お待たせしました」


「大丈夫、全然待ってないよ」


なんて会話をして学校の昇降口前で小海さんと合流する。


まるで恋人同士の会話みたいだな、なんてちょっと思ったけど、俺は恋人が生まれてこのかた出来たことがないので実際にこういう会話をするのかはわからない。


「それじゃあ行こうか」


「はいっ」


と並んで歩き出してたどり着いた目的地は、俺と小海さんが初めて話したラーメン屋の前。


今日は彼女のリクエストで、もう一度ラーメンを食べにここまで来ていた。


店内は相変わらず熱気に満ちていて、中に入っただけでうっすらとおでこに汗が浮かぶが、これはこれで嫌いじゃない。


店内のラーメンの薫りはそれだけで食欲を刺激するし。


テーブルに案内される前に観察すると、俺たちと同じ東高の制服を着た二人組を見つけたが、ネクタイの色が一年生のものだったので気にしないでおくことにする。


まあ同級生だとしても何があるわけでもないんだけど、もしクラスメイトだったらちょっと明日は学校休みたくかな。


「どうかなさいましたか?」


と向かいに座ってメニューを見ていた小海さんがこちらに視線を向ける。


「ううん、向かい同士じゃなくて隣に座ったらメニューが見やすいかなって思っただけ」


「それは、流石にちょっと恥ずかしいです……」


「たしかに」


流石にカウンターならともかくテーブル席で隣同士はバカップルでも早々やらないだろう。


それを想像して顔を赤くする小海さんはかわいいけど。


なんてことはもちろん本人には言わず、俺もメニューを覗く。


前回は180度反転していたメニューが今回は90度で体を傾けて二人で同じ方向から眺めているとちょっとだけ顔が近い。


「何にするか決まった?」


「はい、川上さんはいかがですか?」


「俺も大丈夫。それじゃあ店員さん呼ぶね」


俺がメニューから顔をあげて厨房の店員さんに視線を向けると、小海さんが慌てて声をあげた。


「あのっ!」


「ん??」


小海さんにしては珍しい慌てた様子を不思議に思って彼女を見る。


「呼ぶのを私にやらせてもらってもいいですか?」


「もちろん」


きっと店員さんを呼ぶのに初挑戦してみようと今日は決めていたんだろう。


答えつつ小海さんが意気込む顔が、初めてのお使いみたいだなんて思ったのは内緒。


そして小海さんが一旦深呼吸をしてから厨房へ向いて口を開く。


「あのっ」


発した声はもちろん俺には聞こえたけど、途中で店内の有線と換気扇の音にかき消されて店員さんには届かない。


「あのっ!」


再び声を張った小海さんがその勢いで立ち上がって、声量は十二分だったけれどその行動と合わせて店内の注目を集めてしまう。


それに気付いた彼女が恥ずかしそうに顔を伏せて腰を下ろしたので、先に俺が呼ばれて来た店員さんに注文を伝えた。


「醤油ラーメン大盛、味玉で」


そしてまだ顔を赤くしている小海さんに、メニューを回して提示する。


ちなみに今日は親の奢りではなく自腹なのでトッピングは常識的な量で自重。


「……、味噌ラーメン大盛と、餃子をお願いします」


とダメージから回復した小海さんが顔をあげて注文を伝える。


頼んだ量が結構多いなと思いつつも、まあ彼女なら大丈夫かなと静観しておいた。


最悪餃子なら俺が食べればいいし。


いや、残りを貰うのを期待しているわけではなくね?


なんて考えている間に店員さんが注文を復唱して厨房に戻っていき、小海さんがまだ少し恥ずかしそうに口を開く。


「失敗してしまいました」


「大丈夫、俺も似たようなことしたことあるから」


「そうなんですか?」


「うん、その時は一緒に来てた奴にめちゃくちゃ笑われたよ」


というか未だに俺も店員さん呼ぶのが苦手だ。


だから呼び出しボタン押す方式の方が好きなんだけど、個人営業の店ではあまり見かけないのでしょうがない。


「小海さんはこのお店気に入った?」


「はい、前にいただいたラーメンはとても美味しかったです」


「それはよかった」


自分のお気に入りの店が気に入ってもらえるのは嬉しいものだな、なんて常連面できるほど通ってる訳じゃないけど。




それからしばらくして、二人で好きなお菓子の話をしていると、頼んだラーメンが運ばれてきて目の前に並べられる。


立ち込める湯気とラーメンの薫りに食欲が刺激されて、早く食わせろと腹がうねる。


そして向かいの席でも小海さんもラーメンに顔を輝かせていている。


「そうだ、ちょっと使いたいから写真撮ってもいい?」


と思い付いたのは、前回来たときに写真を撮って一郎に送ろうと思っていたのをすっかり忘れていたから。


許可を貰ってラーメンを撮ると、深夜に見たら食欲を良い感じに刺激されそうな写真に出来上がっていた。


「その写真、何に使うんですか?」


「夜中になったら友達に送ってやろうかと思って」


俺の台詞がよくわからないようで、小海さんが不思議そうな顔をするので補足する。


「そいつは深夜に旨そうな画像を見ると喜ぶ奴なんだよ」


「なるほど」


感心するように小海さんの頷く。


まあ、嘘だけど。


「せっかくだから小海さんも写真撮る?」


「はい」


スマホを取り出した小海さんが自分のラーメンを撮る様子を見て、それが気になったので見せてもらう。


「今の写真見せてもらっていい?」


「どうぞ」


「もうちょっと上から角度をつけて撮った方が見映えがいいかも」


「なるほど」


なんて言うのは本題じゃなくて、一番気になったのは画面の端に、向かいの席に座ってる俺の姿が見切れていたから。


その写真自体はいいんだけど、小海さんが他の人に見せたらちょっと面倒なことになる可能性がある。


ということでもっと上から俺の写らない角度で撮ってもらって一安心。


「それじゃあ食べよっか」


小海さんに割り箸を渡してから自分の分を二つに割り、ラーメンを口に運ぶ。


半分に切られた味玉の染み込んだ味を楽しみながら、細麺をずるずると啜って醤油のスープと絡んだ麺の食感と味を堪能する。


この健康に悪そうな味がやっぱり今日も最高だった。




途中小海さんに前回のお礼ということで餃子をひとつ貰ったりしつつ、完食して店を出る。


もしかしたら今は餃子くさいかもしれないけど、同じように餃子を食べた小海さんにはきっとわからないだろうから平気かな。


家に帰ったらかなに指摘されるかもしれないけど。


そんなことを考えていると、小海さんが近くの電柱に近寄ってそこを見つめている。


「ここで初めて話したんだよね」


懐かしいというほど前のことではないけど、まさか何度も一緒に食事をするような関係になるとは思っていなかったけど。


「あのとき声をかけていただいて、とても嬉しかったです」


「そんな大袈裟な」


「大袈裟じゃないです。あの時、川上さんに声をかけていただいて本当に良かったと思っていますから」


真正面からそんなことを言われるとかなり照れくさいけど、これ以上誤魔化そうとすると小海さんに失礼なことは俺でもわかった。


「喜んでもらえたならよかった」


「はい」


「まあ俺にできることなら遠慮せずに言ってね」


なんて他の相手に言ったら大変なことになるだろうけど、小海さんならきっと大丈夫だろう。


「本当ですか?」


「できることならね」


むしろ俺にできることなんて大抵は小海さんにもできるんじゃないかと思ってしまうけど、肉体労働ならちょっとは役に立つかもしれないかな。


「でしたら……、」


前置きで一旦言葉を区切って、彼女が息を飲む。


その様子に、俺も僅かに緊張して言葉を待つと彼女の綺麗な唇が小さく開く。


「ほのか、と呼んでいただけませんか?」


真剣な表情で、そう言った彼女がこちらを見上げる。


30センチくらいの高低差で視線が合うと、彼女の瞳が不安に揺れた。


本音を言えば恥ずかしくて誤魔化してしまいたいけれど、俺の前言と彼女の様子に、それはできない。


そして俺は覚悟を決めて、口を開いた。


「ほのか、……さん」


「……」


呼んだ俺に彼女が少しだけ目を伏せる。


その顔に、もう一度口を開く。


「……、ほのか」


「はいっ、翔さん」


俺が名前を呼んだだけで生まれたその満面の笑顔に、ちょっと抗えそうになかった。


凄く恥ずかしいし違和感もあるけど、この呼び方に慣れる時もくるんだろうか。


「ところで、俺はさん付けなの?」


「嫌ですか?」


「いや、嫌じゃない」


むしろ好きだ。


相手にもよるけど、小海さんのさん付けの上品さが凄く好みで困る、困らない。


「では、翔さんとお呼びしますね」


「わかった、ほのか」


「はいっ、翔さんっ」


お互いの名前を改めて呼ぶとくすぐったいけど、それでも彼女の弾む声はとても幸せそうで嫌な気分ではなかった。




翌朝、教室にて。


いつかと同じようにホームルーム前の時間に、俺の席の前まで彼女が歩いてきて挨拶を交わす。


「おはようございます、翔さん」


「おはよう、ほのか」


ざわっ。


いや、もうそれはいいから。

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