18.お嬢様、卓球

今日はとても珍しく目覚ましが鳴る前に目が覚めて、更に珍しく二度寝せずにベッドから出て登校してきたので、学校に着いてもクラスには誰もいなかった。


そのまま自分の机で二度寝しようかと思ったが、次に入ってきた人が目撃する絵面が最悪だなと考えて、結局中庭のベンチまで退避する。


自販機で買った缶のコーラを一口飲み、脇に置く。


朝の涼しい空気が心地よくて、このまま横になって寝てしまいたいという誘惑に身を委ねようかと悩んでいると、不意に声をかけられた。


「おはようございます、川上さん」


「おはよう、小海さん」


ベンチに座った俺の正面にいつの間にか立っていたのは小海さん。


正面から視線を合わせると、お互いの視点の位置関係が逆な上に普段よりも顔の距離が近くて不思議な感じだ。


「となり座る?」


「ありがとうございます」


小海さんが少しだけ間を開けて腰かけると、なんだかこの空間がちょっとだけ上品な空気になった気がしたけどたぶん気のせい。


「今日はどうしたの?」


と聞いた俺に小海さんがちょっとだけ恥ずかしそうに笑う。


「川上さんが窓から見えたので、来ちゃいました」


えっ、なにそれかわいい。


「ご迷惑でしたか?」


黙った俺に小海さんが不安そうな顔をするので笑いかける。


「俺もちょうど、小海さんが現れないかなと思ってたところだよ」


「それならよかったです」


微笑んだ小海さんに俺の荒んだ癒される。


いや、荒んだっていうのは嘘だけど。


「いい天気ですね」


「そうだね、このまま授業をサボって遊びに行きたくなるよ」


「まだ一時間目も始まってないですよ」


小海さんがおかしそうに笑う。


たしかにこのまま帰ったらなんのために学校まで来たのかわからないけど、そういう気分だった。


「でも、遊びに行くのは楽しそうです」


「遊びといえば、この前友達と卓球やったけど結構楽しかったよ」


「いいですね。私もどこか、遊びに行きたいです」


「じゃあ一緒に行ってみる?」


なんて気軽に誘ったのが、事の始まり。




という訳で、小海さんと卓球台を挟んで向かい合っている。


場所は空と来たアミューズメント施設。


ちなみに、台まで前回空と来たときと同じ所で、なんだかちょっとだけ気まずい。


「小海さん、卓球やったことある?」


「体育の授業で何度か経験はあるんですが、あまり自信はないです」


「それじゃあまずは軽く打ってみようか」


という訳で、山なりになるようにピンポン玉を打つと、小海さんがラケットを真っ直ぐ前に差し出して玉を掬うように打ち返す。


それを何度か繰り返して、小海さんの腕前が大体わかった。


返球がこちらのコートに戻ってくるのが三割くらい。


他は空振りするか当たってもコートに入らないかで、最終的に小海さんが申し訳なさそうな顔をしていた。


「すみません。以前はもう少し、打てた記憶があったのですが……」


さて、どうしたものかと考えて、卓球台にラケットを置く。


「ちょっといい?」


「はい」


了承を取って小海さんの後ろに回り右手を重ねる。


その小さくて柔らかい感触に一瞬どきりとして、それでもなるべく意識しないようにラケットの角度を訂正していく。


「角度は地面と垂直にして、軽く掬い上げるような角度で振ってみて」


本当は垂直よりもちょっ角度をつけた方がいいんだけど、今回は割愛。


「こうですか?」


「そう、上手上手」


手を握って手首角度を固定したまま何度か素振りすると、段々様になってくる。


「ラバーの抵抗があるから、ラケットの角度が垂直でもちゃんと持ち上がるんだ」


「なるほど」


そのまま実際にピンポン玉を打ってみると、小海さんも慣れてきたようで段々動作がスムーズになっていく。


「あとは腕じゃなくて腰の回転も使って」


「わかりました」


右手はそのまま、左手を小海さんの肩に置いて、上半身の動きをサポートしていく。


腕と連動して腰を動かすと、大分動きが様になってきた。


「大丈夫そう?」


と言ったところで、いつの間にか体が密着していて、小海さんが恥ずかしそうにしているのに気付いた。


「ごめん、近すぎたね」


手を離して一歩下がると、顔を赤くした小海さんがこちらを見る。


その様子に俺も恥ずかしくなってしまって、視線を逸らすと小海さんがラケットを両手でぎゅっと握って口を開く。


「もう一度、教えてくださいますか?」


「平気?」


「はい、お願いします」


頷いた小海さんに俺も覚悟を決めて、再び後ろから手を重ねる。


なるべく意識しないようにと努めてみても、やっぱりこの密着した姿勢と至近距離の小海さんの存在は刺激が強くて、おそらく俺も今の小海さんとの同じように顔を赤くしていた。




小海さんにフォームの指導を終えて、パコンパコンという音と共に打ち合うと、それが段々楽しくなってくる。


向かいを見ると小海さんも上手くラリーが続くのが楽しい様子で、頬にうっすらと浮かぶ汗が健康的に輝いている。


「もっと強くも大丈夫ですよ」


「それじゃあ」


といっても強く打って小海さんぶつけでもしたらいろんなところから怒られそうなので、かわりに横回転をかけて軽く打ち返す。


「わっ、わわっ」


曲がる玉に慌てる小海さんがなんとか打ち返したものを、今度はさらに逆の横回転をつけて打ち返した。


先程とは逆の方向に曲がる玉に焦る小海さんがそれでもなんとか打ち返した玉を、最後にバックスピンを強くかけてネットの近くに落とす。


「んっ」


バウンドした玉が回転で垂直に跳ね、身長の低い彼女が限界まで卓球台へ身を乗り出すと、その身長に似つかわしくない胸が体と台に挟まれてむにゅっとつぶれる。


その拍子に、歪んだシャツのボタンの隙間から肌色がチラリと見えた。


結局玉には手が届かず、小海さんが口を尖らせる。


「川上さんはいじわるです……」


突然の回転をかけた打ち方に頬を膨らませる小海さんが、視線を逸らした俺の様子に気付く。


「どうかなさいましたか?」


「いや、なんでもないよ」


平静を装いつつも、その胸と覗いた肌色がちょっと刺激的すぎた。


それを誤魔化して小海さんも台から体を離し、また普通にラリーを始めると、フォアハンドで打ち合ってた玉が少し右にずれる。


小海さんが正面に飛んできた玉に反応できずに体を後ろに反らせてあたふたすると、その玉が胸元に吸い込まれていってぽとりと上に乗った。


ちょうど谷間の位置に乗ってそのまま静止するという超常現象に、俺の思考がオーバーヒートした。


頭を抱えてしゃがみ込む俺に、小海さんが心配して声をかけてくれる。


「だ、大丈夫ですか?」


心配してくれるのはいいんだけど、視線を上げるとまだ胸の谷間に玉が乗ったままだった。




それから、少しだけ休憩させてもらってラリーを再開する。


「楽しいですねっ!」


「そうだね!」


なんて言いながら、すっかりフォームにも慣れた小海さんが勢いよく玉を弾いてくる。


本当に打つのが上手になって楽しそうにする小海さんはとても魅力的なんだけど、上半身を大きく使った綺麗なフォームになるに比例して、大きく揺れる胸に視線がいってしまうことに若干の罪悪感があった。


この人は、もうちょっと自分の容姿に自覚的になった方がいいと思う。


なんて屈託のない笑顔を見ながら考えつつ自己嫌悪していると、彼女がパコンと打った拍子に短く声をあげる。


「きゃっ」


そのまま小海さんが強ばった表情のまま動きを止めて、ピンポン玉がぽーんぽーんとそのまま床を跳ねていく。


「大丈夫?」


「はい、大丈夫です……」


言いつつ胸を抱いてしゃがみこむ小海さんはどう見ても平気そうではないが、原因がわからないとどうしていいかもわからない。


そのまま台を回って近寄ると、小海さんが背中に手を当て何かを確認して、困った表情でこちらを見上げた。


「すみません、背中のホックが、壊れてしまって……」


あー……、あーーー……。


流石にそれは俺にはどうすることもできないが、さりとて放っておくこともできない。


なので必死に頭を回転させて思い付いた答えがひとつ。


「新しいの、買いに行く?」


なんて俺の正気じゃない提案に、小海さんが恥ずかしそうに、それでも小さく頷いた。

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