第22話

2台の車に分乗して出発した賢人会のメンバー。目指すは少し離れた県にある大型スパリゾートだ。色々な温泉やプールが数多くあり、子供から大人まで楽しめる人気の温泉テーマパーク。みんなではしゃいで泳ぐのもよし。まったり温泉に浸かり、身体を癒すのもよし。サウナで汗をかいて心身共に整えるのもよし。皆で徹底的にサークル合宿を満喫するのだ。


天音の運転する車に乗車しているのは凛を含め、菫、奏鳳、出雲というメンバーだ。いつも騒がしいメンツは、向こうの車にいるのでこちらは至って穏やかだ。真姫奈の運転する車はさぞ賑やかなことだろう。良識のある人は真姫奈ただ一人。その真姫奈が運転手というポジションなので収拾がつくかも怪しい。ブレーキ役がいないのだ。幼稚園バスと化し、渾沌とした時間が流れるのではないだろうか。優亜と時雨あたりがお猿さんと化し、チェルシーが煽り散らかして真姫奈がストレスを抱え、ブチ切れる流れだ。凛は窓の外をぼんやりと眺めながら真姫奈に心の中で手を合わせた。


凛にとってはこちらとて100%穏やかな気持ちではいられない。周りを囲むのは皆、女の子。良識派で落ち着いている人たちが揃ってはいるが、凛以外は女子なのだ。ぼんやりと外を眺め、向こう車内に思考を割くのは自身の置かれている状況を直視しないためだ。いわゆる一種の逃避である。横を向けばみずみずしい整った顔が並び、車内には女の子たち特有の甘くていい香りで溢れている。


落ち着いているとはいえ、そこは女子。女三人集まれば何とやらだ。泉の如く湧き出る話題。出発して間もなく始まったガールズトークをBGMに凛は平静を装い、天音の運転するミニバンに揺られていた。


「奏鳳ちゃんたちは水着買ったの?」


凛が頼んで、奏鳳とチェルシーには時雨と買い出しに行ってもらったので、他の皆が水着を買いに行っていたときは別行動だった。菫も2人がどんな水着を着るのか知らないのだ。


「私は持ってる水着でいいかなって思ってたんですが、チェルシーがうるさかったので」


「去年の水着とか?」


「そうですね。去年というか高校のときに買ったやつです」


「ってことは、海外にいたときってことかぁ。外国のビーチとか憧れるなぁ」


青い海、白い砂浜。と、まだ見ぬ世界へ想像を膨らませる菫。奏鳳やチェルシーの暮らしていたイギリスは日本と同じ島国だ。全方位360度を海に囲まれているのだから海には事欠かない。ロンドンからならドーバー海峡に面した海辺のポーツマスやブライトンあたりはアクセスがしやすい。ロンドンの東、テムズ川の河口にもビーチがある。奏鳳やチェルシーもきっとイングランドのビーチでバカンスを楽しんだことだろう。長期休暇ともなれば英仏海峡トンネルを大陸側にも比較的簡単に行くこともできる。英仏海峡トンネルを抜ければカレーの街へと繋がる。北東に進めばダンケルク、その先にはブルージュ、そしてオランダとの国境が見えてくる。ダンケルクは第二次世界大戦中の有名な撤退作戦であるダイナモ作戦の舞台だ。ちなみにカレーから海岸線沿いに下ればノルマンディー上陸作戦の舞台となった地域がみえてくる。地中海に目を向ければさらに夢が広がる。


「いいなぁ。海外生活とか憧れるよね」


「わかるー。ヨーロッパとかいいよね。優雅で、気品がある感じ」


菫の言葉に日本人にありがちなヨーロッパ中心史観を口にして賛同する天音。西欧の美しい街並みや風景への憧憬は凛にも理解できる。そもそも日本という国は近代化において、ヨーロッパと並ぶことを目指してきた。目標としてきた西欧諸国に追いついた今でも、その憧れが精神に染みついているのだ。それに日本とは決定的に違う物語に出てくるような景色に虜になるのは最早仕方がないことだ。


「私はイングランドと日本、どちらも好きですよ」


「隣の芝生は青い。じゃないけど、日本にはない魅力があるよね。やっぱり」


それには頷かざる負えない。


「菫先輩と天音先輩は留学とか考えてないんですか?」


じっと3人の話を聞いていた出雲が2年生コンビに質問すると、奏鳳もその話題に興味を示した。菫と天音の目と目が合う。天音は運転中なので横目で菫をチラ見するかたちだが。後輩たちの疑問に答えるべく菫が手を挙げた。


「確かに留学に興味がないわけじゃないけどね。天音ちゃんとも話したことあるけど。私は社会学部だから、あんまり考えてないかなー。でもやりたいって心から思えたときのために語学の授業は頑張ってるよ」


菫が割と語学に力を入れているのは知っていた。授業の履修登録のときに色々とアドバイスをくれたのだ。そのとき、複数の言語の授業を取っていると言っていたのだ。必須科目の英語の他にフランス語とドイツ語を履修していたと記憶している。


「私も教育だから、実習もあるから留学は考えてないかな」


確かに天音は教職課程があるからその分、履修科目も多い。留学する場合は4年間では時間が足りず、単位交換が認められればもう少し違うかもしれないが、私費留学なら休学もしくは留年を覚悟しなければならない。学びたいことや将来によって選択は色々だ。


「そうなんですね。学部によって結構違うんですね。うちは英文学科なので、留学を考えてる子が結構多いんですよね。私も高校のとき、オーストラリアに短期留学したりしてたんで」


「へぇー、そうなんだ!みんなスゴイね」


国際色豊かな面々に菫は心底感心した様子だった。

帰国子女の奏鳳、海外出身のチェルシー、留学経験を持つ出雲。確かに賢人会の今年の1年は、海外経験豊富だ。凛も話を聞きながら感心していた。


「凛君、良かったね。幼なじみの菫先輩とあと3年は一緒に居られるよ」


隣に座る出雲に肘で脇腹を小突かれ、そんなことを言われたものだから反応に困る。


「そこで俺に振る!?」


聞くだけで今まで会話に参加していなかった凛に視線が急に集まり、どうにも居心地が悪い。悪戯っぽく微笑む出雲。

そんな凛の反応に車内は笑いに包まれた。


◇◇◇


凛が出雲に弄られている頃。


「まきちゃん、音楽かけてもいい?」


「どうぞ」


運転する真姫奈に許可を取り、優亜は自分のスマホをバッグから取り出してカーステレオにBluetooth接続する。


「旅といったらコレだよねー」


優亜が再生をタップすると流れ始めたのは、

ドヴォルザークの交響曲第九番『新世界より』だった。


「まさかのクラシック」


これにはたまらず時雨がツッコミを入れた。

想像していたのはJ-popや洋楽だったからだ。


「えー、旅行に向かうわたしたちにピッタリじゃん」


「いや、高尚なボケ!『新世界より』はそういう曲だけれども」


ドヴォルザークのこの曲は新大陸へと旅立ったときの思いから生まれた曲だ。優亜の言う通り、サークル合宿という名の旅行に出かける今の状況に聞く曲としてはあながち間違ってはいない。いないが、違うのだ。曲の意味とかではなく、ノリが違うのだ。これを分かってやっているのか、素でやっているのか判断に困るが、それにしても斜め上過ぎる。


「よく知ってるね。加藤君、意外と博識ね」


「ありがとうございます……」


真姫奈に褒められたことで曲のことなど既にどうでも良くなっていた。本気で照れながら、小さな声で礼を言う時雨。

真姫奈はこれまでの付き合いから。チェルシーは性格上、これくらいのことには動じない。車は走る。曲に乗せて。


思っていた反応とは違い、つまらないと駄々をこねる優亜。この態度から察するに入念な計画のうちだったようだ。時雨も真姫奈もやれやれと呆れ顔。


「大丈夫、優亜さんもクラシックに詳しいのエラいです!」


「……」


優亜が不機嫌になった理由をどうやら褒めて貰えなかったからだと解釈したチェルシーが後ろからその頭を優しく撫で始めたものだから、さすがの優亜も借りてきた猫のように大人しくなる。子供のようにチェルシーにあやされているのが恥ずかしいのか、その顔はほのかに赤く色づいていた。天衣無縫たるチェルシーのシンプルな優しさには優亜も白旗を上げざるおえなかった。


凛の予想とは少し違ったが、真姫奈車は騒がしい。

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