第5話

「あーきーたーせんせー! 金曜あの後大丈夫でした?」

「げ、夏木」

「せっかく人が心配してやったのに!」

 月曜日。5時過ぎの教務室前。

「ちゃんと帰れてたよ。記憶は無いけど」

「べろべろでしたもんねぇ」

 夏木はやれやれと茶色い頭を振る。

「俺、そんなに酷かった? 大丈夫だった?」

 夏木は恥じらうように白衣の袖を口元に当てた。

 ──コイツに限って手出してないよな?ないよな?

「1人で帰らせるのが不安だったからタクシー呼んだの。終電逃しちゃったのもあるし」

 ──大丈夫だよな、俺? 何もしてないよな?

「そしたら秋田、車内なのに──」

 20センチ下から上目遣い。心臓がドキリと跳ね上がる。

「ごめんなさい!」

「全部思い出した?」

「申し訳ありません!」

 覚えていないけど何かまずいことをした事は確かだろう。反射的に謝った。

 頭を下げる俺の耳元で夏木は吐息をかけるように囁いた。

「人間誰でも失敗はあるわ。──1度くらいレディに向かって吐いても私なら許すから」

「ゲロったのか!?」

 横目で彼女の顔を覗くと、冷ややかな侮蔑のこもった目をしていらした。

「ソノセツハタイヘンモウシワケゴザイマセンデシタ」

「まぁ、私が酔わせたのもわるいんだけどさ」

 お、酒の席を悪びれるなんて珍しい。

「青年、前を向いて生きよう。お姉さんならどんな辛い過去でも受け入れてやるから! キリッ」

 コイツ、自分の口から「キリッ」て言いやがった。

「なんかいろいろほんとにごめん」

「そんなに苦しいんだったら私にすればいいのにって思いました、まる」

「話の主語は何?」

 夏木は盛大にため息をついた。

「だから秋田は結婚出来ないんだよ……」

「言うてお前も独身じゃん」

「うるせぇ♡ しばくぞコラ♡」

 猫なで声でも内容は可愛くないぞ!?


 夏木と話すことはあったが、あの日以来春川さんと話す取っ掛りは無かった。声を掛けても「3組に用事があって」だとか「今忙しくて」とやんわり断られる。避けられてるのだろうか。だから教室で顔を合わせても会話に至ることは無く、いつも通りに授業をしてそのまま終わり。金曜日はだいたい放課後に教務室へ寄ってくれるのに、今週はそれすらも無かった。

 ──先生には全部話したいから。

 あの言葉は何だったのだろうか。お姉ちゃんの月命日、まゆの月命日は明日の日曜日。

 ──春川さん、明日は本当に来るの?

 喉の奥まで出かかっていた言葉をセーラー服の後ろ姿に届けるまもなく飲み込んだ。

「先生さよーなら!」

 お昼前の教室の外で彼女は手を振った。満面の笑みで。桜色の唇から白い歯を覗かせて。

「さようなら。気を付けて帰れよ」

 春川さんとその他数人の生徒を見送る。

 無人の教室で自然と頬が火照った。

 こんな時でもまゆの面影に重ねてしまうなんて。

 彼女はまゆの妹であってまゆではない。俺と春川さんは教師と生徒以外の関係ではないんだ。

「いい大人のくせに……だよなぁ」

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