第4話 リリー

 空腹で、今にも気絶しそうだった。


 あの青白い光を見て以降、あの少女はいつの間にかあの洞窟から姿を消してしまった。思い出すのは、あの光が洞窟内を懐かしむようになった彷徨っていたことと、あの洞窟を秘密基地と懐かしんでいた少女の姿だった。


『運命? 死ぬ運命だって言うのか?』


 そして、僕のこの問いに頷く少女の背中も、脳裏に焼きついて離れない。


「まさか、本当なのか?」


 もし、少女の言っていた運命が本当だったならば。

 もし、少女があの青白い光で、あの光が消えたことが少女の死を意味しているとしたら。


 答えを導きかけた思考を、僕は首を横に振って制した。


「そんなことあるはずがない」


 自分に言い聞かせるように、僕は呟いた。


「きっと、あの光の発光の間にこっそり洞窟を抜け出して、自分だけこの森を抜けたんだ」


 そうなんだ。何度も何度も、僕はそうだと言い聞かせた。


 だって、考えられない。


 人が光となって、死ぬだなんて。


「ありえない」


 ありえない。

 そう口にして、僕は今の自分の立場を思い出した。前日までは確かに、僕はあの街にいた。なのに、気付いたらまったく見知らぬ森の中。本当に、一切見覚えのない森だ。僕が夢遊病を患っていて、ここに来てしまったとかそういうわけでも決してない。


 これは一体、どういうことなのだろう。

 まさか、ここは異世界なのではないのだろうか。

 

 そんな疑念がよぎる。


「でももしそうなら」


 もしそうなら、この世界で自分にとってありえない奇病が蔓延していても、なんら不思議でない。

 

 そう、奇病だ。


 彼女も言っていた。親しい間柄、そして自分が死ぬのは運命だと。病死だと。


 この世界では、人を光に変えて死に至らしめる疫病が流行っているとでも言うのか?


 僕はあの時洞窟で、あの青白い光を『綺麗だ』と思った。見惚れて、思わず呟くほどに。もしそれが人の命の灯火なのだとしたら。そう思うと、背筋が凍った。


 気分が沈んだ。しかし、その気も削げるほど、大きな音が腹からなった。


「くそう。腹が減った」


 前夜の記憶が曖昧だが、少なくとも今朝から何も食べていない。憂うよりもまずは、腹ごしらえがしたい気分だ。


 森もすっかり、闇が広がっていた。月夜を頼りに、命を紡ぐために足を勧めた。頼りの少女が消えた以上、自力でこの森を出るしかない。


 しかし、あの洞窟を出て以降、ずっと森の中を歩いているのに、一向に出口を見つけられない。


 ふと、空腹に気をとられて、足元で伸びていた木の幹に足をとられる。そのまま顔面から地面に顔をぶつける。


「いてえ」


 鼻がひん曲がりそうなほどの痛みが走る。鼻を抑えながら、仰向けになって、空を見た。


 自分が住んでいる街では見たことがないような夜空が広がっていた。田舎でだって、こんな綺麗な星達を拝んだことはない。


「すげえ」


 思わず口から漏れる。

 絶景に感動していると、長時間の散策からの疲れで、強い睡魔に襲われてしまった。


「寝ちゃ、駄目だ」


 こんな深い森。人肉を狙ったハイエナがどこにいてもおかしくない。眠っている内に、自らの内臓が食い荒らされていたらたまったもんじゃない。


 しかし、僕は結局眠りについてしまった。

 この時ばかりは、誰にも。何にも会わないでくれ、と神頼みをしていた。


 しかし、僕の思い通りに事が運ばないのは、今に始まったことではなかった。

 手前の草葉が、静かに揺れた音を子守唄代わりにして、僕は深い夢の旅へ向かった。


**********************************************


 小鳥のさえずりが遠くから聞こえた。


 瞼が異様に重く感じた。体もけだるい。起きたくないとすら思った。


「仕事、行かなきゃな」


 僕は呟いた。本当に嫌なことからは逃げられないことを知っている。逃げたほうが、後々更に辛くなるからだ。


 けだるい体を固いベッドから起こして、瞼を開けた。


「……ん?」


 知らない部屋だった。部屋の端から端まで、何度も見回しても、知らない、見覚えのない部屋だった。


 混乱していると、左手を誰かに握られていることに気がついた。


 赤い長髪の少女だった。少女が、僕の左手を強く握り、椅子に座りながら眠っていた。


 余計混乱した僕は、とにかく怪しい挙動を繰り返した。額の脂汗を拭っては、握られた左手の汗を拭おうと、彼女の手を必死に振り払った。


 そんなことをしていたからか、赤髪の少女は目を覚ました。

 体を重そうにし、瞼を擦って、僕と視線がかち合った。


 少女は、両目に涙を蓄えた。口をワナワナと震わせて、気付けば僕に抱きついていた。


「オリバー!」


 少女に奇行に顔を赤く染めるのもつかの間、その名を聞いて、森での亜麻色の髪の少女との一件を僕は思い出していた。

 

「もう、二度と会えないと思ってた」


 辟易とした気分だった。二度も同じ人と間違われるとは。本当に、相当似ているのだろう。


「あ、あのさ……」


「何?」


 真実を言おうとして、僕は口を噤んだ。亜麻色の少女との一件が、自分にとってメリットに働かなかったことを思い出したのだ。僕はオリバーではないことを誇示した結果、彼女の自棄を止めるどころか、自身も遭難寸前まで追い込まれた。


 もしここで、自分がオリバーではないと告げたら、さてどうなる?


 ここがもし彼女の家ならば、僕はここを追い出されるだろう。森で遭難中、気付いたが、僕は恐らく異世界へ来てしまっている。


 当てのないこの街で一人でいることは、それこそ森での遭難状態と大差ないのではないか?


「どうしたの? オリバー」


 少女の心配そうな声に、僕はびくついた。選択は迫られている。


「……君は、誰だい?」


「え?」


 少女の顔が、固まる。


「僕は、誰なんだ? ここはどこなんだ?」


 そういうと、少女の瞳から再び涙が溢れた。反面、僕は心底胸を撫で下ろしていた。

 

 僕は、自分がオリバーであることは名乗らなかった。オリバーと名乗るには、僕はこの世界のことを知らなすぎる。きっと、すぐにボロが出る。

 

 だから僕は、自らが記憶喪失であると装った。記憶喪失であればこの世界のことを知らないことを偽りやすくなるし、少女の良心を利用しやすい。


 ここを追い出されることも当面は凌げるのではないか。


 ただ、胸にチクリとした痛みが走る。少女にしてみれば、まったく見知らぬ人を友人と勘違いし援助するのだ。良心が痛まないはずがない。


 一通り泣いた少女は、僕の顔が暗くなっていることに気付いたらしい。それは少女を騙したことが理由なのだが、彼女はもしかしたら、記憶喪失であるオリバーを不安にさせてしまったと思ったのだろうか。

 

 目は腫れたままだったが、まるで向日葵のような晴やかな笑顔で、少女は僕に微笑んだ。


「あたしは、リリー」


 リリー。

 ああ。

 あの時、亜麻色の髪の少女が言っていた、リリーか。


「オリバー。あなたの名前よ」


 違う。ただ、もう何も言えない。


「あたし達、恋人だったんだ。あなたが消えるあの日まで」


「え?」


『リリーはまだ、いるからね』


 亜麻色の髪の少女の意味深な台詞の意味を理解して、僕はまた辟易とした気分になった。

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