第13話 暴走する十八歳設定


「お兄ちゃーん」


 その声にハッとし目が覚める。

 時計の針は七時を回っていた。

 夢だと思いたい気持ちが、俺を夢の中へと旅立たせてしまったらしい。


 つまりはやらかした。二度寝だ……。


 本来なら焦って起き出す場面。

 だが、それ以上に違和感があった。……今、カリンの声がしたような?


「…………」


 部屋を見渡すもカリンの姿はなし。


 当然だった。学校に行かないカリンがこんな朝早くに起きて来るわけがないんだ。


「……はぁ」


 ほんの少し、何かを期待してしまった。

 雫ちゃんとの通話が堪えているのかもしれない。モーニングコール、か。


 カリンと顔を合わせることのない朝には慣れてきたはずなのに、やっぱりちょっと寂しい。


 こうやって寝坊した日はカリンが起こしに来たりしたもんだ。俺の上に跨ってジャンプしたり、それはもう騒がしい寝覚めで……。


 本当、静かになったよなぁ。


 ……いかんいかん。しんみりしてる時間はない。

 カリンのご飯だけは作り置きしないと。朝と昼の二食分。

 たとえ学校に遅刻することになったとしても、これだけは譲れない。最優先事項だ!


「よしっ」と頬を二度パンッパンッ。

 気合を入れ勢いよくベッドから立ち上がると、俺の部屋のドアが開いた──。


「あ、起きたんだね。おはよ」


「…………え?」


 カリンが俺の部屋に入ってき……た‼︎


「か、カリン‼︎」

「うん」


「カリン‼︎」

「あ、うん。わたしだけど。なに?」

 

 思わず二度呼んでしまった。

 寝坊した俺を心配して起こしに来た。違う! 問題はそこじゃない!


 学校に行かないはずのカリンが起きているわけがないんだ。俺が寝坊したことに気付いたことにこそ答えがある。


 これってもう、つまりはそういうことだろう!


 かぁぁぁーッ!

 こんな日に限って寝坊かますとか俺、どんだけ間が悪いんだよ‼︎

 

「学校だな! よぉし待ってろ、すぐ朝飯作るからな! 大丈夫。まだ間に合う! カリンの久々の登校だ! 兄ちゃんな、腕によりをかけてチョッ早でオムライス作るからな‼︎」


「いやいや。何言ってるの? 学校に行くのはお兄ちゃんでしょ。寝惚けるのも大概にしてくれないかな?」


 そう言うとカリンは俺の部屋のカーテンをバサっと開けた。


 ……う、わぁ。……ま、眩しい。


 差し込む朝日とともに厳しい現実をお知らせする。……学校に行くのは俺だけ、と。


 そんな、落ち込む様子に気付いたのかカリンは儚げに困り顔をして見せた。……その瞬間、やってしまったと思った。


 学校に行くと勘違いして喜んで、違うとわかったら残念がる。


 まったく。なにしてんだよ俺は……。


 変にプレッシャーを感じて、無理して学校に行くとか言い出したらどうする。


 雫ちゃんと陽菜ちゃんに会ったことで、学校に行ってもらいたいという気持ちが強くなっているのかもしれない。


 ──そんな独りよがりはあってはならない。大切な妹。家族だからこそ絶対にしてはいけないんだ。


 大切なのは、カリンの気持ちなのだから。


「騒がしくしてごめんな。カリンの言う通り少し寝惚けてるのかもしれん。……学校なんて行かなくていいからな。無理して行く必要なんてこれっぽっちもないんだからな!」


「うん。わかってるから大丈夫だよ。行くつもりないから安心して」


「お、おう。それは良かった。安心だ」


 とりあえず今はこれでいい。

 学校に行けと言うだけなら誰にでもできるのだから。


 でもだとすると、どうしてカリンはこんなにも早起きして俺の部屋に来たのだろう。


 普段なら寝ているはずなのに。


 そんなことを思っているとカリンが急かすように、さらに声を掛けてきた。

 

「とりあえず顔洗って着替えて来なよ。このままじゃ学校遅刻しちゃうよ?」


「……そうだ、な」


 その言葉を聞いてますますわからなくなった。


 起こしに来てくれた事が確定したからだ。


 そうなると……俺が寝坊したことに気付けるってこと。……たまたまなのだろうか。


 そんな偶然、あるのだろうか。


 ……ない。


 朝っていうのは眠りへの誘惑が無限大だ。

 確かな意思を持って目覚めなければ、あっという間に二度寝ワールドへご招待。スヤァスヤァは必然。


 ……そう。今日の俺のように。


 それに何より朝だっていうのに、ちっとも眠そうな顔をしていないんだ。元気そのもの。眠たさなんて微塵も感じさせない普段のカリン。


 偶然にしてたまたま目が覚めちゃった系の顔つきじゃない。


 そうなると……。にわかに信じられない。

 部屋から出てこないだけで、カリンは毎朝早起きをしていた……?


 だからこそ、俺の寝坊に気付けた……?


 毎朝、窓から俺の背中を眺めて、“行ってらっしゃいお兄ちゃん。今日も一日がんばってね”って手を振ってくれていた……? (※妄想)


 そうだよ。それ以外になにがある。

 俺は毎朝、カリンに見送られていた……!


 あの日も、あの日も、あの日さえも! (※回想)


 学校には行かないけど、毎朝普段通りに起きる。……戦っているんだ。いつの日かまた、学校に行く日を想定して。


 そうとわかれば俺が取るべき行動はひとつ。

 格好良い“兄の背中”ってやつを見せ続けること。


 遅刻なんてしてる場合じゃ、ない!


 ◇◇◇


 サッサと顔を洗い制服に着替えリビングのドアを開けるとチキンライスの風味が漂ってきた。


 匂いの先へ視線を向けると、俺は驚愕した。


「カ、リ……ン?」


「早かったね。もうちょっと待ってて。時間もないしベーコンエッグで良いかな〜とか思ってたんだけど、さっきお兄ちゃんがオムライスって言ってたから。急遽予定変更〜」


「なるほど、な?」


 待て待て。

 ゆで卵さえも満足に作れないカリンがオムライス⁈


 不可能だ。失敗して泣くのは目に見えている。


 俺はまた、カリンに無理をさせてしまったのか。どうしてこうも毎回気付けないんだ…………。


 クッ。気付けないことばかりじゃないか!


 でも今回は大丈夫。

 今ならまだ、間に合う!

 

 お兄ちゃんとクックしようぜカリン!


 …………そう、思っていたのだけど。


「!!」


 見事なフライパン捌き。手慣れた包丁使い。

 さらに卵を片手で割った。


 その手際の良さは一朝一夕で身につくレベルをゆうに超えていた。


 しかし、それだけに止どまらずゴミの分別も済ませてあり、あとは持っていくだけになっていた。


 さらに庭に目をやると洗濯物も干してある。


 それは同時に、俺を起こしに来るよりずっと前に起きていた事をも意味した。


 全てが衝撃的だった。

 洗濯機の回し方も今日が燃えないゴミの日だってことも、オムライスの作り方も……なにひとつ教えていない。


 いつの間に、覚えたんだ……。


 カリンの成長が嬉しいはずなのに、切なくなるのはどうしてだろうか……。


 あっという間に朝食は完成。

 オムライスだけではなくサラダもダイニングテーブルに並べられた。


 さらに牛乳。朝食としては申し分ない見ため。


 ゴクリ。食べてみるまでは、わからない!


 手にしたスプーンでオムライスをおそるおそる口に運んだ。


 ……パクッ!


「め、めっちゃ美味い! 卵が口の中でとろけた! ち、ち、チキンライスが舌を転がって踊りだしたぞ!」


 自分でもちょっとなにを言い出してるのかわからない。それでも声を大にせずにはいられなかった……!


「もう。意味わかんないよ。ほんと大袈裟なんだから。……お兄ちゃんが作ってくれるご飯のほうが美味しいから」


「いやいや、三つ星レストランも仰天の美味しさだ! 俺の料理なんて足元にも及ばない!」


「……バカ」


 カリンは少し照れくさそうだった。


 妹の成長が嬉しいはずなのに、目がうるうるしてしまうのはなぜだろう。


 レベル1からいきなりレベル100になってしまったような急成長。兄としてはもっとゆっくり、隣で、側に寄り添って、その成長を見ていたかった。


 ……そう、思うのはわがままだろうか。


 でも。えらいぞカリン!

 よく頑張った! 影でたくさん努力したんだよな! ……えらい。えらいぞ……カリン。


 必死に涙を堪えながら笑顔でオムライスを口へと頬張った。


 ……うん。まじで美味過ぎる!


 ◇

 そんなことを思いながらもあっという間に完食。……美味しいは正義!


 時刻を見るとまだ七時半だった。


 一時間以上も寝坊したはずなのに普段よりも時間に余裕がある。


 時間までをもカリンは考えて行動しているのだろうか。ただただ、カリンの成長に驚かされる。


 そして驚きはそれだけに留まらない。

 なんと、食後のコーヒーまで出てくる完璧さ。

 コーヒーの淹れ方なんていつどこで覚えたんだろうか。


 普段、口にするように当たり前にコーヒーカップを口へと運ぶと、驚愕した。


「……うまい。一流バリスタとも渡り合えるぞ!」


「だからもう、大袈裟だってば」


 大袈裟なんてことはない。カリン補正こそあれど、本当にうまい。こんなのたまたまで淹れららる次元を超えている。


 本当、いつの間に……。


「あっ、そうだ。ひとつ謝っておくことがあるんだ」

「おう、なんでもどんとこい!」


 その言葉を聞いてなぜか安心した。

 食器でも割ったのかな。と思ったからだ。


 ここまであまりにも完璧過ぎた。ミスのひとつやふたつ、あって然り!


 何枚でも割っていいぞ!


 ……なんて思っていたのだけど、……またしても驚かされることになる。


「うん。あのね、お弁当までは手が回らなかった。一応おにぎりは二つ作っておいたけど。いらなかったら持ってかなくていいから」


 予想を軽々と超えていく。

 謝るってそういうこと⁈

 

「持ってくに決まってるだろ! 世界一美味いおにぎりだからな!」


「いちいち大袈裟なんだから。反応に困るよ……」


 そう言うカリンの顔は少し照れくさそうで可愛げに満ち溢れていた。


 言ってもまだ九歳。

 驚きの連続だけど、どうしたってまだ九歳なんだ!


 ◇◇

 なんとも幸せな朝のひととき。

 学校前にこうやって過ごすのは夏休みを挟んでいることもあり、実に二ヶ月ぶりだった。


 この一ヶ月、神話系の書物を読み漁ってるだけではなかったんだ。俺の知らないところで料理や家事の勉強もしていた。


 自らが掲げた十八歳設定の証明なのだろう。

 厨二病がカリンを大人に、立派に成長させる。


 子育てに悩む全国の親御さんに胸を張ってオススメできちゃうかもしれないな。厨二病いいっスよって!


 あははっ。なんてな!


 幸せな、幸せな朝のひととき。

 俺の心はまさしく有頂天だった。幸せの絶頂と言っても過言ではない。


 しかし、それらを壊すかのようにスマホの通知音が鳴った。


 ──ピコンッ。


 その音は幸せにヒビを入れるかのように、俺の鼓動をドクンッと大きく唸らせた。

 


「こんな朝早くに珍しいね」


 そう言うとカリンは椅子からピョコンと降り、隣にやってきた。

 そしてスマホ画面を覗き込むと険しい表情に変わった。


 ……まずいことになった。

 メッセージの差出人は雫ちゃん。


 お知らせ通知に思いっきり名前が出てしまっている。


 ID交換した事も、昨晩連絡を取った事も、今朝通話をした事も何一つ言っていない。


 これじゃまるで、隠れて連絡を取っているようじゃないか。


 なんてことない。焦る必要なんてない! と、思いたいのだが……そうもいかない。


 メッセージ画面を開けばハートマークが露見する。


 この間の音霧さんからメッセージ。

 たったひとつのハートマークだと言うのにひどく怒ってたからな……。


 ……大変なことになった。


 でも相手は雫ちゃんだ。カリンのお友達。事の経緯を話せば…………。


 いや、友情に亀裂が生じるかも⁈


 やっべー。どどど、どうする……。


「メッセージみないの?」


 通知ボタンをワンタップするだけ。簡単な作業。それをしない俺。カリンはしびれを切らしたように問いかけてきた。


 声のトーンがマジだった。

 カリンは既に怒っている。


「この通知画面に出てる『雫ちゃん』っての、女の名前だよね?」


 もう、全てが手遅れだった。

 下手に隠そうとすると逆に怪しさ満点。それこそ取り返しのつかないことになる。


 大丈夫。大丈夫。……大丈夫。


 何も大丈夫じゃない。もう、ここまで来たらなるようになるしかない。


 俺は、覚悟を決めた。


「お、おう。なんていうか、その……カリンの友達の雫ちゃん、な。昨日会ったって言ったろ」


「ふぅん。……って、え? 雫ってあの雫?」


 あれ。険しい表情から一変。和らいだ優しいものになった⁈


「おう。そうだぞ!」

「へえ、お兄ちゃんやるじゃん。それで、どんな連絡取ってるの? 早く見せてよ」


 ゴクリ。

 肝心なのはこの先だろ。


 は、は、は……ハートマーク!


 でもここまでくれば大丈夫。

 ハートマークこそあれど内容は割と普通だ。

 

 《学校行く前におにいちゃんの声聞きたいな♡ どうしても声聞きたくて急いで準備しちゃった♡ ちょっとだけ、だめ?♡》


 やばい。深い意味はないはずなんだ。

 なのになんだよ……この意味深な感じ……。


 終わった。……そう、思っていたのだけど。

 

「わぁ! 可愛いなぁ。ハートマークじゃん。ひょっとしてこの子、お兄ちゃんのこと好きなんじゃないの?」


「ど、どうだろうね。言っても小学生三年生。九歳だから……」


「それもそっか。まぁ、今度連れてきなよ。子供って無垢で可愛いよね〜」


 スマホ画面を覗きながら優しく微笑んでいた。


 ……俺は言葉を失った。

 笑って誤魔化すことしかできなかった。


「あははぁ。そうだな」


 ◇

 事は思ったよりも遥かに深刻なのかもしれない。


 カリンの十八歳設定はとんでもないところまで進行していた。……ひょっとして、自分が九歳だと言うことを忘れてしまったのだろうか。


 カリンの言葉と表情からはそう思えるだけの雰囲気さえも、漂っていた……。

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