◆episode.50 【魔女】の言葉は霹靂の如く◆

 市村友希はそこにいた。

 病院の屋上。施設上、当然と言わんばかりの高さの柵の内側から、冬の午後らしい特有の空気の中で少しずつ傾いていく太陽を見ていた。

 考えているのは、たったひとつのこと。


理宮真奈という女子生徒が、この病院にとういこと――


 理宮の行方はようとして知れず。携帯電話で連絡を取ろうにも、学校が焼けたあの日の荷物の中に、理宮の連絡先が入った携帯電話も入っていたため、今は手元に連絡手段がない。

 そして、怪我人であるいということから病院の敷地内から出ることを許されていない。さらに、理宮の最後がどんなものだったのか、プライバシーの観念などから教えることができないと伝えられていた。

 つまるところ、理宮真奈と市村友希は、完全に離別したということだ。

「はぁ。あっさりしてんなぁ」

 何もこんな最後を迎えなくてもいいじゃないか。そればかりが市村の頭の中でリフレインする。

 柵に手をかけると、かしゃんと金属質の手触りと、独特の音が伝わった。指先が空気に直に触れ、冷たくなっていく。

「なあ、理宮さん。あんた、最後はどんなことを思っていたんだ?」

 自然と、涙が流れた。

 愛するものが失われたとき、こんなにも心は痛むのか。知ってしまった。この痛みを知ってしまった。愛という甘くあたたかいものを知ったその代償か、と市村は思った。

 こんなにも冷たく、悲しく、痛い感情に貫かれるのであれば、愛なんて知らなければよかった。理宮を呪い、自分を嫌悪することしかできない。

「理宮、さん」

 悲しみが形になって、市村の頬を滑り落ちる。

「どうして、どうして」

 もう、言わずにはいられなかった。

「どうして、俺を残して死んだんだ!」


「――誰が死んだって?」


「――はぁ?」


 それは聞きなれた声だった。市村は声に反応できず、数秒遅れて間抜けな声が漏れた。

 恐ろしい、寒気を感じながらそっと後ろを振り返る。そこには。

「や、市村くん。久しいね。元気にしていたかい。君、やけに怪我の治りが遅いね。きちんと白血球やらなんやらは働いているのかい」

「り、りりりりり……り、み、や」

「おっと、どうしたんだい。いきなりそんな挙動不審になって――まるで【幽霊を見たような顔】をしているぜ」

 市村は混乱していた。神様や仏様だけでなく理宮をも呪い自身を嫌悪していたあの瞬間はなんのためにあったのか。否、そうではない。理宮はこの病院に、ということになっていて、ということは。

「理宮さん、あんた、死んだんじゃ」

「……前々から思っていたことを言っていいかね」

「何ですか」

「君、本当は馬鹿なんじゃないか?」

「はぁ!?」

「くくくっ、あははっ。怒るとは思っていたけれどね。言わずにはいられなかったよ。まさか僕が死んだと思っているだなんて。ああ、おかしい。あはははっ」

 理宮は兎角、面白いという風に、たくさん笑った。悪戯好きの猫が、トラップに引っ掛けたネズミを見て大笑いするかのような、意地悪そうだけれど、無邪気な笑い。


 間違いなく【理宮真奈】だ。


「ああ、本当におかしい。面白いことを言う。僕が死んだだとさ。誰に聞いたんだい、そんなこと」

「いえ、あの、この病院にいたって言われて、それ以外、情報がなくて。それってつまり死んだんじゃないかって」

「くくくっ。見てごらんよ。きちんと僕のすらりとした美しい脚は地面にくっついているぜ。なんならステップでも踏んで見せてあげようか」

 言いながら理宮は市村の方へ近づいてきて、目の前でくるりと舞って、最後に――これもまた初めて見る、理宮の薄青色のワンピース姿だ――スカートの裾をつまんでかかとをさげて御辞儀をしてみせた。

「ほらね、【第二書庫の魔女】はここにいるだろう」

「り、みや、さ」

 感情を、抑えきれなかった。

 市村の行動に言葉は必要なかった。にやにやと笑う理宮の、その矮躯わいくを、ぎゅっと抱きしめた。

 触れたら折れてしまうのではないか、といつも危惧するような骨格をしている理宮だが、こうして抱きしめてみると、きちんと一揃い人間のパーツでできていて、体温もあって、柔らかく甘い香りすらした。

「何度か君のところにも見舞いに来たんだけれどね。ちょいと本家に呼ばれて留守にしている間に君が目を覚ましたというところだったのだよ。玖城に聞いてマンションを飛び出した」

「理宮さん、理宮さん、理宮さん――」

「……市村くん」

 理宮の軽口を聞いているのかいないのか、市村は思い切り、理宮を全身で感ずる。理宮は、市村の行動に対して、そっと抱きしめ返すという反応をした。

「よかった。生きていた」

「理宮さんも、生きてた。よかった。本当に、本当に。はぁ、あ……」

 市村は、ひとしきり感情を表に出すとその場に崩れ、最後にはぺたりと尻をついた状態になった。

「あんたのこと心配してた時間、返してくださいよ。次の願いはそれにします」

「おっと、そんなことを言っていいのかい? どんな形で叶うかわからないよ。それでもいいなら」

「遠慮します。今のなしで」

「つれないなぁ。いいじゃないか、二番目、三番目の願いを言ってくれたって」

「それはとりあえずあとでもいいじゃないですか」

「まったく。ああ、それとも君は僕のパンツを見るほうが今は大事なのかな」

「はぁ!?」

 言われて、市村は理宮のスカートの中がぎりぎり見えるか見えないかの位置に自分の視線があることに気が付いた。すぐに立ち上がり、尻についたであろうほこりをはたく。

「ていうか、理宮さんは生きていたんですよね。でも、なんか、俺、『理宮さん』と夢? の中で会っていて。でも【理宮さん】はそこにいて。しかも【幽霊を見たような顔をして】っていう予言まで合っていて。何なんですか?」

 市村の吐露した疑問を、理宮はひとつ頷いてから説明を始めた。

「そうだね。あの『夢』の中で君と僕は同じ光景を見ていた。それはきっと『意識の海』の奥深くに沈んでいたからではないか、と、僕は仮定する。カール・グスタフ・ユングの説明は『夢』の中でしたはずだね。ならば理解できるんじゃないかい」

「まあ、言われてることはわかるんですけど、そんなこと実現できるんですか」

「さてね。でも、この病院に運ばれて意識不明、あるいは死亡した人間についてはあの『夢』の中に登場した。逆を言えば、あの『夢』に登場してこなかった、もしくは登場しても顔や意識を認識できなかったアクターは、

「あ――」

 理宮の言葉に、思い当たるところはあった。市村の『夢の中の記憶』では、数人ほどの人間しか顔を思い出せず、玖城という男性においては市村自身の本物の【記憶】だからしたのだと、理解した。

「じゃあ、樫村や弓弦さんたちは」

「そう。意識がなくなり、最後には命を亡くした」

「だから、『夢』の中でも死んでいった」

「そういうことになるね」

 市村は想像する。氷山に覆われた冷たい海の底で、深海魚になって泳ぎ、同じ餌を共有する様を。きっと、理宮はそんな説明をしたいはずだ。

「だからね、市村くん。僕は覚えているのだよ」

「何をです?」

「ひとつは、『僕』を忘れたくないと言ってくれたこと」

 言いながら、理宮は静かに笑う。

「もう目覚めかけていた【僕】の、欠けらと言っても過言ではない『僕』を、君は大切にしてくれた。それを嬉しく思っているし、きちんと覚えている」

 そしてもうひとつ、と理宮は前置きし、

「君が――あのキスの続きを、してくれると誓ってくれたこと」

「は、ぁ」

 市村は、急に自分の顔が火照るのを感じた。火事場のなんとやらではないが、勢いで理宮の唇を奪っておきながら、その続きをすることができるとは、思っていなかったからだ。

「熱烈な愛を、期待しているよ、僕の、【第二書庫の魔女の助手】、市村くん」

 理宮は黒く豊かなまつげに彩られた瞳の片方を閉じ、ウインクしてみせた。

 市村は――安堵した。

「はぁ。わかりましたよ。今度こそ、あんたが死ぬまで付き合ってあげます」

「こちらこそよろしく頼むよ。市村くん」

「ええ、理宮さん」

 夕日が、落ちていく。二人の影を長く伸ばす。

 よりそった二人の影は溶け合った。

 そして二人は――【燃え上がるような恋】をした。



【Endings and beginnings】

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魔女の言葉は霹靂の如く 〈金森 璋〉 @Akiller_Writer

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