第8話

 夜は短く、朝はすぐに来るものだ。

 社会人にしろ、学生にしろ、次の日がのんびりできないことで憂鬱になる人は多いだろう。

 日曜日の夜を睡眠だけに費やすのがもったいなくて、ついつい夜更かししてしまう……なんてこともよくあることではないだろうか。

 現に今、俺がその状況に陥っていた。

 寝るべきだとは自覚しつつ、されど睡魔に負けるものかとあれこれ考え事で時間を浪費する。

 浪費と言えど、思考すること自体に無駄がある訳ではない。

 思考の題材の答えの行き着く先を分かりきっていながら、あれこれごねていることが無駄なのである。

 

「はぁぁ……。学校、嫌だなぁ……」


 こういう鬱屈うっくつな気分の時は、楽しいことを思い出すのが一番だ。

 が、そうそう楽しい思い出は簡単には思い起こしたりなど……。


「いや、待てよ。あるじゃないか。楽しいことというより、楽しみなことだが」


 俺は浮ついた気分で、鞄にテレビゲームのソフトを突っ込むのだった。

 

   *


「おはよう」


 と、通学途中で背後から眠そうな声が掛かる。

 声の主が男であることと、通学時間帯が遅刻すれすれであることから、俺は背後に迫る自転車の運転手が誰かを悟った。


「今日も今日とてギリギリを責めるね、春人」

「早く登校してもやることないんだから、ならギリギリまで家でのんびりしていた方がお得ってもんよ」

「どうせ、ゲームしかしてないだろうに」


 俺は「うるはいなぁ」と欠伸しながら答える友人を、横目に見遣った。

 この極度のゲーム好きの男の名前は、加納春人かのうはると。三大欲求すべてを投げ捨てでもゲームに走る、俺の幼馴染兼親友と呼べる男だ。

 いや、一か所訂正部分があるな。性欲はゲームで消化していると言った方が正しい。

 

「俺は寝ていただけだよ」

「それもゲームで夜更かししたのが原因だろ」

「まぁな」


 友人は躊躇いなく肯定する。

 自分がゲームをすることに、そしてゲームが好きであることに躊躇が一切ない。

 こいつの、好きなものに対して素直な生き方は少し羨ましく感じる。


「なぁ、春人」

「なんだ、三嶋」

「俺の名字は三嶋じゃねぇ」

「で、なんだ?」


 友人は俺の本名などどうでもいいと言いたげに、本題は何だと急かしてくる。

 実際、俺が三嶋と呼ばれている理由は大したことではない。小学六年の頃、偽名を名乗る自己紹介が流行り、その際俺が『三嶋』と名乗ったからである。

 流行りが終わった以後、他の参加者は本名に戻ったというのに、俺だけは皆から『三嶋』としか呼ばれなくなったのだ。理由は……まぁ、いいだろう。……………。


「今日の朝は一緒に行こうなんて、お前にしては珍しく誘いのメッセージ送ってきたから気になってさ」

「前に話してたゲームの話がしたくてな」

「あぁ、バイアのことか」


 バイアとは、バイオアラートというアメリカで実写映画化もされた、サッコン発のサバイバルホラーのゲーム。

 かなり有名シリーズで、ホラゲの代表はバイアと言っても過言にはならない程。

 きっと春人は、今日の放課後に買いに行こうとでも言うつもりなのだろう。

 しかし、その必要はないのだ。俺は既に購入済みなだけでなく、放課後そのまま春人の家に直接寄ってもプレイができるよう、持ち歩いてすらいるのだから。 


「まぁ、楽しみにしときや、春人」

「いきなり関西弁でどうした」

「これって関西弁なんだっけ?」

「たぶん」


 そんなやり取りの最中も、俺の口角は下がらない。


「(いやぁ、楽しみだなぁ……)」


 俺が浮かれたように少しニヤついていると、「あぁ……」と漏らしてから、彼は新たな話題を振ってきた。


「そういや、今日の放課後に委員決めあるよな?お前、何の担当すんの?」

「何でもいいけど、楽なやつかな。一応部活もやってるし」

「あぁ、帰宅部ね」


 そんな訳ないだろ。


「いや、地域調査部だよ」

「何それ。そんな部活あったっけ?」


 なかったが、俺が作ったんだよ。斎藤のために。

 

「地域調査ねぇ。お前は、そういう事に興味なさそうだけどな」

「別に興味ある無しに関わらず、俺はやるべくしてやるのさ」

「へぇ」

「その、すぐに興味無くすくせに、話題振るのをやめなさい」

「グリッチ狩りしてぇ……」

「人の話を聞け!」


 目の前の信号が赤になるのを確認しつつ、もはや内心を隠すことすら放棄した友人に怒鳴る。

 部活の話は俺から始めたとはいえ、委員決めの話は春人から振ったんだろうが。


「聞いてはいるよ」

「同時に忘れているだろ」

「そうかもしれない」

「まったく……」


 この男には言うだけ無駄であるが故、「まったく……」で済ましてしまうのが一番だ。


「それで、春人の第一希望は?」

広野こうや

「趣旨を掴め。FPSの話じゃなくて、委員会決めの話だ」

「TPSだけどな」

「そこもどうでもいいわ!」


 再度、俺の口から「まったく……」が呟かれる。

 友人は「わかってるよ」と、本当かどうか怪しい台詞を漏らしてから、「お前次第」と何とも曖昧な答えを返してきた。


「もっとゲーム以外にも主体性を持てや。お前は興味と熱量を、ゲームにかけすぎなんだよ」

「そうだな」

「流すな」


 俺が怒ることではないし、単なるお節介に過ぎないが、それでも説教してやりたくなる。が、結局、三度目の「まったく……」で、その気持ちを誤魔化して終わる。

 と、思っていると。

 

「別に、流している訳じゃない。ここで俺が何と言おうと、結局俺は余り物を選ぶからいいんだよ」

「それだとお前、奉仕委員に選ばれる可能性が一番高いけれど、それでもいいのか?」

 

 奉仕委員とは、『居残り必須のポイント稼ぎ委員会』などと呼ばれている、生徒会並みに面倒くさいと噂の委員会のこと。

 実際の活動内容は地域奉仕なのだが、ほとんどの生徒はやりたがらない委員会として有名だった。


「大丈夫。俺よりも適任がいるから」

「それはどういう意味だ?」

「勘だよ」


 校門を目前にして、予鈴のチャイムが鳴り響いた。

 春人は言葉を咀嚼し切れてない俺を振り返って、「ただの勘だよ」と告げると、このままだと遅刻するぞとでも言いたげに、チャリ置き場までダッシュをかける。


「いきなりスピード上げるなよ!」

「お前が遅いからだよ」

「なっ!?お前の方が遅いだろ!」


 二人して、ゴールまで僅か百メートルばかりの距離だというのに、自転車をかっ飛ばす。

 予鈴がもうすでに鳴ったからか、周囲を歩く生徒は殆どいなかった。

 しかし、隣でハイケイデンスを披露している友人に負けじとダンシングする俺には、その思考にエネルギーを割く余裕はなかった。

 いつもなら生徒会の挨拶運動や、生徒指導の先生が呼び掛けしている声が聞こえても、おかしくない時間帯のはずなのに。

 

 果たして。 

 レースは十秒程で蹴りが付いた。

 はぁはぁ、と二人の息が上がりながらも、友人は隣でガッツポーズにドヤ顔を決めていた。

 「堂々とフライングかましてただろうが」と抗議しようとするも、息が荒れすぎて口にする余裕はなかった。

 何か言葉を発する余裕がないのは春人も同じな様で、「行くか」とだけ端的に告げると、トロトロと歩き出した。

 俺ものそりと友人の後ろをついて歩き、教室までの三十メートル程の距離を無言で、いや無音でいた。


 ——そう、無音で。


 昇降口まで来て、俺たちはようやく異変に気付いた。

 事を悟ったと言った方が正しいだろうか。


「なぁ、三嶋。先週さ、先生が言っていた事を思い出したのって俺だけ?」

「やめろ。俺は、月曜日の放課後に委員決めをするっていう先生の言葉を信じるぞ」


 野球部が校内清掃しているのを尻目に、ひっそりと静まり返る教室に「おはよう」と元気よく挨拶しながら入る。

 もちろん、誰からの「おはよう」も返ってきやしなかった。

 それでも俺と春人は、クラスメイト全員が土日という二連休に身体が浸り切って寝坊しているのだろうと普通ならばあり得ないはずの妄想で、強情にも今日は授業日である事を言い張るが如く、自席で朝のホームルームが始まるのを待った。

 すると、ガラガラと教室のスライド式のドアが開いた。


「あら、来たの?おはよう。今日は二人とも早いわね」


 我が二年二組の副担任、赤間明あかまあきら先生が、クラスに張り紙と思しきプリントを数枚持って、教室に入ってきた。

 『あきら』と呼べど、本人は二十代女性である。

 俺たちの英語表現クラスの担当で、冗談好きな先生だった。


「赤間先生、おはようございます。そうですね。今日はみんな遅いですよねぇ」

「いつもはガヤガヤとうるさい時間なんですけどねぇ」


 俺と春人が二人して、とりわけ慌てるでも恥ずかしがるでもなく、平然とただ疑問を持っている風を装っているのがおかしかったのか、先生は「ふっ」と綺麗に笑った。


「そうよねぇ。静かすぎるぐらいだわ。なら、有り得ないわねぇ」

「ですよね。休み明けで、みんなも気が緩んでいるんでしょうね」

「登校時間終了間際に教室へ滑り込んできた人たちは、流石言うことが違うわね」

「遅れるか間に合うかでは雲泥の差ですからね」


 ただの屁理屈でしかない春人の言葉に、またも先生は「そうよね」と肯定する。

 それが人柄なのか職業柄なのか、彼女は否定することをまずしない。

 それが美徳と思いつつ、しかし今回に限っては、早く真実を告げない彼女が少し憎らしかった。

 彼女はこちらの意図を掴んで話してくれるどころか、「はい」とプリントを両手で寄越す。

 そのプリントには、『今年で創立五十周年』なんて見出しが書かれていた。


「これお願いね。指定の場所に貼り付けておいて。私は職員室に戻るから」

「「了解です」」


 友人と二人して、大袈裟に敬礼して先生からの依頼に答えようと――


「「……って、それよりも先に俺たちに言うことあるでしょうが!」」


 ――などせず、先生が閉めた教室のドアを、閉まりきると同時にバンッと開き切って、そう言葉を叩きつけた。

 が、それは無人の空気を、ただ強く振動させただけに過ぎなかった。


「あれ、先生は?」

「……わからん」


 つい数瞬までそこにいた先生の姿が、それは幻だったとでも伝えてきているのか、彼女の後に続いて出てきた俺たちの眼に映りはしなかった。

 二年二組の教室と同じ、二階に存在する職員室へと通ずる僅か十数メートルの廊下には、先生どころか人影さえ確認できない。

 何が起こっているのか、と俺と春人は顔を見合わせる。


 ――と。


「さっきの茶番は一体何?」


 俺たちの背後から、クスッと笑う声がかかった。

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