第7話

 人を家に招き入れたとき、どういう対応をするべきなのか、ご存知だろうか。

 俺はそんな経験など数えるまでもない訳だから、おもてなしなど知る由もない。だから、取り敢えずの行動として、「粗茶ですが」と言ってお茶を出した。


「ふふっ。なにそれ」


 どうやら、この行動は間違っていたようだ。でも、『はるか』殿のお気に召したのなら、私は構いませんゆえ。


「で、本題に入ってもいいかな?斎藤とはどういう関係なのか、詳しく聞かせて欲しいんだけど……」

「へぇ、まだ名前呼びじゃないんだ?」

「うぐっ!」


 話題を逸らしにかかるような彼女の言葉選びに、俺は少しイラッとする。

 気になっている点を挙げ足口調で言ってくるのも、その原因の一つだろうが。

 わかってるさ、情けないってことくらい。それでもファーストネーム呼びは、若干恥ずかしいんだよ。


「そんな怖い顔しないでよ。少しからかっただけじゃない」

「そう思うなら、からかうのをやめてくださいね」


 からかわれて嬉しいとか、俺はマゾ性癖の持ち主じゃない。


「知ってるよ。君がMなのはイニシャルだけだってことくらい」


 またも見透かしたように放言する彼女に、敵わないなと敗北宣言が脳内に響いた。


「ねぇ、そうやって俺の心を読むの、やめてくれないかな?」

「あっ、当たってたんだ?私凄い」


 その返答から、こちらの質問には真面目に返す気がなさそうだと判断する。


「(あぁ、もう早く帰ってくれないかな。どうして俺は、彼女のことを家に上げてしまったんだ……)」


 そんな切望と後悔を脳内で織り交ぜながら、俺は自分の湯飲みに手を伸ばす。


 ――と、彼女はわざわざ手前にある、彼女用に俺が置いた湯飲みを手に取らずに、俺の手と重なるように湯飲みを取った。

 しかも、俺の手に重ねるのではなく、俺の手が彼女の手に重なるようなタイミングで。


「あっ!」


 俺が急いで手を引っ込めると、彼女は再度「ふふっ」と笑う。

 不覚にも可愛いと思ってしまう自分を殴りたくなった。


「何するの!自分のそこにあるでしょ?からかわないでくれって言った傍から……」

「だって、反応が初々しい感じがして、ついね」


 彼女は手元の湯飲みに手を置き替えると、案外にグッと茶を飲み干した。

 

「どうしたの?見とれちゃった?」

「いや、見とれていないから」

「えぇ~、本当かなぁ~」

「というか、自分からそんなことを言うもんじゃないよ」


 よく、自分が可愛いと思っている奴はいるが、こうも躊躇いなく豪語できる女子はあまりいない。

 それだけ自信があるのだろうし、実際それだけ可愛いのだが。こいつに限っては、隠そうとする気概が一切感じられない。


「別にいいでしょうに。それとも、私って実は可愛くなかったり?」


 は?何言ってんだこいつは。

 俺はそうやって、プライドあるくせに「私、可愛くないから」とか、「私、スタイルに自信なくて」とか言いやがる女子が一番嫌いなんだよ。


「い、いや、ルックスは悪くないと思うよ」

「ありがとう」


 もう少し反応があるかと思ったのだが、素直にありがとうを言われただけだった。

 彼女からしたら、それは言われ慣れたことなんだろう。もはや特に気に留めることなく、茶菓子に手を伸ばしていた。

 勢いで口走ってしまったに過ぎないが、それでも少しは恥ずかしかったのだ。「顔赤いよ」とか指摘されそうだと構えていたのだが。


「どうしたの?」

「いや、何も」

「もしかして、私から『顔赤い』って言われるの待ってた?」

「そういうことじゃねぇよ!」

「そういうことなんだ」


 彼女はさも可笑しそうに、「ふふっ!」と笑う。

 口元の茶菓子がポロリと崩れるのを手で受け、彼女はそれを皿へ払い落とす。

 そんな彼女の自然体な振る舞いに、意味もなく負けを認めた。 


「(あぁ……もう、色々構え過ぎて疲れてきた。斎藤が相手なら、こんなことは絶対にないんだがな)」


 なんて考えていると。


「口調」

「何だよ」

「口調が戻ってるよ」

「あっ、いや。何のことかな?」


 彼女はL字型の机の角から身を乗り出すと、俺の顔を覗き込むような姿勢を取った。


「私は確かに色々隠さなさ過ぎかもしれないけど、対照的に君は色々と隠し過ぎだと思うな」

「人には誰にでも隠し事はあるものじゃないかな?それを詮索するのは、野暮というもので……」


 言うと、彼女の整った眉間が少し歪になる。

 

「私がそういうことを言いたい訳じゃないことくらい、わかるよね?」

「はい。すみません」

「素直に謝るなら、最初から言わなければいいのに」


 仰る通りで。

 でも、俺のイメージというものがな……。


「私は君の顔を知っているんだよ」

「むしろ、知られていなかったら、『今なんでここにいるの?』ってなるしね」

「怒るよ?」


 彼女は牛の鳴き声を短縮させた言葉を一つ唱えると、テーブルの端をバンと叩いた。


「ごめんて。やり返したくなったんだよ」

「意地悪」

「そう言われて、恐悦至極ですよ」

「ドS」

「さっきまで弄られてたのこっちなのに!?」


 再度、彼女から「ふふっ」と笑顔が迸る。

 その柔らかい表情に、俺も破顔せずにはいられなかった。

 人の心を構えさせたり、温かくさせたり、本当にこの『はるか』ちゃんはアイドルだなと感じさせる。いや、現にアイドルをしているとかではないのだけれど。学校で注目を浴びるという意味で、そう表現しただけだが。

 彼女は昔からそうだ。いつもクラスメイトの中心にいた。

 俺が目立とうとしたところで、白い目で見られるのが関の山だったというのに。

 そんな俺を救い出してくれたのも、彼女だった。

 ふと思い出してしまって、口元が緩みそうになる——


「小学生の時」


 ——も、『はるか』ちゃんが、唐突にそんな単語を言い出したことで、俺は滑らせかけた言葉をゴクンと飲み込む。


「よく遊んだよね。ゲームしたり泥だらけになるまで外ではしゃいだり、『ビッグ』ともよく戯れてた」


 『ビッグ』とは、去年まで飼っていた犬の名前だ。大型犬だからという単純な理由で『ビッグ』と名付けられたその犬は、俺が生まれた頃と同時期に親が保護した犬で、一緒に育った俺にとっては心の許せる数少ない存在だった。

 去年の春先に身罷り、ちょうど一年程が経っていた。当時は青春どころではなかったのを、俺は覚えている。


「犬小屋……残してるの?」

「忘れられなくてさ。年明けるぐらいまではきちんと掃除もしてあげられてたんだけど、今はもうそれすらしてない……な」

「……そっか」

「……………………」

「……………………」

「……………………。……………………」

「……………………。……………………」


 そのやり取り以降、お互いに言葉を発しなくなった。

 時計の秒針だけがチクタクと音を立てる空間で、一組の男女がローテーブルを挟んで押し黙り続ける絵面が完成した。


「(話題を元に戻したくても、しづらい雰囲気なんですけど)」


 斎藤と一緒に居ることが多くなって、無言でいることに耐性が付いているとはいえ、それでもこの空気は辛い。

 もはやからかわれるとしても、この空間を打破できるのであればアリな気さえする。


「あ……、えっと……」


 言葉を紡げなくなった情けない男の末路、ここに在り。

 仕方がなく耐えきれなくなった俺と彼女は、訳もなく「ごめん」を言い合って、どうにかその空気を取り払うことに成功した。


「……斎藤のことを、聞きに来たんだよね?」


 話題としては振りたくはなかったが、斎藤の過去のことを知っていそうな彼女には聞いておきたいこともあった。斎藤の『友達』に対する悩みの情報が欲しかった。当人以外での、つまるところ、客観的な情報を。

 だが、しかし。


「ううん。それはまた今度にするよ。君の様子見てたら、なんとなく様子もわかったし。それに他にやりた……やらなきゃいけないこと思い出したから」


 急に態度が激変して、小学生がその場しのぎで多用する言い訳みたいなことを言い出した。


「え……っと、斎藤の過去の話の件は……?」

「ごめん。それもまた今度ね」

「あっ……そう」


 どこまでも自分勝手な彼女だった。


「じゃあ、私はそろそろお暇しようかな。用件も済んだし」


 いや、俺は済んでないんだけど。

 しかし、どうせ話して欲しいと言ったところで、それが無駄に終わることを理解している俺は「わかった」と流すしかなかった。


「そういえば、この湯飲みも懐かしいよね。三人で揃えたの覚えてるよ」


 目的を果たせず、ただからかわれただけに終わったことに少し不満気な俺だったが、その話につい頬が緩んでしまって。

 更に、こんなセリフを吐いてしまった。


「一緒に洗いたい?」

「それは君の内心でしょ」

「そんなわけ」

「ありそう」

「ない」

「とも言い切れないでしょ」

「心を読まないでね」


 先程までの沈黙を忘れ去った様に、お互いテンポよく会話を弾ませる。

 彼女は「よいしょ」と立ち上がると玄関で、「またね」と次があることを約束してくれた。


「また今度。帰り道に気をつけて」

「ありがと。それじゃ、また明日。でね」

「うん、また学校で」


 こうして、嵐は何の予兆もなく現れ、特に荒らすこともなく過ぎ去って行った。

 その静けさが不気味さを伴っていたことに、その時の俺はまだ気付いてはいなかった。

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