幕間 その2

 【主人公】


 大抵の人は、友達や知り合いといった自分の認められる人間を一括りにして線引きし、内と外とを区別する。

 日本人と外国人。社会人と学生。同じクラスの生徒と他クラスの生徒。そして、クラス内で仲の良い人とそうでない人。

 そういった区別を、人は無意識の内に行なっている。

 その区別がオープンな人もいれば、極端に拘ろうとする人もいる。

 その区別の程度は、その人の性格や年齢に帰属する。そのため、小中学生といった精神的に安定しない年頃では、その区別が容易に変化してしまう。

 そこで重要となってくるのは、クラス内での地位というもの。俗に言う、カーストである。

 クラス内カーストの上下は、自らが所属するグループの大きさに帰属する。

 より大きな集団では、周囲に対する影響力が変わり、そしてその影響力がさらなる輪を広げるのだ。野生動物の群社会と同じ。

 それに対して、少人数のグループはどう対抗するのか。

 手段は複数あるが、大体は優劣を付けること自体がくだらないと一蹴し、気にする事自体を拒否するか、逆に、少人数の方が優れているとでも言いたげに、楽しく遊びまわる風を見せつける。

 つまりだ。少人数グループの彼らの殆どは、友達が多かろうと少なかろうと、クラスにカーストがあろうとなかろうと、自分の持つ人間関係に満足できてしまっている。


 では。そんなことを考えていながら、一人しか友人と呼べる同級生を持っていなかった当時の俺は。

 クラス内カースト一位を独占するグループの中心で笑っている、ポニテの良く似合う女子を羨ましく見つめていた。


   *


 俺が友達を作れなかったことには訳があった。

 小学二年の冬。俺は上級生の男子生徒と喧嘩したことがあった。

 殴り合いをしたかった訳じゃない。ただイジメを見てしまったから、庇っただけだったというのに。

 小学三年に上がる頃には、俺と関わると上級生に絡まれると噂が流れ、それに逆捩さかねじを食わせ続けた結果。口調も態度も荒れた俺の周りには、友達がいなくなっていた。


 違った。それは、俺の望んだ結果ではなかった。

 誰も噂の方を疑おうとしなかったことに、腹が立った。

 そして、それ以上に。

 『仲良くして』と素直に言えない俺に、苛立って仕方なかった。

 当時の俺に少しでも素直さがあれば、また違う結果になっていたはずなのだ。

 だというのに、そのことに気付くことが、当時の俺にはできなかった。


 そうして数か月が経ち、その苛立ちが諦めに変わり始めた頃。クラスで独り身でいることに寂しさを覚えていた俺が、羨望の眼差しを向けたのが彼女だったのだ。

 名前は五十嵐悠いがらしはるか

 よく似合うポニーテールを携えた、いつも可愛らしく笑っている女の子だった。

 彼女に出会った最初の頃、俺が彼女のことを『クラス内カーストのトップで威張っている』なんていう勝手な思い込みで括っていた理由は、彼女への憧れに由来するものだった。

 まぁ、そのことに関しても、当時の俺が気付く訳もなかったが。

 実際のところ、俺の所属していたクラスはかなり和気藹々としていて、クラス内カーストなんてものは存在しなかった。


   *


 俺が彼女の内面に触れる機会は唐突に起こった。

 それは十歳の誕生日を迎えた次の日の放課後。掃除終わりに宿題をしていた時だった。

 

『それ、書き順違くない?』


 俺が窓際後方の自分の席で漢字練習をしていると、彼女は突然そう言って、勝手に作り上げた気でいた俺の固有結界テリトリーに侵入してきた。

 俺は侵入経路を見定め、その場所からノートが見えないよう、体を丸めて聞こえなかった振りをした。

 辞書で書き順を調べ、そのまま継続して漢字をノートに書き連ねていった。

 書き順の指摘以降、彼女は無言のまま。もはや彼女の発する音は無音と呼べる程、彼女の気配を感じなかった。

 俺はノート一ページ分を書き終えると、教室の廊下側に設置されている時計を見ようと顔を上げた。

 

 すると、そこには時計ではなく、彼女の顔が映った。

 否。

 彼女の顔しか映らなかった。


 俺は驚いて大声を上げそうになるのを必死にこらえ、チンアナゴが地面の穴の住処に戻る様に、自分の領地たる机へスルスルと戻った。

 俺は恥ずかしさのあまり耳まで真っ赤に染め上げつつも、平静を取り戻すにはこれしかないと言わんばかりに再度漢字をノートへ書きなぐり始めた。


『なにそれ。可愛い』


 彼女の二言目はそれだった。

 何が可愛いのかと問い質してやりたくなった。が、そんなことはできる訳もなく、それまた聞こえなかった振りをして誤魔化した。

 放課後の教室にはもはや誰も残っておらず、二時半過ぎに終わった学校は、その時刻を四時だとチャイムで告げていた。

 下校時刻は四時と定められており、俺は帰らなければならなかった。

 が、クラスの人気者は一向に動く気配がなかった。

 チラチラと横目に彼女の存在を確認し、早く帰れと心の中で願った。

 そのうち、時計には秒針がないにもかかわらず、時計の鳴らすカチカチ音が気になりだした。

 さすがに時計を確認しなければ、と再び顔を上げると、同じアングルで同じ顔が同じような微笑みを浮かべて構えていた。

 俺が彼女を見て固まる度に、彼女はふふっと可愛らしい声を上げて笑った。


 それによって、俺の我慢は限界を超えた。


『なぁ、もういい加減帰ってくれないか?』

『私は君が帰るのを待っていただけだよ』

『奇遇だな。俺もだ』


 俺はランドセルを担ぐと、ノートを机の中にしまって席を立ち去ろうとした。


『君も私と帰りたかったってこと?』


 彼女は、そんな言葉で俺を引き留めてきた。


『そんな訳ないだろ』

『じゃあ、一緒に帰るのは嫌?』

『あぁ、嫌だ』

『どうしても?』


 一緒に帰ったところで、それが楽しいものになるようには思えなかった。俺には会話の材料たる彼女との共通点を一切見出せなかった。


 いや、違う。

 彼女が俺となる訳がないと。

 なってくれる訳がないと、そう考えていたから。

 俺は態度と口調の荒れたクラスの厄介者だ。関わればろくなことがないと言われる俺に絡むこと自体、もはやこの学校では非常識な行いだ。


『そうだ』

『どうして?』

『お前とは友達じゃないから』


 俺はクラスメイトである彼女に、そう突っぱねて返した。

 拗ねた子供のように、嫌味ったらしく返してしまった。

 そういう子供っぽい言動を最も嫌忌していたというのに。

 そんな言葉を返した直後だったからだろう。

 彼女の返事を瞬時に咀嚼そしゃくすることができなかった。


『じゃあ、今友達になろうよ』

 

 一瞬。ほんの一瞬き分。

 一切視線を交わす気はなかったというのに、俺は彼女の方を見ると固まってしまった。

 

 その時見た彼女の笑顔は、いつも俺が羨ましく見つめるそれと同じでいて、けれど周囲の友人に見せるそれとはまた違うような感じもした。

 どちらにしろ、俺には浮かべることのできない柔らかいものだった。

 

『いいね、その顔。恥ずかしがっているのも可愛いけど、やっぱり笑った方がいいよ』

 

 彼女は、その笑みを少し和らげてそう言った。

 どうやら俺も笑っていたらしい。

 それを意識した覚えはなかった。自然と口角が上がっていた。

 

『いや、でも、俺にそんなつもりは……』

『そうだとしても、笑った方がいいよ。友達とは笑い合っていたいじゃん』


 まだ友達じゃない。

 そうは言えなかった。

 友達に対する敷居が高いだけじゃない。

 それを言ってきたのが彼女だったから、友達になることに壁を感じてしまうのだ。

 けれど。俺はそれでも。


 嬉しかったのだろう。

 彼女が友達になろうと、そう言ってくれたことが。


 俺を閉じ込めていた扉はきっと外からじゃ開けられない。でも、彼女の声はその強固な扉を抜けて俺まで届いた。


『俺って口調も酷いし、俺と友達になったら悠ちゃんにとばっちりがくるぞ』

『そんなの気にしないって。というか、たぶん君のことを嫌っている人自体そんなにいないよ。話しかけようとしても相手にしてくれなかったのは君の方だって』

『そんなことは……』

『それに、前は知らないけど、今の口調はそんなに荒っぽくないじゃん。私って、よく敬語で話されたりするから、君のその喋り方は新鮮で話してて楽しいよ』


 それを聞いた刹那。

 俺は何かが目から溢れていることに気付いた。

 それを拭う俺の過去に寄り添ってくれるように、彼女は付言した。


『君の物怖じしないような口調、私は結構気に入っている』

『……それ、褒めてないだろ』


 そう卑屈っぽく言葉を吐きつつも。

 今までの自分の間抜けさを吹き飛ばすように、俺は笑いながら彼女へ告げた。


 『ありがとう、悠ちゃん』


 結局、欲望とは時効なものなのだろう。

 そうでなければ説明が付かないから。

 彼女と友達になって以降、友達が欲しいと思う様にはならなくなったことの。



 彼女はその一年後、転校した。




 *




 作者より。

 ちなみにわかりづらいでしょうが、上の会話は十歳の子供たちの会話です。

 随分とマセた小学生がいたものだ……。

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