第3話 失われた本を求めて

「ううぅー、ないよー」

 わたしは床をかきむしるように呻いていた。

「どうしたの、斎原」

 君依くんは大きなアクビをして、顔をなでている。

 もう、何で君依くんはここまで呑気なんだ。ご主人さまがこんなに苦しんでいると云うのに。いかにネコといえども許せない。


「だから、無いんだよ君依くん」

「生理が?」

「違うわっ!」

 そんな深刻な話だったら、君依くんなんかに相談するものか。


「なぁんだ。もしかしてあの時かな、とかおもったんだけど」

「どの時だよ。君依くんとの間にそんな事、まだ起きてないでしょ」

「まだ?」


 しまった、失言だった。

「マーダー、と言ったんです」

「殺さないで」


 でもあれが無いと禁断症状がっ!

「斎原、それって『ダメ、ゼッタイ』のやつじゃないの。大丈夫かな、最近この世界でもコンプライアンス関係って厳しいらしいよ」

 もう、とことん失礼な男だな。

「危ない薬なんてやってません。本だよ、本」


 わたしは二日間読書をしないと、手当たり次第に君依くんを苛めたくなるのだ。

「それも、やめて欲しいんだけど。あの、斎原。苦しい」

 後ろから君依くんの首に腕を回し、思いっきり締め上げてみる。


 へっへっ、どうだ。こうやって君はご主人様にひれ伏しておればよいのだ。


「うーん、苦しい。でも気持ちいい」

 知らず知らず、君依くんの後頭部をわたしの胸に押さえつける格好になっていた。何てことだ、君依くんを喜ばせてしまったなんて。



「よし、じゃあ僕が斎原のために読み聞かせしてあげるよ」

 ほう、この従僕め。どこに本を隠し持っていたのだろう。

「うむ。よきに計らえ」


「えーと。タイトルがね。『スライムに転生した僕っ子皇女さまを助けたらツンデレ女神にチート能力を授かって、倒しにいった魔王が実は幼女だったからみんなでハーレムつくりました』って本なんだけど」


 うーむ。わたしは眉間を押えた。何だか色々としっくりこないし、この登場人物たちって、どこか身に覚えがある気がする。特にツンデレ女神というのに怒りを感じるのはなぜだろう。


「うん。それは良かったね、という感想しか出てこないタイトルなんだけど。で、その本の内容は?」

「ああ。それはまだなんだけど」

 おい。やはり君依くんが作者なんじゃないだろうな。




 ―― その物語かの物語、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしきさまされど、わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ ――




 ☆


「よし。こうなったら本を捜しにいくよ、君依くん」

「にゃう?」

 おい、君依くん。都合の悪いときだけネコになるんじゃない。


「それがね、斎原。僕は段々、人間でいる時間が短くなっている気がするんだよ。多分そのうち、本当の猫になってしまうんじゃないかな」

 真面目な顔で君依くんは訴える。でもそれって。

「山月記の李徴さんの台詞でしょ」


 おや、でも顔に左右三本ずつネコひげが生えてきてるし。君依くんの言うことも本当かもしれない。

「ほら、ここに尻尾も生えてきてるし」

「え、まさか」

 君依くんはわたしの手をとって、股間に持って行く。

 ふにゃんとした感触。おお、あぉん♡


「って、それは尻尾じゃないでしょ!」

 何を触らせるの、こんな時に。


「ご、誤解だよ斎原。お尻側にあるとズボンをはくのに邪魔だから、こうやって前に回してるんだよぅ」

 そう言うとベルトを外そうとする。

「う、う、うるさい。出そうとするなこの変態」


 おかしい。わたしのこの男に対する認識が、幼なじみの君依くんから、本当に大納言の娘さんのネコになりかけているのだろうか。

 でも、このまま君依くんがわたしのネコになってくれたら、それはそれで……。

「斎原、なんで顔がにやけてるの」

「う、うるさい。見るな」



「やはり探してみるものだね。結構集まったよ」

 お継母さまやお姉さまの本を貸してもらい、両手いっぱい抱えて部屋に戻る。それは『蜻蛉日記』や『源氏物語』の一部だった。


「この蜻蛉日記の作者、藤原道綱母って、ここでは、わたしの伯母さんにあたるんだよ」

「ふーん。誰?」

 そうか。君依くんに話しても無駄だったか。


「でも源氏物語なら知ってるでしょ」

「もちろんだよ。源頼朝とか義経だろ。有名だからね」

 だれか、この君依くんに文学史を教えてくれる人はいないだろうか。



 それらの本を読んで、少しだけ気持ちが落ち着いたのもつかの間、わたしには更なる欲求が沸き起こって来た。

「足りない。これ、全部途中までじゃないか」


「そうか。ダイエット中に、少しだけ、一口だけだから、と思って食べるとそのまま止まらなくなるのと同じだな」

「君依くん。喩えが不愉快」



 それからわたしは、本を探して屋敷中を彷徨い歩いた。

「こうなったら、悪魔にでもお願いしたい気分だよ」

 どうか、わたしを本のある場所に連れていって下さい。


「なあ、斎原。そんな事より、元の世界に戻る方法を考えた方がいいんじゃないかな。ほら、僕たち図書館で消滅したと思われてるんじゃないだろうか」

「それだよ、君依くん。本のある場所。図書館じゃないか」

「ああ。まあそうだけど」


「この世界にも図書寮はある筈だもの。つまり京の都へ上れば……本がある!」

「いや。もとの世界に、じゃないの?」


「うー。エロイムエッサイム、我は求め訴えたり。われを京の都へ行かせたまえ」

「やめてよ、斎原ぁ。願う相手も目的も見失ってるよ」



 すると突然部屋の真ん中に木彫りの仏像が現れた。これは、ひた向きなわたしの願いが薬師如来に通じたに違いない。

「ほら。願えば、大抵のことは叶うんだよ。君依くん」

 でも君依くんの表情は強張ったままだ。


「なあ斎原、あれ仏様じゃなくて、魔神像みたいなんだけど」

 なるほど。薬師仏にしては、変な翼とか尖った尻尾があるな。


「いいんだよ。細かい事は気にしないで」

 そんなだから君依くんは人間がちいさいと言われるのだ。わたしは毎朝、その仏様に祈りをささげる事にした。




 ―― いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏を造りて、手洗ひなどして、人まにみそかに入りつつ「京にとく上げたまひて、物語の多くさぶらふなる、あるかぎり見せたまへ」と、身を捨て額をつき祈り申す ――



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