第2話 「僕は大納言の御むすめなり」と彼は言った。

 ―― 来つらむ方もみえぬに、猫のいとなごう鳴いたるを、おどろきて見ればいみじうをかしげなる猫あり ――


「にゃあうーん、にゃうー」

 朝になると枕元でネコが鳴いている。でもよく聞くと。

「お腹空いたよー、斎原ぁ」

 と言っているようだ。


「もう、うるさいなぁ。君依くんは」

 わたしが起き上がると、君依くんは四つん這いになって擦り寄ってくる。見かけはともかく、行動はほぼネコだ。


 君依くんのあごの下をくすぐる。絶妙に気持ちよさそうに目を細める君依くんをみて、久しぶりにほっこりした。

「どうじゃ、ここが気持ちいいのか。うん? 愚かなネコの君依くんめ」

「ごろごろ」

 えへへへ、と顔が緩みっぱなしになる。そうだよ、君依くんは従僕なんだから、こんな風にわたしの思うがままになっているべきなのだ。


 やがて君依くんは、ごろん、と仰向けになってお腹を出した。おお、これは完全に服従しますという合図ではないか。

 そうかそうか。君依くんがそこまで言うなら。存分に堪能してやるぞ。


「はは。くすぐったいよ斎原」

 身体をくねらせる君依くんのお腹を、ここぞとばかり撫でまわしてやった。見かけによらず結構、筋肉があるじゃないか。普段からコキ使ってあげた甲斐があったというものだ。


「気持ちいいよぅ、斎原。次はもっと下もやって欲しいのにゃ」

 え、下?

「下って、もしかして」

 ごくり、と唾を呑み込む。やはり、あそこだよね。だったらこれ、脱がした方が撫でやすいような気がする。

「じ、じゃあ、失礼しまーす♡」

 だがそこで君依くんのベルトに掛けた、わたしの手が止まった。


「ちょっと待って。この世界では君依くん、ネコだよね」

「え、そうみたいだよ。斎原は僕がネコに見えないのか?」

 見えない。普通に制服を着ている君依くんだ。と、いう事は。


「あの、君依くん。君依くんからは、わたしの事どう見えてるのかな」


 どうやらこの世界では、相手の事は自分が見たいと思う姿に見えているらしい。

 だからお姉さまはわたしの事を十二単姿だと思っていたし、君依くんの事は猫に見えたのだろう。

 だとすると、君依くんはどんな斎原美雪を求めているのだ?


「へえ? ああ。斎原はいつもこんな格好で寝てるんだなーって、ちょっと感動してるよ」

 何だその意味ありげな答えは。

 昨夜、わたしは制服から着物に着替えているのだが。


「え、ちょっと。それって」

 君依くんの事だ。きっとわたしは、すごいエロ下着姿に見えているんじゃないだろうか。いや、もしかしたら。

「ぜん、ら?」

 あり得る。だって君依くんだもの。


「いやーーーっ、見るなこの変態っ!!」

 慌てて夜着をかぶる。そんな感動してもらうような体型じゃないし。でもこれはちょっとダイエットをさぼっただけなんだ。だって普段はわき腹なんかもっと引き締まってるし、これは本当のわたしじゃないんだよ!


「どうしたの、斎原」

「そんな、いやらしい目でわたしを見ないで、君依くん」

 いや、あの。君依くんは口ごもった。

「寝るときも制服だなんて、斎原は真面目だなと思っただけなんだけど」

 制服姿だったか。


 でも、それはそれで腹立たしい。

「何よ、わたしの制服の中身には興味ないってこと? 信じられない」

 君依くんは面倒くさそうに、右手で顔を撫で始めた。

「そんな事より、お腹空いたんだけど」

 ああ、そうだったね。



 ☆



 ―― これを隠して飼うに、すべて下衆のあたりにも寄らず、つと前にのみありて、物もきたなげなるは、ほかさまに顔を向けて食はず ――



「だけど昨日はお姉さまが食べ物をくれたんじゃないの?」

 すると君依くんはため息をついた。

「もらったよ、確かに。でも普通のネコが食べるくらいの量じゃ全然足りないよ。これでも育ち盛りの男子なんだから、僕は」

 お茶碗半分くらいの麦ごはんと、煮た野菜に魚の切れっぱしが混ざったものだったらしい。


「それは……ダイエット食かもしれないね」

「え。僕、そんなデブ猫なのかな」

 う、まあ。そんなでもないと思うけど。


「そうか。じゃあ代わってあげるよ、斎原」

「何を無邪気な顔で、失礼な事を言ってるの、君依くんはっ」

 こいつ、悪気がないだけにタチが悪い。


 だが、いくら他人からは猫に見えているとはいえ、君依くんを野放しにしておく訳にはいかないだろう。屋敷の中をうろついている内に、どんな事故に遭うか分からない。

 仕方ない。ずっとわたしの手元におくことにしよう。


 しかし問題は食事だ。いきなり人間と同じものを出してくれと言っても、猫用の膳部など用意してもらえそうにないけれど。


「どうしたのですか、美雪ちゃん。食欲が無いのですか」

 食事に箸をつけないわたしを見てお姉さまが心配そうに話しかけてきた。

「その猫さんも、あまり元気が無いようですし」

 さすがの君依くんも、残り物を一緒に混ぜた猫ご飯ばかりでは食欲が続かなかったようだ。


 ここは、一か八かだ。

「お姉さま。実はこの猫は大納言さまの姫の生まれ変わりなのです。ですからわたし達と同じものを差し上げないといけないのです」

「えええっ!」

 それを聞いたお姉さまは大きな声をあげた。


「まあ。先日お亡くなりになった大納言家の姫さまが! 美雪ちゃん、それは一体どうして分かったのですか」

 え、どうしてと言われても。


「こ、この君依くん、いえ姫君が夢枕にお立ちになって、『僕は大納言の御むすめなり』と仰ったんです」

「え、僕って言ったんですか?」

「ほ、本当なんです」

「にやうー、にゃうー!」

 君依くんも必死で呼び掛けている。自分の食生活が掛かっているから、彼も真剣だ。


「分かりました。お父さまに話しに行きましょう」

「はい」

「にゃう!」



 ―― 夢に、この猫のかたわらに来て『おのれは、侍従の大納言の御むすめの、かくなりたるなり。さるべき縁のいささかありて、この中の君のすずろにあはれと思い出でたまへば、ただしばしここにあるを……


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