第23話 でくの坊

 トカゲの長は戦いに特化した種族だ。


 太古の昔、食うか食われるかがまだ世界を支配していた頃に、彼らは圧倒的な力と恵まれた巨体によって頂点に立った。

 永きにわたる眠りは彼らの強さの源である大きな体を奪い去ったが、それでも戦闘本能は血に染みついて衰えることなく脈々と子孫に受け継がれている。


 しかし、いかに賢いと呼ばれる戒めの民の中にも愚か者がいるように、屈強と名高いトカゲの長にも軟弱者はいるものだ。

 グドーという名の植物学者は、戒めの民を地の果てへ追いやったかの英雄・ヤヌアン=デ・オールの再来ではないかと言われるほど立派な巨体であったが、代わりにネズミの子一匹殺すこともできないほどの小心者であった。


 ところが、王はそんな気の小さな若者の下にも命令書を送りつけた。

 王は数さえ集めればなんとかなるだろうと考えていたのだ。


 戒めの民と戦争!


 繊細なグドーが気を失わなかったのは奇跡に近い。

 命令に従うのは嫌だが、かといって、命令に背いて逆賊とののしられながら首吊台に登る覚悟もない。

 グドーは心が引き裂かれるような思いで、まだ日の登らぬ内にトハーン中の若者たちが集まる広場へと急いだ。

 自分がのろまであるという自覚はあるのだ。


 空が明るくなるのを、グドーは広場の片隅の木に隠れて見上げていた。

 もちろん命令に逆らうためではない。

 他の命令書を受け取った若者たちが彼を見つければ、とたんに嘲りと冷ややかな視線を送るだろうことはすぐ予想できた。

 トカゲの長は勇敢な者を尊ぶが、臆病者には優しくないのだ。


 慌ただしく警備が走り回るのをぼんやり眺めていたグドーだったが、突然後ろから肩を叩かれた時情けなく悲鳴を上げた。


「静かに!」


 怒鳴りつけられて、グドーは口をつぐんだ。

 何が起こっている?

 脇の鱗に突き付けられた冷たい感覚に震え上がる。


「聞きたいことがあるだけだ。騒いだら刺す。分かった?」


 こくこくとグドーが首を振ると、押し付けられていたナイフがすっと離れる。


 するとグドーの前で不思議なことが起きた。

 目の前の何もない空間が急に揺れ、気が付けば小さな影(グドーからすればほとんどが小さく見えるのだが)が二つ現れたのだ。


 ぎゅっと口を閉じていなければ、グドーはまた悲鳴を上げるところだった。

 彼らがかぶっているコートには見覚えがあった。彼の親友であるシュトシュノが連れていた子どもたちだ。

 あの時は緑の鱗が見えたのに、今の子どもたちの肌はつるりとなめらかで、こちらをじっと見つめる瞳は美しい円をえがいていた。


 戒めの民!


「シュノはどこ? 一緒にいないのか?」


 ナイフを引いた黒髪の戒めの民が尋ねた。

 確か、名前は……ラスラ。

 グドーは混乱に目を見開いて、むーむーと口を閉じたままうなった。

 ラスラがイライラするのを見かねて、隣の金髪の少年が言った。


「口を開けていいよ。ただし、声は静かにね」


 騒ぐなと言われてからずっと口を閉じていたグドーは、言われてやっと口から大きく息を吐いた。


「なんてことだ…!」


 今さら驚きの声を発する。恐怖からめまいがした。

 グドーたちは戒めの民を滅ぼすために〈天の大木〉に集められたのだ。それがどうだろう。トハーンにはすでに戒めの民が入り込んでいるなんて!


 ラスラとイオがグドーに近付いたのは偶然だった。

〈天の大木〉と箱の建物との間に作られた宙に浮かぶ広場は、トカゲの長であふれ返っていた。

 人気のない方へと進む内に、たまたま隠れるようにしてうずくまっている巨体を見つけたのだ。


 この大きなトカゲの長は、確かシュトシュノの友達ではなかったか。

 彼ならシュトシュノの動向を知っているかもしれない、ラスラの提案から二人はそっと近付いたのだ。


「ねえ、話聞いてんのかよ。シュノを見てないのか?」


 乱暴にラスラが言葉を重ねるので、グドーはあからさまにビクついた。


「み、み、見てない!」

「本当に?」

「ぼ、ぼ、ぼくとシュノは、べ、別々に出たんだ!本当だ!ウソじゃない!」


 ラスラはにらみあげるが、それ以上の話は聞けないと分かってあからさまに肩を落とした。


「君はここで何をしているの?」


 代わりにイオは尋ねた。

 グドーは生唾を飲み込む。


「み、見つからないようにしているのさ」

「警備から?」

「ち、ちがう!ぼ、ぼくは、で、で、でくの坊だから、め、目立たないようにしているんだ」

「でくの坊?だれがそんなこと言ったの」

「ま、町のみんなさ。み、み、みんながそういうのさ」


 イオは落ち着いた雰囲気の少年だった。彼の前にいると、なぜか言葉がのどからすべり出る。

 グドーは大きな体を限界まで小さくし、か細い声を出した。


「ぼ、ぼ、ぼくはのろまで、バカで、弱虫だ。みんながそう言って笑うんだ。シュノは気にするなというけれど、ぼ、ぼくは自分が弱くて意気地なしだと誰より知っている」

「だから隠れてるのか?余計に弱虫って言われるだけだろ!」


 聞いていたラスラはいらだちを通りこして呆れていた。


「君は不思議なトカゲの長だなぁ。ここにいるってことは、君は戦争をしにきたんだろう?なのに自分は弱いなんて言う。人に笑われるのが嫌だというのに、目の前に戒めの民という出世の近道があっても捕まえようともしない」


 イオの言葉に、あ、とグドーは声を上げて、ラスラはぎょっとした。そこまで考えが至らなかったのだ。


 ここでグドーが声を張り上げて警備の者を呼べば、たちまち「最初に戒めの民を捕まえた男」として名を上げることができるだろう。

 そして良心を捨てる勇気を持つだけで「最初に戒めの民を狩った男」として汚名を返上できる。

 グドーはぶんぶんと首を振った。なんて考えだ。おぞましい。


「だって、君たちは子どもじゃないか!」

「だけど王はそう考えてはくれないよ。根絶やしにしろって言ってるほどだもの。女子どもに容赦を期待できるとは思えないけどな」

「だ、だ、だけど! 君たちだってぼくを殺そうとはしないじゃないか!」

「……ナイフ突き付けて悪かったよ」


 思わずラスラは誠意を込めて謝った。

 それに、とイオはどこか楽しそうに続けた。


「ぼくたちがこれからしようとしていることを知れば、君はきっと腰を抜かすよ。トハーンの民は本当は王を玉座から引きずり下ろしたいんだろう?ぼくらはそれを邪魔するつもりだ。それでもその爪をぼくらに向けるつもりはない?」


 むしろなぜそうしてくれないのか、とでも言わんばかりだ。

 グドーは鱗を黄色からだいだい色にせわしなく変えて、ぱくぱくと口を開閉した。

 その間抜けな顔に、とうとうイオが吹き出す。


「シュノが君を友人に選んだ理由が分かったよ」

「ど、ど、どういうことだい?き、き、君たちは、と、トハーンに一体何をしにきたんだ!」

「馬を貸してもらいにきたって言っても信じてくれないだろうなぁ」


 肩をすくめてラスラがぼやく。


「安心してよ、グドー。たしかそんな名前なんだよね?ぼくらはトカゲの長を追い立てるつもりはない。悪いようにはしないさ」


 グドーは目をくるくる回すのを見て、思い出したかのように付け加える。


「ついでに王様の考えを変えられたらと思ってるだけ」


 二人は、この大きく心優しいトカゲの青年が卒倒してしまうのではないかと思った。


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