第5話 岩の世界
しばらく、ラスラとイオは目の前の光景を呆然と見つめた。
鬱蒼と茂っていた森がごっそりとなくなっていた。代わりにあるのは岩だった。大小さまざまな岩が、だれか遊んでいる最中に放り出したように無造作に積み上げられている。積み上がった岩は壁となり、一本道を二人の前に示していた。
あわてて後ろを見やって、ラスラは絶句した。番人の姿がなかっただけではない。さっきまで抜けてきた茂みなどそこにはなく、ごつごつとした岩肌が目の前を遮っているだけだった。
進むべき道は一つしかないようだった。ラスラは意を決して、岩の一本道を歩き始めた。イオも遅れてついてくる。
一本道はそう長くはなかった。
突然左右の積み上げられた岩が途切れ、視界が開ける。
広がる景色は予想通りだったが、それでも衝撃は大きかった。
見渡す限り、岩の世界だったのだ。
大地は真っ赤に荒れ果て、亀裂が走っている。その向こうには大地の果てが見えて、一本の線となり灰色の空とぶつかっていた。どうやら二人が立っているのは岩山の上らしく、見下ろすと切り立った崖になっている。
「なんにもない」
イオがぽつりと言った。
生きるモノの気配がない。
まるで世界そのものが死の淵にいるような気さえした。
ラスラは肩を落とした。
「トカゲの長なんかいないんだ。こんな世界で生き物が生きていけるわけがない」
しかし、イオは目を見開いてラスラを見た。
「そう思う?」
「だって見ろよ。果実もきのこもないし、動物だっていない。おまけに小川だってないじゃないか。生きるのに必要なものが何一つないんだぞ」
「『牧羊犬だからと言って飼い主に従順だとは限らない』」
イオは気丈に笑って見せた。
「目で見たことだけが真実じゃないってことさ。じい様の話を思い出してくれよ。トカゲの長たちは地面深くにもぐって星の主の裁きを生き延びたんだぞ」
「みんな地下で暮らしてるってことか?」
「もしかしたら、だよ。ただ単純にこの辺りにはいないだけかもしれないし、岩ばっかりなのはここだけで、あの大地の向こうには森があるかもしれないだろ?とにかくこの岩山、下りてみないか。あっちに階段らしいのが見えたんだ」
イオの指差した方には、確かに岩を並べて作られた階段があった。そこから崖の下まで岩肌に沿って下りられるようだ。
等間隔に置かれた岩を見て、ラスラは信じられなかった。
「これはさすがに自然にできたってわけじゃなさそうだな。確かに、この岩山にだれかが登ってたみたいだ」
だけどそれが人間かトカゲの長かは分からなかった。分かるのはその階段が作られたのが、ずいぶん昔のようだということだけだった。岩の一部が風化して欠けていたからだ。
二人は階段を伝って岩山を下り始めた。とはいえ、階段の一つ一つの岩が丸まったクマのように大きかったので、一段ずつ飛び下りると言う方が正しい。崖の壁面に岩を乗せる作業は制作者にとっては難しいことだったらしく、比較的なだらかな場所に岩を設置したために、階段はじぐざぐに進んだ。時には着地した岩の上で方向転換して、さっき下りてきた岩の真下にある別の岩にもぐり込まねばならなかった。
それでも階段を下りている内に二人の気分は高揚し始めた。最初はショックだったが、それでも初めて見る世界に本当は胸が躍っていたのだ。
二人は番人との戦いの武勇伝に花を咲かせ、冗談さえ言い合った。ラスラがイオの方を叩けば、イオも負けじとやり返した。逃げ回っている内にいつの間にか断崖絶壁を横目に息を切らせての追いかけっこになり、はるかかなたに思えた岩山のふもとにはあっという間に到着した。
「イオ、見てみろよ!」
ふもとの大岩の間に空洞を見つけ、ラスラは駆け寄った。どうやら長い年月の間に洞窟と化したものらしい。
いつか降った雨水がそのまま洞窟内にたまっているのを発見し、ラスラは歓声をあげた。
イオは洞窟の壁をなでて上を見上げた。
天井は槍のように鋭くとがって下に垂れていた。
「この辺りの砂はみんな細かいんだ。もともと海かなにかだったのかも」
「海?でっかい池のこと?」
ラスラが首をかしげると、イオは呆れ果てた。
「本当にじい様の話を聞いていないんだな。池と海はぜんぜん別物だよ。海は大地よりも大きくて、おまけに塩水で満たされてるんだって。池は山から下りてきた雨水がたまるところ」
「じゃあ、こいつは文句なく池だな」
ラスラは一人で納得した。
暗がりの池に近付いて覗き込むと、底の岩まではっきりと見えた。
「すごいな。こんなに澄んだ水、初めて見た。井戸から汲み出した水みたいだ」
「砂の目が細かいと、水が中を通った時にゴミや汚れを全部砂が取り去ってしまうんだって。だからこの岩山は、きっと上からわいてくる泉みたいなものなんだよ。とにかく、助かった。今日はここで休もう。走り回ってばかりだからへとへとなんだ」
ラスラも異存はなかった。二人とも洞窟の水を浴びるように飲み。ついでに汗と泥だらけになった体を洗い流した。
一息つき、ようやく落ち着くとラスラとイオは大きな問題に頭を抱えた。
まず薪だ。今は西日で洞窟内にも陽の光が差し込んでいるが、夜になれば闇に包まれるだろうことは想像に難くなかった。
「森から枝でも持ってこりゃよかった」
ラスラはげんなりした。
森に囲まれて育った少年たちは、岩の世界での生き方にはまったくの無知だったのだ。
駄目でもともと、と洞窟周辺を探索してみたが、灰色にやせ細った枯れ木を二、三本見つけただけだった。
「この木はいつからここにいるんだろうね」
葉っぱが一枚もない枝を、イオは寂しそうに見上げた。
根っこは岩の間を縫うように張っていたが、水を思うように吸えないためかからからに渇いて、岩にこびりついているようにも見えた。まだ空に向かって立っているのが不思議なくらいだ。
「少なくとも、ここが海じゃなくなってから生えたんだろ」
「それでも長い間ここに植わってたはずだ。もしかしたら、もともとはたくさん仲間がいたのかもしれない」
「たとえそうだとしても、おれたちにはどうしようもないことだろ」
「そうだけどさ」
イオは首を振った。
「ぼくらがここに来なければ、明日もまだ立っていられたはずなのにって思うとね。この世界がこんなになったのがもし人間のせいなら、トカゲの長たちが怒り狂ったのも頷けるな」
イオは両のこぶしを合わせて祈りの言葉を述べた。ラスラもそれにならって、貧相な一本の木のために祝福した。できればこの木の子孫が、ここより豊かな土に根を下ろせていますように。そして二人で協力して、残っていたか細い枝を一本残らず手折った。
なけなしの枝をかき集めてくると、今度は二つ目の問題について考えた。
食べ物である。
どうして出かけにイオが干し肉を持って行こうとするのを止めたのだろう、とラスラは後悔した。こんなことになると分かっていれば、自分も持つのを手伝ったのに。
胃袋が切なく鳴るのを、ラスラはため息でごまかした。
「ここまでなにもないと、どうしようもないな」
せっかくの狩りの技術も、獲物がいないのでは話にならない。
もしかしたら、と期待を込めて洞窟の池を覗いたが、魚影一つ見つけられなかった。
「他の生き物が見つかるまで、ご飯はおあずけかもな」
「本気で言ってる?」
「当たり前だろ。石でも食べろって言うのかよ。ああ、なんでさっき森で何も拾ってこなかったんだろ!」
舌打ちをしかけて、ふと不自然な反応にイオの顔をまじまじと見た。
ずっとこらえていたらしいイオは、ラスラが気付いたと知って堂々と頬をゆるめた。
「まさか……」
「もちろん、まさかさ」
イオは得意顔で、コートの下からクロイチジクを三つと小ぶりのトゲリンゴを何かの魔法のように次々出した。
あ然とそれらを見つめるラスラに、親友は肩をすくめて見せた。
「休憩をとる時に、一緒に食べようと思ったんだ。周りが毒キノコばかりじゃ困ると思ってさ。イチジクは森でたくさん実っていたし、トゲリンゴは村から拝借してきた。……ちょっとはぼくの心配性を認める気になったかい?」
ラスラは吹き出し、腹を抱えて笑った。まったく、どこまで心配していたんだか!
「悪かったよ、イオ。おれの負けだ」
火を起こすのは洞窟の外にした。煙が中にたまったら、息苦しい夜を過ごさなくてはいけない。
太陽が地平線の下へ落ち始めると、灰色の雲でおおわれた空は途端に夕方を飛ばして昼から夜の暗さへと変わった。
紫色の雲を仰ぎ、明日は雨かもなとラスラは思った。乾いていると思っていた風は、いつの間にか湿気を含むようになっていた。
「なんか落ち着かないな」
肌がちりちりする。それはいつも何かが起きる前触れだった。
ラスラは身を起こし、弓を引き寄せた。
「今度はなに?」
固い地面の上でどうやったら楽に寝られるかを試していたイオが顔色を変えた。
「いや。イオが得意な念のためってやつだよ」
「バカにしてるでしょ」
「そんなことないって!イチジクはホントに感謝してる。あえていうなら、腹いっぱいに食べたかったな」
イオが持ってきた果実だけでは、育ちざかりの胃袋にはやや足りなかった。
「なんだろうな。耳の奥でなんかカサカサいってるみたいだ。イオには聞こえない?」
言われてイオも耳をすましたが、ややあって首を振った。
「ぼくには分からないな。どんな音?」
「すんげえ甲高い音、っていうのかな。とにかくざわついてるんだ」
「風の音じゃなくて?どこかの岩の隙間が鳴ってるのかも」
「そうかな。でもそれにしちゃいくつも重なって聞こえるぞ。一体なんだって……」
ラスラははっとして洞窟の方を見た。
ばさばさ、という小さな音が洞窟の中から聞こえてきたのだ。それも、とんでもない数。
イオもさすがに眉をひそめた。
「洞窟の中に何かいたっけ?」
「見た限りではいなかった。でも分からないな。もしかしたら小さな岩の隙間から出てきたのかも」
「ってことは、たぶんおれたち同じやつのこと考えてるよな」
「確かめてみる?」
二人は視線を交わし、口をそろえた。
「「コウモリ」」
その時、同時に洞窟の中から大量の黒い塊が外に飛び出してきた。
よく見ると数万単位のコウモリが薄暗い空のもとで旋回をしている。外で火を焚いていて良かったと思った。きっと今頃二人ともコウモリまみれになっていただろう。
甲高い音は、コウモリたちの鳴き声だったのだ。
真っ黒にうねるコウモリの群れは、一つの巨大な生物のようだった。
口を開けて見上げる二人の頭上を、コウモリの渦が回る。
「なにしてるんだろう?」
イオはコートを頭からひっかぶり、コウモリの動きを凝視している。
「仲間が出てくるのを待ってるのかな?」
「ああやって風を起こしてるんだ。鳥の群れが似たようなことをするのを見たことある」
洞窟から出てくるコウモリの数は減るどころかどんどん増えてくる。はじめは小さかった黒い渦は徐々に大きく高くなっていった。もはや渦というより竜巻だ。
「すごい……」
感嘆する二人の前で、突然竜巻の上部がくずれ、地平線の彼方へ向けて飛行を開始した。ぞくぞくと他の仲間も先頭に続いていき、竜巻はほつれた糸を伸ばしていくように飛び立っていく。
コウモリの行進は帯と化して、薄暗い空を裂いた。
「狩りに行くんだ」
イオは突然声を張り上げた。
喜びに青い目を輝かせる。
「ラスラ、いい知らせだよ。このコウモリたちはきっとこれから虫や花の蜜を探しに行くんだ。これだけの大きな群れなら、相当広い餌場が近くにあるに違いない!」
「そっか。じゃあこのコウモリの行く先に森がある可能性が高い……」
ラスラの表情も明るくなった。
「目的地ができたな」
「忘れるなよ。ぼくらの目的はトカゲの長なんだから。あんまり留守にしていたら村のみんな心配する」
そう言って、イオはふと顔を曇らせた。
「正直さっきから考えないようにしてたんだけどさ。ぼくたち、どうやって村に帰る?結界に入ったら、すぐ目の前にあの番人がいるんだよな」
「帰る時のことは帰る時に考えりゃいいだろ。ほら、なんだっけ。アレフも言ってたじゃん。とんびがどうとか」
「『空を飛ぶとんびは止まり木のことを考えない』だよ。とんびは風に乗ってはばたかずに飛ぶから、羽を休める枝を探すような苦労はしないってたとえ」
「そうそれ!不必要なことは考えなくていいってことだろ。おれたちは当面必要なことだけ考えてりゃいいんだよ。たとえば」
「たとえば?」
「このコウモリは食べられるのか、とか」
ラスラはおもむろに立ち上がって、まだコウモリがぞくぞくと出てくる洞窟に身をかがめて近付いた。そしてちょっと思いついたようにソライモムシのコートを広げて裾を結び、袋状にする。
ほどなくして戻ってきたラスラのコートがばたばたと激しく暴れていたので、ぎょっとイオは顔を引きつらせた。
ラスラはあっけらかんと言った。
「そんな顔すんなって。丸焼きにしたらうまいよ。たぶん」
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