シュレディンガーの爆弾

吟野慶隆

シュレディンガーの爆弾

「凱賀(がいが)! 禰古末(ねこま)を見つけたわ!」

 そんな金雷(きんらい)有葉(あるは)の叫び声が、遠くから響いてきた。

 凱賀嗣安(つぐやす)は、それが聞こえてきたほうに、ばっ、と顔を向けた。間髪入れずに、だだだだだ、と、そちら目指して走り出す。

 二人は、日本の諜報機関に所属するスパイだ。機関は、四ヵ月前、「北九州市を拠点としている、とある軍需系の工業会社が製造した、炸裂すれば地球そのものを粉砕するほどの威力を持つ爆弾兵器『禰古末』が、国際テロ組織『RDG』(ローリング・ダイシズ・ゴッド)に盗まれた」という情報をキャッチした。そして、禰古末を取り戻すため、ひいては、それにより、世界情勢における日本の軍事的地位を向上させるために、嗣安と有葉のコンビに、各種の任務を命じてきた。

「爆弾は現在、北海道にある、RDGの日本支部により、苫小牧港の倉庫内に保管されている」ということが判明したのは、一ヵ月前だ。しかし、その時点では、とうぜんのことながら、建物は、武装した兵士たちによって厳重に警備されていた。さらには、高性能なセキュリティシステムも、正常に稼働していた。

 嗣安たちは、その日から今に至るまで、さまざまな策を講じてきた。そして本日、ようやく、すべての準備が整ったのだ。すなわち、偽の情報を流して、警備の兵たちを倉庫から離し、また、クラッキングを仕掛け、セキュリティを無力化した。

 そして現在、禰古末を盗み出すべく、倉庫内に侵入している、というわけだ。

 RDGはすでに、自身のホームページで、それを炸裂させるものと思われるテロ行為を予告していた。しかも、日時については、それとなく仄めかしているだけで、具体的には示されていない。そのため、嗣安は今まで、「いつ爆弾を使われるのか」「明日か、いや、今日か」「もしかしたら、瞬きする間に、炸裂させられるかもしれない」などと、ひどくはらはらした日々を送ってきていた。

 彼は、倉庫の中を走り続けた。地面には、あちこちにビニールテープが張り巡らされており、それによって通路が形成されている。道の両側には、木箱やプラスチック箱、金属箱など、さまざまな荷物の積まれたパレットが所狭しと置かれ、壁の役割を果たしていた。

「爆弾はどこだ、金雷?!」嗣安は大声を上げつつ、パレットの角から飛び出した。

 道の中央付近には、有葉が立っていた。彼女は、ばっ、と前方、数メートル先を、右手で指した。

 通路は、しばらく進んだ所で、丁字路のようになっていた。そこの突き当たりに位置するパレットの上に、「禰古末」が置かれていた。以前、製造会社から盗み出した資料で確認したとおりの見た目をしている。

 すなわち、直径二十四センチ、長さ一メートルの円柱の両底面に、同じ直径を持つ半球をくっつけた、カプセル剤のような見た目だ。表面は、銀色に塗装されており、「禰古末」という字が、大きく書かれている。

「よくやった!」

 嗣安はそう言いながら、禰古末に、だだだっ、と近づいていった。有葉も、後ろからついてくる。

 彼はパレットの上に乗ると、爆弾に近づき、立膝をついた。円柱側面の上部には、縦三十センチ、横五十センチほどの、蓋が付いている。それの一辺の中央に存在する窪みに、指を数本挿し込むと、半ば引っ掻くようにして、ぱかっ、と開けた。

 そこからは、禰古末の内部を覗くことができた。色取り取りのコードが張り巡らされており、あちこちに電子回路基板やマイクロプロセッサーなどが設置されている。蓋の真下あたりの位置には、タイマーが取り付けられていた。

 その画面には、「00D:00h:12m:58s」と表示されていた。

「クソっ!」思わず、嗣安は叫んだ。「起爆タイマーが作動してやがる! しかも、炸裂まで、あと十三分弱しかないぞ!」

「なんですって!」有葉は、さあっ、という音を立てて、顔を青褪めさせた。「ど──どうすれば……」

 嗣安は、ぐるり、と辺りを見渡した。彼のいる場所の右隣にも、パレットが置かれている。その上には、箱が一個、載せられていた。

 サイズは、高さと奥行きが五十センチで、幅が一メートル半。上面は蓋となっており、それの一辺と箱本体の一辺とが、くっついている。今は、蓋は開けられており、中には何も入っていない、ということがわかった。

 側面に貼られているシールに書かれている情報によると、特殊な合金で出来ているとかで、箱の部分は、とても重たいらしい。蓋の部分は、それに比べると軽量な金属で作られている、とのことだった。

「とにかく、やれるだけのことはやってみる!」そう嗣安は叫ぶと、ジャケットの内ポケットから、十徳ドライバーを二つ取り出した。「金雷! 手伝ってくれ!」

「もちろんよ!」そう返事をした有葉はすでに、十徳ドライバー二つを、左右の手に持っていた。

 その後二人は、禰古末の内部を弄っていった。コードを切ったり、マイクロプロセッサーを取り除いたりした。

 十分強が経過したところで、嗣安は、爆弾の中から両手を抜いた。「ふう……」と、一息吐く。「なんとか、成功した──タイマーが零になって、起爆装置が作動しても、五〇パーセントの確率で炸裂しないような細工をしたぞ!」

「やったわね、凱賀!」有葉も両手を外に出すと、そう言って小さくガッツポーズをした。「残り、五十八秒──後は、当たりを引くことを、祈るだけ……」

「いや、まだだ──これからが、仕上げだ!」

 そう嗣安は言うと、蓋を、かちり、と閉めた。そして、禰古末の側面に両手を回すと、「よいしょっ……」と言って、持ち上げた。

「ちょっ、ちょっとっ、何する気なのよっ?!」

 有葉が、慌てたように訊いてきた。しかし、嗣安に、答えている余裕はなかった。

 右隣にあるパレットの上へ移動すると、箱の中に、禰古末を入れる。それから蓋を、ばたあん、と閉めた。

 嗣安は思わず、その場に両膝をついた。そのまま正座すると、がく、と首を垂れた。「ふうー……」長い、安堵の息を吐いた。「間に合った……」

 同じようにパレットを渡ってやってきた有葉が、彼の左方に立って、困惑したように訊いてきた。「箱に入れたからって、なんだっていうのよ?」

 嗣安は、彼女のほうに顔を向けると、ふふふ、と自信ありげに笑ってみせた。「まあ、見てなって」

 そして、一分が経過した。

 嗣安と有葉は、生きていた。

「ふうー……」有葉も、彼と同じように、長い、安堵の息を吐いた。「助かったわ……なんとか、禰古末は、炸裂せずに済んだようね……」

「いいや」嗣安は、首を横に軽く振った。「その受け取り方は、正確じゃないな。厳密には、『禰古末が、炸裂したかどうか、観測せずに済んだ』だ」

 有葉は首を傾げた。「何それ……どういうことよ?」

「金雷、お前は、『シュレディンガーの猫』という思考実験を知っているか?」

「シュレ……?」有葉は、眉を顰めた後、「いいえ」と言いながら、首を横に振った。「知らないわ。何よ、それ?」

「大雑把に説明するとだな……大きな箱に猫を入れて、蓋を閉める。箱の中には、毒ガス発生装置が設置されていて、蓋を閉めてから十秒後に、二分の一の確率で、毒ガスを発生させる。ガスは、発生してから即座に、内部に充満し、猫がそれを吸い込むと、即死する。

 今、蓋を閉めてから、十秒以上が経過したとする。このとき、猫は、生きているか、それとも死んでいるか。……っていう感じの、思考実験だ」

 有葉は腕を組むと、うーん、と唸った。「……そんなの、見てみなきゃわかんないんじゃないの?」

「そう!」嗣安は、びっ、と右手人差し指を彼女を向けた。「でもそれは、古典力学での考え方なんだ。量子力学では、『猫は、生きている状態と死んでいる状態が、重なり合って存在している』『箱の外にいる者が、蓋を開けて、内部を観測した瞬間に、どちらかの状態に収束する』と考えるんだ。要は、『箱を開けるまでは、猫が生きているか、それとも死んでいるかは、まだ決まっていない』ってことだな。

 今回のケースも、それと同じさ。さっき、五十パーセントの確率で爆発するように細工した禰古末を、この箱に入れた。けっきょく、禰古末が炸裂したのか、それとも不発に終わったのかは、蓋を開けるまでわからない。言い換えれば、蓋さえ開けなければ、『禰古末が炸裂した』という事態を防ぐことができる──ひいては、人類滅亡を回避できる、ということだ」

「ええー?」有葉は口を縦に大きく開いた。「あんまり、理解できないわ。そんなの、今、禰古末が炸裂していないんだから、不発に終わったに決まってるじゃない」

「いや、だから──」

「ああ、もう!」有葉は大声を出した。「あなたの考えなら、機関の本部に帰った後、いくらでも聴いてあげるわよ。それより──」箱に、つかつか、と近づいてきた。「禰古末、持って帰らないといけないじゃない。この箱、とても重たいんでしょう? わたしたち二人だけじゃあ、運べないわ。箱の外に出さないと……」蓋に触れた。

「うわっ、馬鹿、やめろ!」嗣安は叫んだ。

 しかし、有葉はやめなかった。そのまま、蓋を、ぱかっ、と開けた。

 目の前が真っ白になった。


   〈了〉

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